ホウチガブログ

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〈1305.認知と記憶〉

4月24日。


認知特性という言葉がある。
人が物事を認知するには色んな型があるだろうという話だ。
その中で「聴覚優位」「言語優位」「視覚優位」というグループ分けができるらしい。
自分の中での優位性がわかっていると、昨日の記憶問題もずいぶん楽に考えられそうだ。



昔、学習塾に通うか通わないかという話があった時に、母親によく言われたことがある。
「1人で勉強するほうが良い人もいれば、人から教わるのが良いという人もいる。それを良く見極めたうえで塾に行く必要があれば通いなさい。」
今思えば、認知特性の話に近しいと思う。1人でもくもくと文字情報を収集するのが得意なタイプもいれば、人の話を聞いて理解を深めるタイプもいる。
結果的に僕は塾に通って数学の苦手を克服しようとしたけれど、結局うまくは行かなかった。
おそらく僕は、言語優位なタイプでそれを頭の中で映像化するタイプなのだろう。つまり、一人で黙々と情報を収集して、それを映像化するために人に話す、という経過が最適だったと思われる。
悲しい。



ただ、この優位がわかったところで、記憶力が増すためには別の要因も必要だと思う。
脳みその構造がわかったら、行動を起こす人間側の問題があるわけだ。つまり、性格との関係性が難しい問題として立ちはだかるのだ。


僕の場合、先ほどの通り1人で情報を収集する時間が必要なのだ。
ただ、性格としては1人が苦手でみんなでわさわさしていたいのだ。なので、そもそも学習机に座ることが苦手である。
しかし一方で、わさわさしすぎるのも苦手である。6人以上の団体は非常に苦手であり、3-4人程度が一番居心地がいいのだ。つまり、仕入れた情報を話す相手は限られており、相手のタイミングが肝になる。ところが遠慮しがちな性格であるため、発散するタイミングが見つけられない。


1人で情報を収集し、映像化してそれを誰かに伝えることで記憶に定着できるのに、性格の問題でなかなかそれができないというのだ。
なんともめんどくさい性格をしている。



だからこそ、今こうして文字にしているのかもしれない。
文字にするというのは、打ち込む・書くという絶対的に時間が必要な行動であるため、映像化しながら記録ができる。記録するということは表現するということであるため、頭の中でできた映像を発散することに他ならない。
性格に問題がある僕のような人間が記憶するためには、このネットの海に文字を投げ込んでみる、というのが絶好の記憶術なのかもしれない。


1000何日も続けてしまうのは、自分に最適な方法をようやく見つけられたからなのかもしれない。
記憶したいこと、整理したいことを文字化する癖というのは、昔からやっていたが、ようやくその運用方法を見つけられた。
人が見ているかもしれないと思うからこそ、自分だけが理解できる言葉で整理するのは拒否している。それが自分の記憶のためにも最適だったというわけだ。