ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1264.ひさしぶりの再会の時〉

3月14日。

 

久しぶりに会う人と、どんな自分で会えばいいのだろうか。

例えば小学校の頃の、親友とまではいえないけども同じクラスだったり隣の席だったりしたやつ。何度も話したことはあるし、当時はそこそこ仲がよかったし、SNSでは繋がりがあったりなかったり。

 

実際にあったわけではないが、もしもを想像するとなかなか難しいぞ。

 

 

特に性格が大きく変わったら難しいだろう。

今でも親しい奴は、僕が知り始めてからはそんなに話すほうではないけども、急に小ボケを入れてくるような変な奴である。そいつは小学生の頃はおしゃべりで、ネタ要員だったらしい。

 

もしこいつが、僕と一緒にいるときに小学校の友人と出会ってしまったら、なかなかカオスになる。

小学校の友人には超絶陽キャだが、僕と話すと陰キャになる。いや、どちらにも陰になるか、陽になるかのどちらだろう。

そんなに器用に性格を使い分けるのはできないだろうし。

 

 

僕の場合は、小学生の頃は絵に描いたような真面目さんだった。ボケることもなければ、人前では赤面するだけだった。

そのため、友人と話すときも基本的には受け身であり、そんなにガンガンいくようなやつではない。

 

しかし中学になって、部活で結果を出して自信がついてくると多少のネタ要員になり、男子高校では、どれくらい面白いことを言えるのかが大事なポジションだったりした。

もちろん共通点として、陰な空間は抱えているので、さっきの例の友人ほど苦労はしないだろうが、それでも性格を変えなければならないのだろうかと考えたりする。

 

 

小中高と、同窓会が成人式の時しかなかった。もしかするとハブられているのかもしれないが。

だが、もうじき20代も後半にさしかかる。同窓会の一つや二つ、あってもおかしくないだろう。

 

そもそも今になって出席して楽しい会になるか甚だ疑問ではあるが、友人には会ってみたい。

となると、自分の立ち位置は難しくなる。

中高以降の元気な俺なのか、当時の真面目な僕なのか。

そんな余計なことを考えなくちゃならない程度の友人であることは否定できないのだが。それくらいのやつに1番あってみたいじゃない。

 

そもそも、性格を考えなくていいような友人とはいまでも時々連絡したり会ったりするもの。

 

 

しかしながら、そんな当時の仮面をかぶって会っても楽しくなさそうだ。会話が盛り上がることもなさそうだし、なにより自分の態度が演技だとバレると気まずくて仕方ない。

 

となると、諦めて今の自分であることが楽しむためには必要なんだろう。

お前むかしと変わったな、って言われるのが嫌だからわざわざ考えてしまうのだろうか。なんでだろうね。