12月3日。
もしもテニスプレイヤーを選んだら。僕はどんな生活を送っていただろうか。
中学生の頃に戦ったライバル、勝ったり負けたり、しのぎを削ったやつら。そいつらはコーチをやっていたりするけど、何人かはプロテニスプレイヤーになっている。そのうちのひとりは世界を飛び回っている。
もし、僕がプロになる道を中学で選択して、環境を整えることができたら、もしかするとプロになっていたかもしれない。
後悔がないと言ったら嘘になる。燃え尽きることができなかったから、いまでも未練たらしくテニスをしてしまう。
たらればの話をするのは良くないかもしれないけど、この話はきちんと決着をつけたい。
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生まれつき僕は戦うのが好きではないし、実際に現役の試合中でさえも、相手を憐れんだりしたものだ。その結果負けたこともあった。
身長は170cmくらいで、プレイヤーとしてはまったくもって誇ることのできない身長である。そしてそれをカバーできるくらいのフットワークを実現させようとすれば、ケガをする。
僕はプロになるためのギフトが全くもって与えられなかった。しかしながら、試合で結果を出すことの喜びを見出していた。
となると、ギフテッドなやつらにいかにして勝つことができただろうか。
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今生で自慢のサーブもハードヒットもプロレベルになってしまえば、なにも誇れるものじゃあない。最低限必要なレベルに達してもいない。
しかし武器であることには変わりない。となると、ひたすらにハードヒットの練習をするだろう。
サーブはぶっちゃけ限界がある。身長2mのやつにはいかにしても確率もスピードも勝てない。となると、変化球勝負である。背筋と肩を鍛えることだろう。
背の低さを考えると、頭の良さが必須である。ネットプレーやドロップショットなどの技を鍛えなければ長い選手生活に耐えられないだろう。
そしてなにより、フットワークである。テニスは結局ミスのスポーツである。相手がミスをするまで耐え続けるフットワークである。これが膝故障の原因になること間違いないのだが。
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ジョコビッチもナダルもフェデラーも、結局万能型だから前人未到の大記録を残すことができている。
185cm、フットワーク、筋肉。全ての条件が揃う必要がある。
結局のところ、中学の時にプロの選択をしても、良くて国内プロだっただろう。その道の僕もまた、どうすれば世界で戦えたのかと悩んだだろう。
中学では遅かったようだ。小学校低学年からプロを意識しなければ、僕はその道として後悔なく生きることはできなかった。
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となると、プロの道を選ばなくて良かったのかもしれない。
いまからできること、満足できることとすれば、アマチュアとしてなにかしらの大会でがんばるくらいである。
そして同じくらい、達成することが難しいことを目標に立てることだ。
テニスプロになってどうしたかったか。名前を残したかったんだろう。チヤホヤされたかったし、得た賞金で立派なことをしたかった。
つまり、テニスは手段でしかなく、他の手段をとれば、本来の目的はいくらでも掴むことができる。
手段と目的を見誤っちゃだめだ。目的のために時間を使えば生きるのも楽しいさ。
後悔ばかりしてるのはもったいないぞ。