2月22日。
夢に出てきた話が、それを見ているときはめちゃめちゃおもろいやん、こんなん物語にしたろ!と思うが、起きてメモに文字起こししてみるとくそほどつまらないことが無限にある。
それは置いといて、夢で見始めたらどうだ、というのは良い指標だと思う。
友人は、「夢でも働き始めたらちゃんと寝る」と言っていた。
夢で見るというのは、それくらいその出来事に真摯に向き合っているか、あるいはおいこまれているのかを測る指標になるだろう。
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例えば、僕が高校生の時に母親に心配されたことがある。
こたつで居眠りしていたら、「Yが3なんだから、Xは8でしょう」とかなんとか寝言を言っていたらしい。つまり、夢の中でも受験勉強をしていた。しかも大の苦手な数学。
確かに、受験期というのはそれだけで頭が一杯だった。
起きてすぐ勉強机にむかい、ノートに向かって色々書きなぐって、昼飯の時にも暗記帳を持ち、電車移動は絶好の英単語暗記時間であり、寝る前も数学一問解いてから、なんていう日々を半年くらいやっていたわけだ。
それがすべてになっていたのは否めない。だからこそ、寝ても覚めても勉強だった。
これが勉強という自分のための時間であれば別に大きな問題でもないだろうが、会社という他者のため、ストレスを回避するため、という時間に寝る時間も使うようになったら大問題だ。
それこそ眠りは浅いだろうし、永遠にストレスが付きまとってくる。
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夢というのは、一日で起きたことを整理するために脳が活性化しているときに発生する現象だとか聞いたことがある。
つまり、一日のうち、長い時間占めていたものや一瞬だけど衝撃が大きかったことが夢として見ることになると考えられる。
であれば、僕が夢の中で「おもろいやん!」と思うことは、クリエイターになる身分としては良いことだ!ただ、それがくそほどつまらないのは大問題ではあるが。
これに似たような話で、神社に毎日通う人の話がある。
毎日神社に挨拶に行き、ひとつのことを願い続けたら実現できるというやつ。
これは至って単純な話で、神様がかなえてくれたのだ。
という話ではない。毎日、お願いするくらい短い言葉で、リアリティをもって言葉にすることで、それを実現するために、毎日の小さな行動も変化するようになる、という啓蒙書に書いてあるような話である。
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夢に見ることが正夢になるというのは、それに近しい何かだと考えられる。未来予知という可能性も否めないけども。
鮮明に見られれば見られるほど、現実での影響も大きい。
夢の中でも仕事をしたらメンタルにも影響が出るし、夢の中でも楽しい思いができれば良い一日になる。
でも、それは結局日々の積み重ねの結果、現れるものである。
そしたら、毎日細々とでも続けることが一番だということだ。
それの一番簡単でなかなか難しいのが、神社に挨拶に行くということである。
いい夢見ろよ!