ホウチガブログ

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〈1177.うまいという文脈〉

12月17日。

 

バイト先の友人たちとラーメンを食べるために遠出した。片道実に2時間。

ラーメン雑誌だと常に取り上げられるような名店。それを昼と夜に一軒ずつ。

 

いやぁ。確かにうまかった。これまで食べたラーメンの中で一番美味かった。

 

たしかにうまい。それは揺るがない事実。

しかし同時に、やっぱりラーメンはラーメンであるよ。

僕はグルメにはなれないようだ。

 

 

一緒に食べに行った友人達は、それはそれはラーメン好き達である。ラーメンを食べるために旅行に行ったりするような、大のラーメン好きである。

その人達がおすすめのラーメン屋に行けるんだから、そりゃあうまい。

 

とはいえなんだな。

結局はラーメンというジャンルに対する想定範囲内でおいしいということである。

とんでもなく美味いものって食べたことはあるけども、結局そのジャンル内で落ち着く。

 

落ち着くとどうなるか。イマイチ味を思い出せないし、また行きたいと思うことはあっても、とんでもない作品に出会ったような衝撃はない。

 

うーむ。そういう人生を揺るがすような出会いに期待していたのだが。

 

 

食事というのは、確かに何を食べるのかというのは大事かもしれない。

言い方は悪いけども、フランス貴族の飯とスラム街の飯では天と地の差があるだろう。

 

しかしだ。「うまい」というものの本質はそこじゃあないと思う。

スラム街の飯でもとんでもなく美味い時もあるし、高級フレンチでも金に見合った喜びを得られないこともある。

 

結局のところ、飯と人生の関係性が「うまい」かどうかだと思う。

 

 

これまでに食べた最高に美味かった飯、と言われても対して鮮明にあるわけじゃあない。

ただ、「おいしいごはん」という文字列から無意識的に想像するその像というのは、実家飯や友人との外食である。つまり、人間関係が同時に浮かび上がってくる。

 

うまいものを食べているつもりが、実は本当にうまいのは良好な人間関係だと思う。

そして同時に食事の文脈だろう。僕は家族に恵まれたので家族で食べる飯が好きである。気を許せる友人との飯も好きだ。友と行く旅先の飯もやたら美味い。

 

そういう時は、飯を食べる前から既に飯はうまいのだ。

美味しい!と思ってから飯を食べているからそりゃうまい。今日食べたラーメンだってそう。行った友たちは口に入れる前からもう笑顔なんだもの。

 

 

もちろん、品定めする飯というのもなくはない。自称グルメな人たちは外食をするたびにそうだろう。

 

そういう飯ってあんまりうまくないんだよな。今回のラーメンがそうだった。本当に美味いのか?と、「飯が一番にあるご飯」というのはさして感動しない。

 

今日得た結論としては、飯のために何時間も旅をしても飯は上手くならないということだ。誰と食べるか、どんな時に食べるか、これが最大の旨いポイントである。

たしかにラーメンよりも待ちブラでたべた串団子のほうがうまかった。

 

あー、そうだ。空腹は最大の調味料でもあったね。団子食べたせいで、ラーメン食べる時もそんなに空腹じゃなかったね。

 

みんなでワイワイ食べるご飯が一番旨い。品評会で食べる飯はそれほどでもなし。