ホウチガブログ

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〈1101.夢を再定義するおっさん〉

10月2日。

 

最近よく見る夢。
過去の自分ができなかったことを、挑戦してやっぱりできなかったという悲しい者ばかり見る。

 

 

M-1に出ようとしたけど、コンビの友人の用事によって参加申し込みもできなかった。漫才師になろうとしたわけじゃないけど、一回くらい経験してもいいだろうと思ったものだ。
夢の中だと、某大手お笑い事務所の合宿に参加して最終日に漫才を披露したら0点評価された。ツッコミである僕の責任でつまらなくなった。

 

 

なんども話題にしているけども高校生までは本気でテニスをしていた。夢の中では今プロとして活躍している奴が学生時代のころと一緒に練習をしていた。けどもその時点でまったく歯が立たなかった。

 

 

お笑いもテニスも、ちょっと挑戦しようとしてたけど結局なにもなく終わってしまった。その微妙なコンプレックスを夢に見るととんでもなく嫌な気分で目覚めることになる。
特にお笑いについては別に舞台の上でやりたいとは本気で思ってなかったのになぜこんなに気にすることになってしまっているのか理解できない。でも、確かに後悔しているポイントではあるけども。


いずれも十分に吹っ切れたはずだと思っていたのに諦めきれずにいるということかもしれない。それは仕方なし。しかし、今は別の夢であったクリエイターは叶いそうなのである。我慢してくれや。

 

 

大人になるというのは、こういうのをたくさん抱えながらもきちんと整理して生きることなんだろうと勝手に思っている。人生は一回だし、時間も有限である。できることよりできないことのほうが多いのは当然である。その中でできることに注目して、その範囲を広げていくことが生きるということだろう。
となると、できなかったことは、確かにできそうではあったかもしれないが辞めたものである。いつまでも気にしていたら今できることもできなくなってしまう。
さっさと諦めるべきだ。

 

 

 

しかしながら。
「夢に見る」というのは深層心理のような部分で今でも「夢に見ている」ということであろうか。そして、当時と違って今はできるようになったことも広がっている。


お笑いに関しては「舞台に立つこと」だけがクリア条件ではない。別の観点からクリア条件を探すことだってできる。
テニスもそのはずだ。「グランドスラムで優勝」だけが全てではない。他人と比べて頂点に立つことも一位だが、そうじゃないことだってある。レッドオーシャンで戦うか、ブルーオーシャンで戦うのか、そこに優劣はない。

 

ということで、大人になるというのはそういうことでもあると思う。一つに絞っていた過去の夢の再定義を試みて、そのうえで達成のために頑張ることだってできるはずだ。
そのうちの一つが、こどもに夢をかなえてもらうことなのかもしれないけども。教育熱心になってしまう親はたぶんそういうタイプなんじゃないかな。

 

 

過去の夢を再定義して再び追いかける、というのはなかなかしっくりする「大人」の再定義であるように思える。


はなから夢を諦めてしまうのはもったいない気がする。そういう意味ではまだまだ青臭いのかもしれない。「青臭いおっさん」に憧れていたことを思い出した。僕にとっての大人とはそういう人なのかもしれない。