ホウチガブログ

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〈1252.嘘〉

3月2日。

 

嘘をつくと、その嘘を固めるために別の嘘(嘘´)をつかなければならない。
その嘘´を固めるために、さらに別の嘘(嘘´´)をつかなければならない。

 

先日、友人にちょっと出来事をごまかすために小さい嘘をついた。
それがちょっと遠い友人だから大きな問題にはならずに流されたけども、心ここにあらずな会話になってしまった。
なんとも後味の悪い日になってしまった。
嘘というのはつくべきではないよ。

 

 

冗談でよく嘘をつく。
しかし、それは嘘だと理解してもらえる人ではないと使えない嘘である。
相手がツッコミ役だと認識したうえで、それを相手も認識したうえでの嘘なら笑いになる。
そしてその嘘は、誰も傷つかない、傷ついて良いのは自分だけのものであるべきだ。

 

嘘というのはなかなかひとくくりにできない。
現象としては、現実とは違う出来事を本当のことのように話すこと、という点では同じだけども。
自己保身のための嘘なのか、相手のための嘘なのか、盛り上げるための嘘なのか。
自己保身の嘘を「ごまかし」として、相手のための嘘を「優しさ」として、盛り上げるための嘘を「冗句」とする。
ごまかしは、当然雪玉のようにどんどん大きくなって最後には自分でコントロールできなくなる。
優しさは、ばれなければ幸せに終わることができるが、ばれた時に最大限の傷を負わせることになる。
冗句は、理解できない相手であれば、ただの悪口である。

いずれにせよ、諸刃の剣ということだ。

 

 

嘘というのは、なかなか判別が難しい。
というのも人によって見える現実は違っており、データのような数字でさえもレトリック次第で嘘になりえる。


それは果たして嘘なのだろうか。

スポーツで審判の判定が明らかに間違っていても、それは嘘なのか。審判にはそう見えていたという一つの事実である。それを否定したい選手は当然ながら抗議をするだろう。場合によっては覆る。
これは嘘をついたわけではない。その人にとっての真実が、事実とは異なっただけだ。

つまり、故意かそうでないかで質が大きく変わってくる。
しかし、故意かどうかを判定する手段は、うそ発見器でもない限りわからない。

 

 

それでも自分自身は理解し続けてしまう。
罪悪感があれば、どんどん大きくなり、心をゆがめていくだろう。
事実から目をそらし続ければ、心が蝕まれていく。
一種の呪いだ。

そんな嘘も時間が経てば変わってくるかもしれないし、事実も真実も変わるものではある。
呪いも永遠のものではない。
しかし人によっては効力が絶大な場合もあるし、それは前後関係とタイミングで効力が変化するから毒である。

 

嘘はよくないぞ。