ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1280.最後の旅〉

3月30日。

 

最終日。
西成の狭いベッドで目を覚まし、音を立てないようにしてゲストハウスを出る。
さて最後の旅の、最後の日である。
旅の目的は、青春を過ごした場所で我々の起源を辿ろうということである。
ならば、住処だった茨木市、共通の興味としての京都できまりだ。

カオスな街から平穏な茨木に向かう。



友人の住処だった南茨木を歩く。
大阪で大きな地震があった時には、1人でいる恐怖から逃れるためによく友人の家に来ていた。
くそ辛いカップラーメンを買ったセブンイレブン。夕飯を共に食った後、家まで来るのに使った住宅街の狭い道。なんともない風景だけれど、あちこちに記憶のかけらが落ちている。
それをそれぞれに集めながら、思い出話をすると、やっぱりちょっとだけさみしく感じたりもした。
タイミングよく桜は満開である。

 


11時開店の思い出のラーメン屋に行く。
「ラーメン荘 地球規模で考えろ 〜未来へ〜」というかっこいい名前のラーメン屋である。いわゆる治郎インスパイア系の大盛りラーメンである。
僕はこの近くに住んでいたので、気に入っていた時期は週に3日4日来ていた。
インターンでメンタルが削れた時、院試の準備で空腹な時、論文がめんどくさくなった時。二郎系ラーメンはどこにでもあるけれど、どこも少しずつ違ってくる。友人もよくこの店に来ていたからこそ、意見は一致した。ここが一番うまい店だ。

かつてと同様大盛りを注文し、だけどかつてとは違って野菜はマシマシにはできなかった。もうアラサーである。胃袋も小さくなるわ。
かつては早食いを勝手にしていたけれど、その癖がよみがえってくる。意味もなく麺を詰め込めるだけ詰め込み、良く嚙みもせずに胃に流す。
うまい。
ロット制で出てきた5人の中で一番早く食うのは僕のほこりである。

食うのが遅い友人を残して、近くのスーパーオアシスで待ち合わせ。これも当時と同じ。
これをするのは人生で最後だろうと思うとなんだか感慨深い。
25歳になった私も、20歳になったころも私も、同じ感想だった。
20歳の私は家に向かう。25歳の私は真反対の方向に向かう。
キャンパスを観たくなるもんなのよ。


明後日入学式だろうか。いろんなところが入場制限されている。
それでもキャンパスはキャンパスだ。我々の代が入学するときに開いたキャンパス。まだまだ綺麗。
ちょっと散歩し、写真を取るとすぐ満足した。
記憶のかけらはたぶんすべて拾っただろう。
夜中まで語り明かした公園も、昼間は当時と変わらず小学生と幼稚園生とママたちの集いの場である。我々が長居する場所ではない。
慣れ親しんだ茨木駅も最後だろう。良い4年間だった。



京都駅で大きい荷物を預け、バスで嵐山に行く。
観光客でいっぱいだった。
渡月橋を渡り、アラビカという最近人気のコーヒーを川岸で楽しむ。


友人は協力隊員として中東地域に2年行く。
アラビア語を勉強し、いろんな注射も打ち、準備を整えている。適応能力が高いこいつは、ベトナムやらインドネシアやらでも長居し、それぞれに仲間を作って楽しそうにやっている。
将来はどうなるかさっぱりわからないが、どうせ楽しくやるのだろう。
昔話をし、これからの話をする。また夕方前なのにしんみりするのはちょっと違うぞ。

嵐山にもそいつと来たことがある。西行井戸というところで傘を壊した思い出がある。そんな笑い話を広いに行くために、20分くらいまた歩き始めた。



渡月橋付近はいつも大盛況だが、ちょっと竹林を抜けるときゅうにがらんとする。
こっちのほうが風情があっていいぞ。今日は行かなかったけれど、あだしの念仏寺なんか最高だ。
その手前の西行井戸の付近も竹林と自然があっていいところだ。

何年前か忘れたが、その時は同じ立命館大学生として歩いていた。今はそれぞれ違う立場である。でも記憶が戻ってくると、当時とまったく同じような立命館大学生として歩いているような気分である。
だれもいない静かな通りで大爆笑するような愚かなところがまだあるわけです。なつかしいもんだ。


阪急電車に乗って、河原町に戻り、ラウンドワンでPONGやらボードサッカーゲームで遊んだあと、二人で真面目な話をする時に使っていたサンマルクカフェに入った。店舗は違うけれど。当時と違ってベトナムコーヒーはないけれど。
結婚の話とか、将来の話とか、不安なこととか。話題は年相応になったけれど、聞く態度・話す態度は変わってなくて安心した。



旅の締めに向かう。
錦市場近くにあるレトロな銭湯で温まった後、バーに入る。
良い酒を低価格で出してくれるところ。お酒の美術館。
最後の学生旅行だと話をすると、やたらサービスをしてくれた。つまみを出してくれたり、好きそうな酒を教えてくれたり。


ちょっと度数の高い酒ばかり飲んだからだろうか。友人は旅を「人との出会い・運の楽しみ」と総括をしてくれた。
僕は観光を大学院で研究し、彼は隊員として観光地開発に向かう。そんな我々が観光客として楽しんだこの3日間は確かに人間に恵まれた。
目の前で最上のサービスをしてくれるバーテンダーの佐藤さんも、昨日の新喜劇の芸人だって、いつものラーメン屋の兄ちゃんも、結局人との運に恵まれたから楽しい。
そしてたまたま見つけた銭湯も、寺も、運が良かった。


ただ、解散したいま思うのは、運がいいと思える人間であるということだろう。
おなじような旅程だったとしても、不運だったととらえるポイントはいくらでもあるし、楽しくなかったという総括をする人もいると思う。
なんで運がいいと思えたのか、楽しいと思えたのか、単純に陽気なやつだからというのもあるだろうけど、旅というのはやはり人間の関係である。僕はその親友がいたからこそ楽しかったし、たぶん彼も僕だからこそ楽しかったんだろう。

まあ言ってしまえば、そんな親しい友になったのも、すべて運が良かったからである。たまたま最初の授業が同じで、直後に行ったサークルの歓迎会で会ったからだ。
人生というのは、結局「その人自身の人の良さ」と「人の出会いの運の良さ」だろう。そういう意味では、旅行というのも同じである。
旅行というのは、一つの小さな人生のようなものだろうか。
酔っているから、こんなコッパズカシイことも書けちゃう。お酒って怖いね。



そしてやっぱり忙しくなった。
夜行バスの出発まで30分。ちょっと慌てて電車に乗り、預けていた荷物を回収し、トイレで歯磨きして、コンタクトを外す。出発まで10分。


結果とか出さなくていいから、とにかく生きてくれ。酔っぱらった俺はそんなことを彼に言った。
生きていれば、また会ってこんな楽しい思いができるのだ。


次は帰国後か、中東で会うことになるか、出発前の空港か。どこかはわからないけれど。また会おう。
そう言ってなんでか今回はハイタッチで別れた。
次あったら、なんであの時ハイタッチしたのか、理由を聞かなくちゃいけない。
ちゃんと回答を得られるまでは健康でいてくれ。



僕の最後の学生旅行は夜行バスに乗り込んで終わった。
激動の18歳から24歳までの記憶の断片を集め、そして社会人になる。
いったいどんな一年が待っているのだろうか。
色々考えようと思ったけれど、酒が回ってよく思考できず、そして暗くなった車内ではもうなにもできなかった。
さよなら学生の私。