5月16日。
大学院で修士号をもらったのは2021年3月。卒業(退学)したのは2022年3月。ちょっと時空が歪んだ学生生活を送っていた。
その歪んでいる最後の一年はぼんやりと生活をしていた。
そんなぼんやりとしている間に、僕が書いた論文というかフィールドワーク報告書が使ってもらっていた。
こんなに嬉しいことはない。
。
詳しいことはわからないが、ブログで見かけた。多分どこかの大学の観光学の先生だ。
生徒たちにダークツーリズムの講義をし、生徒に事例の発表をさせたらしい。
その生徒のうちのどこかの班が、ネットで僕の書いた報告書を引用していた。
教育現場での利用なので、特に手続きがあったわけでもないのでこれまで知ることがなかった。
たまたま会社の同期に過去の論文を見せようと思ってネットの海に網を投げたら、知らないブログが引っかかってきたのだ。
こんなに嬉しいことはないよ。
ちょっとくらい教えてくれたってよかったじゃんか。
。
論文を何のために書いたのかと言われれば、当然自分の知的好奇心を満たすためである。
まぁ、奨学金をいただくときには社会の発展のためとか書いた気がするが。実際役に立つ論文ができたかと言われると、自信を持ってYESとは言えない。
だからこそ、知的好奇心が満ちてしまったら、何だかもういいかなとか思えてくる。修士号で学生を辞める人はそういう人が多いだろう。
それより、金銭的にも安定が見え、人間関係も豊かになりそうに見える社会に出たくなる。
それが、たった一つ引用されるだけで、研究して良かったと飛び上がるほどうれしく思えるなんて!
社会の役に立った!なんて思わないけれど、どこかの学生が単位を取ることの役には立っただろうし、その報告を聞いてオモロいやんと思ってもらったからこそブログに書いてもらえたのだろう。
こういう経験が定期的に味わえるんだったら、大学院に残る選択肢も出てきただろうに!
。
いまはもう研究する気にもならないし、あんな過酷な研究生活に戻りたいとも思わない。仕事が楽しくて仕方ないし、ようやく人間関係もできてきた。
でも、そうやって過去に公表したものが、誰かの目に入って喜んでもらえるのであれば、それは何物にも変え難い誇りである。
もっと色んな人に読んでほしいな。そんでオモロいやんけと興味を持ってほしい。
次はそう思えるような作品を作ることだ。新しい目標が見えてきた。