3月15日。
バイト先で、人のマイナスな面を見ることがある。
ため息ついているのを見かけたり、愚痴を言っていたり、悪口を言ったり、ごまかしたり。
どれも、ストレスに対抗する手段だったり自己防衛なところがあるから別に否定はしないし、僕自身もしたりするから否定する権利もない。
ただ、そういうのって間違いなく連鎖しているという理解の話。
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一緒に仕事をしている山田さん。ずっと仕事中にため息をつく。
ため息をついている人を見ると、こちらにも感染してくる。そして私もため息をつく。良い効果なし。
休憩に入って、川島さんと取るに足らない話をする。ストレス発散できればいいけども、口という手段だと良い気分にはならない。
愚痴の根底には不満がある。その不満を相手と共有したところでなにも現状は変わらない。理解してくれる相手がいる嬉しさはあるかもしれない。でも不満の根源がなにも変わらなければ繰り返されるだけ。
不満をシェアしたメンタルで、また仕事で山田さんと一緒になる。ため息をする山田さんにイライラするかもしれない。またため息をつくことになるかもしれない。
山田さんが明るい人ならネガティブな環境にならなかったかもしれないし、川島さんが楽しい話をしてくれれば山田さんのため息の原因を突き止められたかもしれない。
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ただ、不満や悲しみを理解してくれる人間がいるというのは、とても大きな助けでもある。味方が一人でもいるというのは、それだけで希望である。
だから、ため息をつく、愚痴を言うをすべて否定しないし、むしろ奨励すべきところもある。
ただ、それしか吐口がない人生ってちょっと悲しいな。
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一番の特効薬ウォーキングだ。あれは最高だぜな。
今着ている格好のままでいい。わざわざジャージを用意する必要もないし、本格的運動靴なんていらない。
ウォーキングという名のお散歩である。ただ、お散歩というと、風景を見たりするようななにか目的が必要な気がする。
そういうんじゃなくて、歩くことが目的の散歩、つまりウォーキングである。
音楽を聴きながらだったり、YouTube流したりしながら、ひたすら足を上げることに意識を向ける。体があたたまったら、ちょっと小走りしてみるのもいいかもしれない。フォームとか気にせず、歩きたいから歩く、走りたいから走る、みたいな。
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運動することに目的を置くと、ストレスの原因を一時的にではあるけど意識をそらすことができる。そしたら現状をちょっと距離を置いてみることができる。
そしてちょっと運動をすることでとんでもない自己肯定感を得られる。今日は健康的なことをしたぞと。
悪いことといえば、汗かいて疲れるということだ。ただ、全く疲れない日というのは寝つきが悪いのだ。
牛丼の紅生姜同様、ちょっとスパイスがあるくらいが一番食が進むし、継続的に可能である。
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ため息ついた自分に気がついたら、下降気味な心に気がついたら、悪口を言ってしまったら、近くのコンビニ、スーパー、公園まででいいから散歩しよう。
自分がマイナスだったと気づくだけでも、今より良い気分になるから。