ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1161.そろそろ振り返りましょう〉

12月1日。

 

大学院の友人が東京に来たというので、久しぶりに飯に行った。
髪型や色が変わったほかに大きい変化はない。半年ぶりくらいだもの、そりゃそうだ。
大学院の様子を聞くとなかなか変化の大きい半年だったようだ。
人間関係でのごたごたがあったり、逆に良好な関係ができていたり。後輩は海外フィールドワークに行けず、四苦八苦のようだ。

遠い土地の話を聞いたような気分になったけど、わずか半年前はそこに根を張っていたのにね。
リアルタイムでの半年はかなり大きな価値を持つようだ。

 

 

「半年間留学にいってました」という話は、ぶっちゃけ珍しい話でもないし、「だからなに?」というのがまわりからの評価だろう。
しかし、やっぱり留学にいっている最中はとんでもなく大きい経験である。そこに長短はあまり関係がないようだ。


長い・短いが価値を持つのは、後々になって振り返った時である。つまりどんな意味付けをその時間にするのか、それに値する活動をどれほど経験したか、ということである。

「半年間の留学で、あれもした・これもした・そんなことも・こんなことも。とにかくたくさん経験したもんだ」
そういう具体的なエピソードの記憶がたくさん残っていれば、時間が短かったとしてもそこの持つ価値は大きい。

 

リアルタイムの現在進行形のことであれば、自分が生きている環境であるというだけで大きな価値を自然とおく。
過去のことであれば、記憶に残っていることがたくさんあればあるほど、大きな価値が見いだされるだろう。

 

 

何がいいたいのかよくわかんなくなっちゃった。
僕自身のこの半年の意味付けがきちんとできるのかが不安だ。

京都からはるばるやってきた友人の半年は、良くも悪くも色んな記憶があって、とにかく充実して大きな価値があるようだ。
それに対して僕の半年間は価値があるといえるのか。


確かに大学院で研究を一生懸命やっていた半年前のことは大昔のように感じられるけど、それはこの半年間が充実していたからとかではなく、現在進行形だから価値があると思い込んでいるだけではないだろうか。

 

それならば、僕のこの半年間の意味をもう一度見つめなおすタイミングが来たのかもしれない。

 

 

楽しそうに京都の話、未来の話をする友人が少しうらやましく思った。
僕ができないわけではないが、その友人ほど楽しそうに話ができるか何とも言えない。
次の休日は、まだ慣れていない新居近くの、なれていないカフェでそこらへんをのんびり考える時間を作ろうかな。