ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1212.アレの話〉

1月21日。

 

ちょっとネガティブな話になるし、触れるべきではない話題かもしれない。
ただ、メモとして残しておきたく思った。
SNSの広がりが、はたして政治の広がりになるのかというと、短絡的にそうとはいえないないだろう。
むしろマイナス効果もあるだろう。
かくいう私もマイナス効果を被っている者である。

 

 

Twitterでは意図せずしてバズっている投稿が流れてくる。
ニュースのアカウントをフォローしていれば、政治家の話題も目に入る。
そういう情報を得て、政治に関心を持つ人が増えるというのもわかる。
しかし、基本的に疲れる情報ばかりである。

政策的な話であればまだ、事実に則った情報が読めて勉強になる。
それが、政治家同士の批判というか、喧嘩というか、罵倒というか。そういうのが多すぎる。

 

 

例えば、友人Aと友人BがSNS上で喧嘩を始めたとしよう。
それを見てどう思うかといえば、当然不愉快である。
関わらないようにしようと、そっとフォローを外すこともあるだろうし、そういうことをいうやつなんやということでブロックするかもしれない。
マイナスな言葉というのは、関係ないこちら側まで巻き込んでくる。言葉というのは呪いを帯びているように思えるほどに。

だから、著名人がSNSで炎上すると問題になるわけだ。
それまで良い人だったイメージが、たった一度の言葉のミスで悪者イメージになったりもする。

 

それが、政治家は職業柄仕方ないのだろう。
敵政党の悪い部分を批判するし、政策が失敗すれば問題点を上げる。
主張の食い違いがあれば、「ロジカルに」自分の主張の正しさ、相手の主張の矛盾を取り上げる。

「ロジカル」であるうちはまだ良い。そこには人間として最低限の敬意が相手にあることがあるもの。
それに「ロジカル」が失われている言葉がよく出てくるようになる。

こうなると、友人AとBの喧嘩と同レベルである。

 

会社で意見の食い違いがあったり、気に食わない奴がいたら、そういう喧嘩を反面教師にしたい。
相手を陥れ、自分が優位に立つことだけを目的にした言葉ほど愚かなものはない。
結果として、そういう言葉を使うやつは、気に食わないそいつと同レベルにほかならない。
民間人レベルであればこれでいい。
愚かな奴は無視して、建設的な議論をすればいいだけである。

 

政治家となるとそうはいかないのだろう。
足を引っ張られるような情報を相手が持ち出してきたら、国民・市民に対して悪いイメージがついてしまうもの。
政治家のイメージはかなり重要だものね。それを払拭するために、その情報の非正当性を訴え、そんな話を持ち出してくる相手が悪者だと主張するのもわかる。

だからそれを見ている我々は疲れるのだろう。

 

 

じゃあ政治家はどうしたらいいのさという話になる。
そもそも人間同士の会話であるので、最低限の敬意を示すべきである。
相手がどんなに敬意を欠いた態度を取ってきても、基本的には丁寧に接してほしい。

街中で殴ってきた奴に対して、丁寧に接するのかといわれるとそうではないかもしれない。
そこで殴り返さない奴は搾取されるだけだというのもわかる。

 

しかし、政治というのは暴力ではないはずだ。
政治における弱者は殴り返さない奴ではないと思う。強者というのは、相手の言葉の暴力に対して暴力で返す奴ではない。
ロジカルに打ち負かすことだろう。
ロジカルというのは、つまり頭の良さである。頭の良さというのは、言葉の節々から溢れるものであり、もっと言えば仕草や行動の一つ一つから出てくるものである。
人間としての高貴さが、強者か弱者かを決めると思う。

 

とまあ、理想論なのかもしれない。
実際は殴り合いの強い人が、カリスマを持つような側面も政治にはあるだろう。

 

 

実際のところ、そういうネガティブな情報は多くないのかもしれない。
でも疲れる情報というのはインパクトが大きい。その結果多いように思えてしまう。
政治に関わらない。どんな人間でも、高貴さを忘れてはもったいないと思うな。

かっこいいプロの人は、喧嘩するよりも自分を高めることに集中していると思う。
そういう人の集まりになったら好きになるんだけども。