ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1234.多人数相手について〉

2月12日。

 

1234回目の投稿。


うーむ。実に長い道のりを歩んできたものだ。
昔の文章を読むと、なんとも恥ずかしいものばかりである。
共感性羞恥で見ていられない文章ばかりだったでしょう。
今が恥ずかしくないのかと言われれば、そうでもないけども。それでも昔に比べたら読まれても良しとできる文章が増えた気がします。

恥ずかしい文章であっても、書いている当時はドヤ顔だったんだから怖いものだ。

 

 

しかしながら、文章というのは改めてゴールが見えないものだ。
絵や映像もきっとそうなんだろう。自分の理想は頭の中にあるかもしれないけども、それに形を与えようとしてもそのまま出てきてくれることはない。
だから楽しいのかもしれないけども。
人間はよくもまあそんな難しい概念を生み出したもんだ。

一体どこまでいったら僕はこの更新をやめるんだろう。
恥ずかしいのかもしれないけども、でも楽しさを感じているから続けてしまうのだろう。
それはやっぱり理想に近づく面白さかしら。それとも考えていることに形を与えることですっきりするところだろうか。

これで金銭が関わってきたらまた別になりそうだ。
仕事として、相手が満足するものを提供しなくちゃならないとなると、楽しさよりも使命感が勝ってくるだろう。
挫折するYoutuberってきっとそんな感じだろう。

 

 

たぶんスポーツ選手もそうだ。
楽しいからあるのであって、楽しくなくなればコーチにもなれる。
長く生活をしているスポーツ選手やYoutuber、芸術家はなにを思っているのだろうか。

自己満足に終始なのか。お客さんや観客、視聴者とのバランスはどうしているのだろう。
1対1の関係であればいくらでも修正できるけども、1対無数となればなかなか難しい。
相手の出方に合わせての対応が不可能である。全体としてこういう方向になってきているから、それに対応してこうしようとはできるけども。
そんな単純に相手が変わるものじゃあない。

つまり、人間関係というのは自分が変わると相手が変わることを前提にしているのだろう。
それがほぼ不可能な無数を相手には、自分の在り方もかなり難しいのだろう。

 

 

となると、相手は特定のだれかに想定・決定して、その人が楽しんでくれるのがいいのだろう。
スポーツであれば試合に対してはどこまでも自分との戦いだろうけど、ファンに対してはそういうところだ。

つまり、大事にする少人数のことを思い続けることではないだろうか。
ホウチガであれば、メンバーとか、今読んでくれているような数少ない読者の人である。
それが正解な気がしてくる。今は。