〈1187.泣きたいような〉
12月27日。
そろそろ仕事納めの人も出てきたころだ。車に乗るとどこも渋滞になりつつあり、みんなどこか忙しない。
帰ってのんびりするのか、仕事納めのためにばたばたしてるのか。知る由もないが、そんな人で溢れる街の中で僕はぼんやりとアルバイトをしている。
別に何も不満じゃあないし、今やることをやっているだけである。
なのになんでだろう。泣きたい気持ちになる。
泣いたら楽になるだろうに、別に泣く理由もない。
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赤ちゃんだったら理由もなくぐずっているような気分だろうか。
何に対して不満を抱いているのかわからないのに、不満を持っていたという残滓だけがあるような。
泣いたらスッキリするだろう。わかっちゃあいるけど泣ける理由もないし、むしろそんな簡単な手段で終わらせたいとも思わない。
主人公が救われない物語を読んだからだろうか。
それもあるけど、それが全てじゃない。疑問に対する回答はなにも一つじゃあないらしい。
寒さ、空腹、などなど。
いろんな条件がたまたま重なっちゃったのかもしれない。
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こういう時に涙活をすれば、スッキリするのかもしれない。感動的なドラマを見たり、悲劇を観ればドバドバと溢れて止まらなくなるのだろう。
そのくせ、この泣きたいけど泣けないようなちゅうぶらりんな気持ちでいたいとも思っている。
一体なんなんだお前は。
そもそもななに対する不満から泣きたいのかもわからないのに、その気持ちでいたいというのは物好きである。
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こういう時には、悲しい話を笑い飛ばすようなコメディが見たい。
シリアスな背景を持った人たちが、それぞれの悲しみを笑っちゃうような。
真面目に不真面目な彼とか。あんまり大事なことを自虐せずに大事にし。同時にどこまでもふざけているような。
失恋した時に失恋ソングは聞きたくない派閥である。ずぶずぶと沼に浸かるのではなく、もう踊っちゃえよと。
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泣きたい時はノリのいい曲で雰囲気をぶち壊すのだ。テンションの高低差で酔っ払ったようになる。
泣きながら笑うような、そんな矛盾が好きである。
泣きたくなった時はチャンスである。
踊り狂ったっていいじゃない。どうせ誰も見ていないよ。一人で部屋の隅で暮れるのではなく、夜中の墓場でおどりゃあいいじゃない。