ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1140.良い生き方についての日〉

11月10日。

 

今日は良い生き方について考える日だった。

これを書くにあたって、その人のことを否定する気はないし、批判する気はなく、ただ単純に不思議なだけである。

今のバイト先にも過去のバイト先にも、僕より年上で、バイトやパートで生活している人がいる。人によってはその日暮らしをしている人もいる。いたって健康であり、話をするまでは社員さんだと思っていたくらいである。しかし、こういう話題をずいずいと聞くのはなかなか無神経野郎である。色んな理由があって、そういう選択をしているんだろう。
温室育ちの闇を知らない人間が邪推する。

 

 

一つは家族の問題である。
定職に就いてしまうと、看護や介護ができなくなるため自由に働きやすいバイトとして生活を営んでいるというパターン。実際にコンビニバイト時代にはこの生活スタイルを選んだ人がいた。

 

一つは脱サラ後の次の職までのつなぎである。
就労意欲はあるけどタイミングが悪かったため、転職先が見つからなかった。そこで、短期間だがバイトをすることにしたというパターン。そして場合によっては、バイトの働きやすさが気に入って、そのまま数年が過ぎてしまったパターン。多分これなんだろうなという人もいた。

 

一つは就活はもはやめんどくさい、というパターン。
高校卒業・大学卒業した時に、それまでバイトでお世話になった店にそのまま残った。一人暮らしには困らないので現状維持でよしとする。こういう人もいた。

 

一つはこれからの時代、定職に就く必要はなしと考えるパターン。
例えば漫画家志望であったり、画家志望の人はこういうパターンだろう。あるいは、定住するのが嫌いで色んな所を転々としながら次の引っ越し先までバイト代を稼ぐという人。このパターンの人にはあったことがないが世の中にはいるだろう。

 

 

僕はアルバイトというものを、補助的にお金を手に入れるための手段としか認識しておらず、学生身分の人間がするものだと考えている。
しかしながら、上記4パターンのうち、一つ目・二つ目は仕方がないだろう。生きるための手段としてそれを選んだという消極的な話だった。四つ目は僕の想像できない生き方なので、そういう人が考える生き方をぜひとも聞いてみたいところだ。アフリカで出会ったバックパッカーはこんな感じだったなあ。


三つ目の就活めんどくさいパターン。これが不思議で仕方ない。
バイトなんていう身分はいつ切られても文句は言えないような身である。四つ目みたいに次がある前提であれば大きな問題ではないけども、その店で長く湯に浸かってしまったら次にはなかなか腰があがらないんじゃないか。

これまでの知り合いの人たちは、本当にめんどくさいので考えないようにしているという逃避の人もいたし、とりあえず問題ないから良いんじゃねという人もいた。

 

 

むっかし、こういうパターンの人で仲良くしてくれた人がいたので、色々面白半分で色々提案してみた。
漫画書いてみたらどうだ、絵はどうだ、なんか資格の勉強してみたら、なにか賞がもらえるコンテストに応募してみたらどうだ、バイト先の社員になってみたらどうだ、などなど。
その人はすべて「うーん、どうだろうね。できないよ。」と否定的な解答だった。別に嫌な顔もせず、不愉快そうな顔もせず、むしろ他人事のように楽しそうに聞いてくれたから色々言っていた。
やるだけならお金もかからないし、失うものもないんだからもったいない気がするけども。
根本的に考えるのが面倒だ、と言っていた。

 

 

究極的には、宇宙レベルで、人類史レベルで考えてしまえば、僕が・あなたが・彼が・彼女が、生きる理由なんかないわけだし、生きる意味もさしてない。

 

虫や動物のように、そもそもは子孫を残して種の繁栄だけが唯一の存在理由である。そして地球上には何十億も人間がいるわけで、人が一人生きていようが死のうがそれほど変わりはないだろう。

しかしながら、自分が死ぬときに、自分の死を知ってくれた人が、自分が生きたことについて意味を与えてくれる。
そのことに価値があると考えるかないと考えるかは人によるだろう。僕は、死んだ人が生きていたおかげで僕があると思うので、同じように僕の死に意味があると思ってほしいと思ってしまう。

 

別にバイトに価値がないとは言わない。人生は仕事が全てだとは思わない。とはいえ起きてる時間のほとんどを占めるのが仕事の時間なので、その時間に「私が生きた意味」を見出してほしいと考える。そういう意味で、代替可能な「バイト」という身分はさっさと脱却したい。

こんなの就職前の若造の戯言なのかもしれないな。やめておこう。