ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1102.どうでもいい話〉

10月3日。

 

バイト中に思ったこと。
僕は接客業が好きである。「店員」という仮面をかぶっていつもの自分ではない他人のようにふるまうことができるからだと思われる。
同じ店員同士での態度と、対客の態度で全くテンションがちがう。意識しているわけではなく、勝手にそうなってしまう。そしてその違いを楽しんでいる。
そういった意味では、着ぐるみとかVtuberとか演技に興味がある。チャンスがあればやってみたいものだ。

 

 

しかしながら、いずれもやりたいからやれるもんでもないだろう。一番敷居の低いVtuberも、趣味として勝手にやる分にはいいがちゃんと数字を出そうとすると色々分析して経験を積んだうえでようやくちょろっと人気が出るかどうかといったところだ。

着ぐるみの演技というのも難しい。発言ができない分、身振り手振りで感情表現をしなければならない。しかも表情は当然のこと変わらない。つまり、「うれしい」「かなしい」「いかり」などなどの表情を体の動きで補完することになる。これはかなりの難易度である。ちょろっとイベントで歩き回るぐらいの出番ならごまかせるかもしれないが、いわゆる舞台で動き回ったりするような着ぐるみアクターにはなかなか難しいだろう。

俳優は言わずもがな。演技をする機会というのもなかなかないし、するためにはきちんと経験を積まなくちゃならんわけだ。

 

 

ゴフマンのドラマトゥルギーという理論では、その場の空気・秩序を乱さないために人は与えられた役割を演じる、と分析されている。僕の「店員」という役割を果たす演技もその一つだろう。日常の中での演技である。

これをわざわざ「演技」とは認識しないだろう。秩序を保つための行為に過ぎない。しかしながらそれが楽しいんだから仕方ない。そういう意味で、コンビニ店員は一種の天職だろうと思ったこともある。しかし、お客さんがいないときや品出しはなんにも創造性がなくてつまらなかった。ということでは、自分で何かを生み出しながら同時に演技ができたら楽しいんだろうけども。アドリブで演技できたらいいのかしら。

 

 

しかし、それでお金をもらえるとしてもやだねえ。あくまで自分の楽しみとして自分のためだけに遊びとして「演技」をしてみたい。しかしながら「演技をする」となると相手の存在が不可欠である。一人でラジオパーソナリティのようなことはなかなか趣味としてはできないわね。そういう意味ではゲーム実況者は一人演技かもしれない。しかし、それでも当然視聴者が必要である。

つまり、遊びで演技はひとりで勝手にやる悲しい・痛いおじさんになるほかあるまい。

 

 

接客は確かにめんどくさい・偉そうなお客さんの相手もしなくちゃいけない。若干の敷居の高さのあるところで接客をしたいもんだ。
それはホストになるしかないのでは?