ホウチガブログ

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〈1257.倫理観とか正義とか〉

3月7日。

 

1週間と半分がすぎた。国家間戦争がはじまってからもう時間がかなり過ぎている。まだ収束しない。悪化するばかりである。

情報を追いすぎるとしんどくなるから、あんまり深入りしないようにしているけれど、それでもやっぱり気になる。

 

それでも、嫌なことに戦死や死者という文字に対する耐性が出来てしまっている。

歴史で学んだ戦争は、年単位で終結までかかっているんでしょう?倫理観ずれてきちゃうよ。

 

 

歴史で出てきた戦争に比べて、今起こっているのは単純に技術力の拡大で規模が大きくなってしまっているのもあるだろう。

だとしても、これが何年も解決までかかってしまうとどうも感覚がずれてくると思う。

 

しかし、これも結局自国が間接的にしか関わっていないからだろう。本当に巻き込まれるようになれば、全く別の世界に見えるんだろう。

 

 

自国が仕掛けた戦争反対のデモに参加すると逮捕される。

正義がなんだかわからなくなるだろう。

今の日本であれば、そんな理由で逮捕されるわけがないと信じている。その前科が理由で生活がしにくくなるという未来も考えられない。

少なくとも、そういう倫理観が国にあると信じている。

 

実際にそうなってしまったら。

反戦と声を上げることもできないし、国の方針に従うことが良しとされる。教員もそういう指導をするだろうし、反対意見を出す会社は生活しにくくなるだろう。

 

そうなったら、「逮捕される=悪」というわかりやすい世界ではなくなる。

信じられるのは自分の倫理観と直感である。

 

 

こう書いてみて、「倫理観が国にあると信じている」という時の「国」は何を指しているのか。

 

国全て、というのは無理がある。

今起きている話だって、トップがおかしいし、それを支持する人間がいるから起こってしまっている。

市民全て、というのも無理だ。ロシア国内でも両方の派閥があるわけで、ウクライナ側でもほうだ。

世論という曖昧な存在に倫理観を委ねるのも危ない。そんなものプロパガンダで何度も何度も刷り込まれたら、いくらでも価値観は変わってしまう。

 

おそらく、憲法を変えるとかそういう時の数字としての国民の半数、ということになるのだろう。

 

 

Twitterを見ていて気付かされた。

適当なことを言わずに勉強してこいと思うけど、それを書き込んでいる人は自分が勉強していると思っているのだろう。

 

これはもちろん勉強の深さというのもあるけど、価値観や考え方、倫理観も関わってくる。

そして、正義に対する姿勢にも関わっている。

自分の正義を信じるのは当然のことだろうけど、それを押し付け始めたらそれは危険だ。

 

何が正しいのか、ちゃんと判断できる脳みそでありたい。

でも「国」の舵取りと自分の正義がずれてきちゃったら、国外逃亡するしかないよなぁ。