3月4日。
「これまでにないくらいTwitterが荒れている」
そういう話がタイムラインで流れてきた。
なるほど確かに感染症のことや国際情勢に関する話題、政治家の発言などを細かくチェックしている人が多いような気がする。
そしてそういう情報は対立や怒りに溢れていたりする。
感染症からの戦争で、Twitterに滞在している人たちのメンタルは荒んでいるようだ。
しかしアカウントを変えてみるとびっくり。
まるで戦争なんてないかのように、平常運転なタイムラインである。
これまで通り、上手い店やかわいい絵、綺麗な風景など。
アカウントAでは平常運転だけど、アカウントBでは大荒れしている。
Twitterに代表されるような情報空間って不思議だ。
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そもそもその情報を集めているのは自分である。
アカウントAでは、例えばゲームの情報や好きなキャラクターの絵をあげている人たちをフォローしており、アカウントBでは、好きな芸能人やスポーツ選手をフォローしている。
そしたら、Aのほうでは世界情勢にあまり関係のない趣味空間が広がるが、Bでは多少なりとも政治に関わってくる。
つまり、ネット空間においては、自分が興味のある情報が目につくようになっており、それはつまり自分自身の思想や考え方、興味関心が投影される。
「Twitterが荒れている」というのは、その人自身が荒れているということだと思う。
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学校や職場と違って、ネット空間において目につく情報というのは、ある程度自分で制御できる。
目にしたくない情報があればブロックでき、なにひとつ強制されていない。
自分の好きがそのまま投影されるのがネットであり、SNS(Twitter)である。
それが荒れてしまっているというのは、自分が意図せずともそういう情報が目につくようになってしまう。
その結果、自分も荒れてしまう。
最初は自分の好みを反映させて構成されてきた自分のネット空間だが、いつしかネットが自分の好みを構成し始めるというわけである。
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最初の話に戻って、アカウントA(趣味)を中心に据えている人は国際情勢に疎いかもしれないが、その分メンタルの揺れも大きくはないだろう。
アカウントB(ニュース系)を中心に据えている人は、様々な社会問題に対して積極的に情報を取りに行っている分、メンタルの安定度は揺らぐだろう。
「情報→心」という影響関係があるが、そうなると「心→情報」にもまた戻ることもある。
というのも、不安定な気分だと落ち着かないのでそれを合理的に理解したくなったりするからだ。
「容疑者Pに死刑判決が出ました(情報)」→「なんで容疑者Pはこんなことをしたんだ(心)」→「なるほどPは職場でいじめられていたのか(情報)」
つまり、情報と心の関係はスパイラルに出来上がっていく。
どこかで止めなければ、どんどんストレスになっていくし、逆に幸せになるかもしれない。
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ちょっと疲れてきたなあと思ったら、脱ネットも重要な選択肢である。
不安だからといって新しい情報を探しに行くと、結果的により不安になったりするのは誰しも一度は経験したことがあるだろう。
不安になったら、目の前の現実に戻ってくるのが大事ですね。湯船につかって、お湯を飲んで、布団を被ってしまうことだ。
そうしないと、陰謀論にはまったり、カルト的な教えに逃げ込んだりしてしまうからね。
のんびり瞑想するのもいいんじゃないの。