ホウチガブログ

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〈1206.ロマン〉

1月15日。

 

弥生時代の遺跡の再現公園に行ってきた。
弥生時代がどんなものだったのか、教科書のわずか数ページ程度の知識しかないし、それも海外の人の残した歴史書を参考にするしかない。
再現といってもどれくらい正しいものなのかはわからない。それでも科学の力を最大限活かして、歴史家の分析のもとの想定である。なかなかに良いところだった。

しかし当時の再現となると、当然のこと派手さはない。木で作られた屋根に土を掘ってできた住居。いわゆる古墳といわれるような墓。物見櫓に原っぱ。
確かに素朴で、その日暮らしの日々だったのだろう。楽しみは祭りくらいで、酒と飯と踊りくらいなもんだろう。

糞の化石があったり、骨の化石があったり、陶器の破片が発掘されたり、そういうのが当時の手掛かりになる。
ロマンである。

 

 

2000年後、3000年後に、今の生活はどんなふうに見られるのだろう。
国という単位も大きくなり、櫓も柵も槍もない。鉄砲や爆弾は一部の施設にしか発見できない、なんとも平和な時代だったと思われることだろう。しかし、海の外を見てみると、各家庭に鉄砲が見つかるし、家がないところで人が多く住んでいたようなストリートもあったようだ。
色んな色を作った服もあるし、デザインも無限である。糞からは肉も魚も野菜も出てくる。

2000年後が平和な世界なのか、ディストピアなのかわからないけど、こういうデータも残ったりするのだろうか。事件が起こって全てなかったかのようになるのだろうか。
そしたら石に掘られたような物理的に残る情報が必要なので、空白の2000年間といわれるのだろうか。
ロマンである。

 

 

その後、街に戻って山の上から夜景を眺めた。
夜景は人間が生活している証拠である。2000年後にはこの夜景はそのままあるわけはないだろう。それでも山はきっと残っているだろう。未来人は山の上から何を見るのだろう。
整えられた夜景はなにに変わっているのだろう。人間たちの生活はどこにあるのだろう。
100万ドルの夜景は、どんな夜をむかえているのだろうか。人はいるのか。虫が静かに囁きあう静かな闇になっているのだろうか。生物の息のない、無があるのだろうか。

ロマンである。

 

 

夜景を見ながら、ロマンチックなことは言えないし、そんなコッパズカシイことできないけども、のんびり考えるのはとても好きである。
古墳の再現や発掘された生活用品から当時を想像するのも好きである。

昨日ほどせかせかしない一日だったけども、とても充実した日だった。
人間とか時間とかロマンとか。