ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1240.PKサヨナラだ〉

2月18日。

 

所用で京都に行った。
卒業までに大学院にいくのはたぶんラストである。
そう考えると、見える景色全てが愛おしくなる。
街並みはもちろん、研究室や遠くに見える山々。
そして、同期の友人とサクッと飯を済ませた。
就職で東京に来る奴もいるけども、同じ身分で飯をたべるのはきっともうないだろう。
良いところだった。いまだからこそ、そう言えるのかもしれないが。

 

 

大学院というのは単純に研究するためのところというわけではない。
みんなそろいもそろって20代中盤であり、人によっては30代である。
大学の続きではあるけども、同時に「生きる」ということについて切実に考える人たちの集団である。
研究職で生きていくのはなかなか難しい。コロナの影響もあって現地へのフィールドワークにもいけない。安定した収入を得るためには、大学の補助教員を担当することが一番である。
奨学金をもらえるようになったら一番安定ではあるが、期間が定められているし、なにより競争率が激しく難しい。バイトをする人もいる。
天下一を目指す芸人に近いようなところがあるような気がする。精神的に落ち着かないのが大学院だと思っている。

 

 

いわゆる社会のレールに乗ることを回避した人たちである。
僕みたいに普通に就活する人もいるけど、そのまま研究を続ける人、海外で仕事をする人、消失する人などなど。
就活や労働というものを遠くから眺めるには必要な時間だった。そもそもなんのために仕事をするのか、なんて就職した人にはわかるまい。

そんな20代前半をともに過ごした同期である。
単純に仲良かった学部の友人とは違って、一つ二つの問題が発生したりもした。だからこそ、ディープな相談もできた気がするし、するべきではなかった話もあったかもしれない。
なかなかどっぷりだった京都も青春としてはラストである。
楽しかった。

 

 

たぶん次に会うのは会社で働き始めてからだろう。
とおくから眺めていた「労働」に身を置いてみて、僕はどんなことを感じるだろう。友人たちはどんなふうに変わっているだろうか。

 

この2年から3年で感じたこと、考えたこと、話し合ったことはとても良い財産である。
感謝しかない。ありがとう。