5月26日。
高校1年の時から考えると、10年が経過してしまったようだ。
そんな10年来の友人と飯に行ってきた。
ちょっとした誕生日祝いだ。
職業病といっていいのか、そいつは医者として駆け出して、さっそく一般人とは感覚がズレてきているようだ。
なんとも面白い夕食になった。
。
なにが面白いのかって、話をしていて、ある時は10年前と同じようにアホな会話をしていて、その直後に医者として若干サイコパスなんじゃないかと思うような瞬間がやってくることだ。
一般人と専門家を行ったり来たりして、まったく未知の知識をかつての彼のまま教えてくれるのが面白い。
専門家としてやってきた人が専門的な話をするのは、知識を仕入れる場として考えている。そのため知的好奇心は満たされるが、いうなればアカデミックな知的好奇心のみである。
それが「非専門家」な側面でやってきた人間が、「専門家」として語り始めたときには面白くて仕方ない。
生身の人間と画面の向こうにいるプロフェッショナルが合致してしまったかのような。フランクすぎる専門家というのは最高に面白いみたいだ。
。
例えばTwitterで国際政治学の専門家として有名な教授が、一人でかわいいケーキ屋に入っていちごパフェを食べている投稿を見ているような。
そしていちごを見つめながら、その輸入国との関係性を語り始めるような。
例えば化石の専門家の先生が、隣でスポーツ観戦をしながら焼き鳥をほおばっているのを見るような。
そしておもむろに始祖鳥の話をし始めるような。
そういうフランクさと専門性が入り混じるような。
その空間を作り出せるのは、仕事を楽しんで頑張っている旧友なのだろう。
なんとも在り難い存在である。
それに対して、僕もできる限りの知識をもって応えようと思うけれど、結局あまりふるえずにいる。
仕方ない。入社して数カ月で理解できるほど浅い業務ではないもの。
。
そういう空間を共有できるくらいにはやく仕事を覚えたいものだ。
そして、楽しく話せるように、自分の仕事に誇りを持ちたい。
自分の仕事の話をできないのはやっぱりさみしいじゃないか!
せっかくの誕生日祝いに楽しい話ができるってのはいいことじゃないか。改めておめでとうだ。楽しい時間だった。こちらも提供できるように頑張ろう。