ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1233.最後の〉

2月11日。

 

春休みの計画を立て始めている。
他の人より数年長かった学生身分ともお別れである。
計画を立てるとはいえ、海外旅行は不可能だし、そんなにお金があるわけでもない。
できることは限られている。

だけでも考えるだけでもわくわくするもんなんですな。

 

 

例えば友人に会おうと思う。
高校時代を共に戦った奴とちょっと車にでも乗ってふらふらしよう。
歌を歌ったり、昔を懐かしんだりする道中もきっと楽しいだろう。
目的地に着けば、当時みたいにアホなことをしてきっと面白い。
お酒でも飲みながら大人になった今を喜び会うのもいいだろう。
そしてそれぞれの道を進んでいく。たまたま重なり合った縁を大事にするにはもってこいじゃないか。

大学時代の奴と会うのもいいな。
すでに仕事をしているやつからいろいろ聞いて回るのも面白い。
大学時代を過ごした街を歩くのも、記憶の断片を回収する旅みたいで面白い。

やはり友人との関係を確かめ、自分のルーツを確認してから、これからの世界に進むのが良いかもしれない。

 

 

なぜ学生最後の休みに海外旅行が良いとされるのか。
単純に長期休暇を取れることがなくなる前に行っておこうというのもあるだろう。
海外で普通じゃない空間に身を置く経験をしてみる、そういう欲望を解き放ってみる、そういう一種の学びを若いうちにするべきだという意見もありそうだ。
留学などに消極的だった人も、旅行なら敷居が低くなるのもあるだろう。

そう考えれば、海外にわざわざ行く必要もない気がしてくる。
文化的な「普通」が異なる空間は基本的には海の外が思いつくけども、都会育ちであれば田舎が、田舎育ちであれば都会がそれである。
大阪育ちの人が群馬に行くと、地下鉄がないことに怒りを感じるとか言っていた。そんなんしゃあないやんけ。
東日本育ちの西日本、西日本育ちの東日本だっていいかもしれない。沖縄・北海道だってそうだ。
異文化というのは、もちろん海外が手っ取り早いけども、国内だってどこにでもある。
ホテルじゃなくてゲストハウス、観光じゃなくて体験だっていいかもしれない。

 

 

なにも長期休暇で経験すべきことが、未知のことだけじゃあない。
これまで経験してきたけども、記憶の彼方にあるものを掘り出すのも一つの大きな学びである。
大学時代を過ごした場所が遠ければそこに行ってみるのがいいだろうし、小さいころ育った町にいってみるのもいい。
すべて地元生まれ地元育ちであれば、血の記憶をたどるというのも面白いかもしれないぞ。

アフリカの観光研究だと必ず出てくる「ルーツツーリズム」。
自分の先祖が生まれたアフリカの大地を、子孫である自分が歩くとどんな気持ちになるのかというものである。
国という単位で考えなくても、生まれとか血筋とかにこだわらなくても、自分のルーツは必ず今とは違うところにある。

未知との遭遇である。

 

 

どうせ最後の休みであれば、記憶に強く残る時間にしたい。
バイトの経験もひとつかもしれない。でも日常からはみ出した時間もたまにはいいじゃないか。
既知との遭遇でも、未知との遭遇でも、感情が昂れば、記憶にはいくらでも残るだろう。

思わず声が漏れてしまうような、そんな休暇が良いね。