10月12日。
昨日のお酒の席でにいちゃんが言っていた話をメモしておこうと思う。
生きるの楽しいですか?みたいな話題になった時に、その人はもっと楽しく生きれると思う、みたいな返事をしてくれた。
それはどういうことですか?
それっていうのはな…。
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楽しいとか、幸せっていうのは、グラフの面積を大きくしていくようなものだと思う。
人間関係、お金の有無、健康、他やりたいことなど。そういう自分の大事だと思うことを頂点にしたダイヤモンドグラフを描いてみる。
その面積が大きければ大きいほど、幸せだといえるだろうと。
それが例えば、怪我をして健康が損なわれると他がどれだけ充実していようとも面積は小さくなってしまう。同時に頂点をたくさん持っておくと、一つが欠けても頂点が少ない時に比べるとダメージが小さくなる。
結局、どれくらい頂点を増やしつつ、それぞれをバランスよく大きくできるか。これが大事だろうということだ。
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その人の話はこういうことだった。
確かに幸せっていう概念はいまいちつかめないし、その人がどう思っているか次第である。だから本来は他人からはなんにも口出しができない。
それはつまり、自分自身でもはっきりと言えなくなる時があるということでもあると思う。
そういう時に、感覚ではあるけども数値化・可視化するとすっきりするものがある。
これは一つの助けになるグラフの描き方だろう。
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こういうことは自分だけでは見つかりにくい。
年上の、たくさん悩んできた人だからこそわかるものだろうし、おそらくその人も自分で開発したのではなく、啓蒙書とか有名人のインタビューとかを見て学んできたのだろう。
僕はそれのいいとこどりをさせてもらったわけだ。ありがたいね。
人と話をするというのはこういうところだと思う。もちろんあんまり踏み込んだ話はなかなかできないけども、それが可能になった時にちょっと視野が広くなったり、新しい面白さを発見できたりする。
そしてその話をするのは、できれば属性が違う人がいいだろう。会社がちがったり、職種が違ったり、年齢が違ったり、性別が違ったり。それぞれの悲しみとか苦しみとかを乗り越えて、それぞれの生き方の軸が定まったような人。
学生同士の飲み会ではどうしても近況報告とか悩み相談で終わってしまう。そしてほとんどの場合、知らない世界を提示してくれない。提示できるというのは、それ相応の経験があって、それを整理してまとめあげる時間的余裕が必要だ。
そうなると、やっぱり自分より年上と話をするのが一番面白い。
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会社員になっても、そこだけは忘れたくない。自分より年上で、いろんな闇を見てきたような人と話をする。
これは僕の幸せのための一つの頂点かもしれない。そうして話を聞く中で別の頂点を見つける。
そうやって頂点を増やすことが一つの楽しいところだ。
そう考えると、僕はやっぱり会社に就職する選択をしてよかったかも。まったく違う背景を持つ人たちが集まってくるところはさぞかし面白いだろう。その中でつまらない人間と認定されないためにも、自己研鑽することだ。