〈1190.コミュニケーション〉
12月30日。
つくづく自分は都合のいい性格をしていると思う。
かつて理不尽な理由で怒られたり嫌なことをされた人に対しても、一ついいことをしてもらえたらオールオッケーになってしまう。
人を信じやすく、信じたい性格として見ているのだと思う。
相手にとっても都合はいい奴になるだろうし、僕も相手のことをいい奴だと解釈したがる。
困った性格をしているよ。
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よく言えば、相手のいいところを見るのに特化したハッピーボーイであるけども、悪く言えば都合のいいポイントしか見ることができない偏見野郎である。
これはなかなかに面倒な性格でして、過去にかなりマイナスな影響を受けた人でさえも、どこかで肯定したい自分がいるわけであります。
つまり、僕に嫌われる人というのは相当な逸材だと思う。
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そんな八方美人でお人好しな僕だけど、こいつはあかんという人がいる。
どこまでも自分中心で、同時に何もしていない人である。
自己中な人でも、なにか成果を出している人であれば、許容はできないかもしれないけど理解はできる。
その性格だからこそ、そういう成功ができるですねということ。
理解ができれば会話をしてもそれほど苦しくない。割り切ることができるため。
しかし、これといってなにもしてないのにやたら自信のある頑固なクソ親父タイプは理解もできない。
その性格だから大したことをなし得ないのだろうと、ラベリングをしてしまって拒絶反応になってしまう。
それはいまの社会においてはそこそこいるんだろうけども、相当な逸材である。
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先日もそういう人と会話をした。
どこまでも自分の軸で評価をする人であり、自分が知らないこと体験してないことは否定をする。中途半端なプライドが全ての会話をつまらなくする。
そんなあかん人であっても、基本的にはいい奴だと信じて会話をスタートするけども、やっぱり途中でシャットアウトする。
相手ありきの会話なのに、相手が誰でもいい会話なんて楽しくないからね。
良い奴というのは、話し相手である私・あなたをきちんと認識し、同じ土俵に上げてくれる奴なんだろうな。
一人相撲をしてたら、最後まで一人相撲になるだろうさ。
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やや愚痴っぽくなってしまったが、これは完全に自戒を込めてである。
ともあれば、相手の話を否定しがちなコミュニケーションをとってしまう。無駄なプライドが邪魔して、楽しい会話を阻害してしまうことがある。
2022年は会話をしてくれる人全員が楽しく過ごせるような、そんな愉快な人になれますように。