ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1106.都会について〉

10月7日。

 

田舎出身の者として、都会の怖さはなにかを考えた。結局のところ、見えているのになにも知らないという怖さにあるんじゃないかと仮説を立てた。

 

 

例えば住んでいるところから半径100mの範囲で考える。

田舎な地元であれば、ほとんどが畑であり、仮に住宅街だったとしても回覧板まわりとかで知り合いであることが多い。会話がなくてもどんな顔をしているかは知ってたりする。

それが、例えば京都だっとしたら。一人暮らしのお隣さんもわからないし、コンビニとかであれば使うけども個人経営のなにかしらの商店はわからないことが多い。一度も入ったことのない店も多い。それが東京になるとさらにである。ビルとビルの間は隙間なく埋められており、ワンフロアごとに違う会社が入ってたりもする。道を歩けばそんなビルばかりである。

 

だからこそ、漫画のような展開があっても不思議でないように思える。

 

 

あのビルには夜になると人が入っていく。実際はたぶん飲み屋かバーがあるだけだろうけども、仮に夜行性の人型の動物の集いだったら…。相向かいのビルの一個奥のビルは地縛霊が取り憑いていたり…。

文字だけ見れば馬鹿馬鹿しい。けども、実際に東京の夜を歩いてみると、毎日見ているのに全く知らない建物の多さに驚く。こんな時代だし、薬の密売とかあったりとか考えるとちょっと恐ろしい。無知というのは恐ろしい。

そして、同時に好奇心を刺激される。想像を掻き立たてさせる。もしも、万が一、もしかしたら。

 

全てをなんとなく理解している田舎より刺激が多いと思われるのはそういう風景にも隠されているのだと思われる。

 

 

例えば家の玄関や窓からの風景を絵にしてみるとしよう。

上手い下手はあれど、田舎であればほとんど違いなく描ける。家の数、距離感、その家の人数や顔などなど。もちろん、単純に生活している時間の長さもあるだろうが。

それが東京では無理だろう。いくら長く生活していても、人や店が入れ替わり立ち替わり。ビルの階数や隣り合ってるビルの特徴などなど。それこそモザイクのようなぼんやりとした風景になるだろう。

 

 

結局のところ、未知というものへの恐怖が都会にはあると思う。それに慣れてしまえば怖くはなくなる、いわゆる適応だと思う。

適応できていない今だからこそ、気づくことができることもある。通常も外から見たら異常なのである。東京は異常な街だと思いました。