ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1258.批判と敬意〉

3月8日。

 

やはりSNS関連の話題になってしまうが。


政治家Aは意見を主張する際に、他者を批判することで、自分の意見を補強するという特徴があるという投稿があった。
言われてみれば、その政治家がなにか意見するときは大抵批判から始まる。
だからだろう、僕はその人が苦手だった。
そもそも政治家の発信を好んで見るわけではないけども、特にその人は目についてしまう。だからミュートすることにしている。

 

 

批判というのは敬意がなければいけない。これは肝に銘じておくべきだ。
というのも、自分の意見として批判を公にできるのは、なにをかくそう相手の意見というたたき台があるから始めてできることだ。アホな意見に見えても、その意見があって始めて気づくことがある。
そういうアホな意見が出てしまうくらいにわかりにくい議論をしていた、という発見が少なくとも見つけられる。

 

さらに、政治家であれば失策だったと批判をすることもある。
それこそ、敬意を持つべきだ。着服をしていた、というような愚かな行為ではない限り、その人なりに考えることがあってやったことだ。
たとえ失策だったとしても、批判をしている人はなんにも責任がないので好きなことが言えてしまう。
しかし、その失策をみて、次のステップに活かすことができるのは他でもなくその人である。

 

 

とはいえ、批判をするときには頭に血が上ってしまっていることが多いだろう。
かくいうこの文も、三回目の書き直しである。というのも、あまりにも非難が過ぎていて、自己満足に思える文章になってしまったからだ。

批判をするときに、自己満足ではないかを常に考えるべきだ。


自分が正しいと主張することでなにをしたいのか。世直し的な崇高なお考えなら、まあいいや。マウントだったり、自己保身だったり、承認欲求だったりすることが少なくないだろう。
そんなもの、自分なら気持ち良いかもしれないけども、自分以外の人間はまったく興味がないだろう。

 

 

どうしても自分の大事なものが踏みにじられて、批判をすべき時というのはあるだろう。
そんな時は、ことを憎んで人を憎まず精神というか、人格批判は回避すべきというか。
とにかく相手と同レベルな言動は避けるべきだ!相手と同レベルというのは、視野の狭さ、自分重視な行動を避けるということだ。

相手は赤ん坊だと思えばなんにも怒りはわいてこない。哀れみである。
とはいえ怒りが抑えられない時があるけども。そういう時は満腹にすることですね。