〈1186.自己中心的な情報収集〉
12月26日。
同居人とクリスマスプレゼントを交換することにした。
単純に用意するのも楽しくないので、同じデパートに行き、好きな店に行って、相手のプレゼントを予算以内で用意するというシステムである。
これはなかなか面白くなりそうである。
同じデパートの中を歩き回るので、相手が何をプレゼントしてくれるのか想像しながらプレゼントを用意する。
相手と同じ予算範囲でできる限り予想外で面白いもの。
これは楽しいシステムだった。
しかし結果はというと、二人とも同じものを買っていたという結末だった。
相手がほしいものは、自分が欲しいものだったのかもしれない。
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誰かのプレゼントを買うために大きなモールやデパートに行くとしよう。
相手のことを考えながらたくさんの商品を眺めた時に、どうやってチェックをしていくのか。
一つには、相手の好みを考えるだろう。
趣味や行動傾向、あるいは事前に聞いていたほしいものなど。
もう一つは、自分の好みだろう。
ものを見るときに、無意識のうちに自分の好きなものが目に入る。
それと同時に相手の好きなものを探す思考があると、それがごちゃごちゃになって、相手が好きそうな自分が好きなものを買うことになる。
そういうことで、僕がほしくて、同居人も欲しがっていた「ランタン」を買った。
僕が買ったのはアロマキャンドル用のランタン(カンテラ?)であり、同居人が買ったのはアウトドア用のランタンだった。
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大量の情報の中から必要な情報を選別するのは人によって基準が異なる。
それが目的があれば、その目的に沿った情報を第一に集めるが、同時に自分の好みが反映されるようだ。
色や形状、触感などは物理的な好みはあるだろうけど、良い記憶と照合されたり、理想のイメージと近いものを選んだり。
同じ「ランタン」という対象に対して、カンテラが好きなのは僕だし、キャンプが好きなのは同居人である。
つまり、「ランタン」という情報は目的に適したものだが、「カンテラ」や「キャンプ」という副次的な情報は自分の好みであったようだ。
なるほど、そうなるともっと公的な場面でもそうなるだろうし、客観的な情報だと思ったものでも結局は自分の好みで選んでしまったものであるようだ。
これを前提に色々考えてみると、やっぱり第三者の情報というのはかなり重要であるようだ。