ホウチガブログ

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〈1354.働くということ〉

6月12日。


改めて思うのは、会社というのは人生の全てではなく、むしろただの一部でしかないという学生の頃にはなかった認識である。
もちろん生活するための収入は現在はほぼ会社に頼らざるを得ないし、研修の今は覚えることがとにかく多いので業務時間外で学ぶべきことも多い。


ただ、これはたぶん今だけで、研修が終わって業務にも慣れてきたら、自分の裁量で動かなければ何にもなしえないだろうという感覚がある。
これを市場価値を高めるという言い方もあるだろうが、あえて「一人でも食べていける力」と言っておく。これがなければ、会社が潰れた時に路頭に迷うだろうし、従属であるためメンタル的余裕も生まれないだろう。
いかにしてはやく「一人でも食っていける能力」を付けるか。これにかかっている気がする。



ひとつの会社で永遠に働くというのはそれはそれである姿だろう。
人生における楽しみを娯楽に置き、例えば趣味のスポーツ、芸術にとりくむための金をもらう場としての会社。そうであるなら別に市場価値を高める必要もない。目の前の最低限のタスクをしっかりこなせばよい。


そうではなくて、会社で昇進して権利を持ちたい、自分の果たしたいゴールがある、というのであれば、上長からのタスクは最低限度であり、そこから先の大いなる目的のための能力アップは会社に求めるところではない。


会社はやっぱり学校ではなくて、ある程度共通の目標を掲げた人間の集いではあるけれど、各々の優先したいものがある。家庭であったり、趣味であったりする。だから、私は学びたいんだと声高に叫んだところで環境を用意してくれる存在はほぼない。自助努力で道を用意して、それをいつか認められた時に、会社側がアプローチしてくることがあるかもしれない。



就活するときは、それまでの高校・大学の試験のときのように、そこに入ることで見える世界が変わってくると思っていたし、実際そうだった。だから必死になって試験勉強をして、入学すれば学校側が用意してくれる線路に則って行動すれば良かった。
会社も一部制度を利用することで見える世界が変わることも歩けれど、基本的には個人が集う場である。線路はないことが多いし、なんなら線路をつくるべきである。自分でつくって、それを会社に認めさせるような場である。


線路を自分で作るというのは、ここまでエリート街道を走ってきた僕には非常に新鮮だった。
選択肢があるなかでの選択ではなく、まったくなにもない草原の前で、より発展するように線路を作りなさいと言われているような。



会社というのは、一種金をもらうところであり、一種学びの場であり、一種所属先であり、一種社会身分保障機関であり、一種ただの場所である。
自由だからこそ、だれかに線路を作ってもらって、それをひた走るでもよし、自分で線路を作って事故ってもよし。
想いのほか、なんでもできるのが会社なんだなあと思いました。ホワイト企業だからこそかもしれないけどね。