〈1130.冷たい風〉
10月31日。
10月はあっという間だった。急に寒くなってきたなあと感じたのが10月の頭の頃だったはずだが、それにも慣れてしまった。
半袖の服はこの前まで箪笥の前で山積みにされていたはずなのに、もう引き出しの奥のほうに詰め込まれて久しいように思う。
さて11月である。オリンピックがあったり、例の感染症が流行したり落ち着いたり、踏んだり蹴ったりだった2021年ももうあと2カ月である。
早いもんだね。
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そして今日は選挙である。僕自身が興味を持ち始めたからかもしれないが、「投票率が低いのは恥ずべき事だ、投票所に向かえよ若者!」という文言をやたら見るような気がする。投票しない自由は隷属の自由だという意見をtwitterで見たりもした。
この意識づけはとてもいいことだろうな。ちゃんと投票しないと、これからを担う世代に不幸な未来が待つことになるかもしれないからね。
総理も変わって、色々なところが大きく変わりつつあるのかもしれないし、変わらないのかもしれない。コロナ後の社会を決めることになるのかもしれない。
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年末が近づいているからだろうか。いろんなところが忙しない。それはまあ僕自身がまもなく身分が変わるのがでかいんだろうけども。
社会人になるとそんなことなくなるのだろうか。いつもの仕事をいつもの面々と、淡々とこなすことになるのだろうか。それは来年の今頃理解することになるのかもしれない。
そういえば、学生という身分は今年が最後だった。すっかり忘れていたが、これからは学生という免罪符もなくなってしまう。これから40年近くは社会の歯車としての生活が待っている。
という感覚も来年には違ったものだと認識を改めることになるのだろうか。
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なんとなく秋だからかしら。不安とか、後ろ向きな気持ちがあるような気がする。たぶんそれも気のせいだろう。
事件のニュースを見たり、選挙でバタバタしている番組を見ていると、謎の焦燥感にかられるところは否定できない。そして年末ということで、2021年を良い年だったと思えるようにしないといけないんじゃないかとか、無意識に考え事を増やしている。
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こういう時こそ、自分の土台をきっちり意識することだろう。できることを確認して、それをきっちり遂行する。あるいはこれまでの人生、というと大きすぎるかもしれないけど、今の自分を形作るものを確認してもいいだろう。
不安から慌てていろんなところに手を出すのは危険である。不安な時こそ、ルーティンワークである。僕であればこの毎日の1000文字である。
センター試験前夜を思い出すべし。
そこで手を出した新しい暗記帳はただ不安を煽るだけだった。擦り切れてぼろぼろになった問題集を、解くともなしに眺めるだけでも十分落ち着いたものだった。
といっても、その新しい暗記帳でたまたま見かけた単語がテストに出たりもするんだけどね。やりたいようにするしかないんだろうけど、健康的ではないわね。
できることからきっちりやりましょうね。