ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1363.人生の歯車〉

6月21日。


GTA5というゲームがある。CERO:Zなグロもエロもあるゲームである。
そのなかにトレバーという狂人のバケモノが操作キャラの一人として出てくる。
そんな重犯罪者のトレバーが、訳あって一般人の男の家を重犯罪の作戦部屋として使うことになった。
男が「僕はルールを守ることが悪いとは思わないんだ」と作戦の中止を哀願するわけだ。それに対しトレバーが言う。
「俺が来てよかったな」「つまんない人生が終わる」というような主旨の発言。
人生が変わる瞬間というのは、結構歯車がかみ合って、ゴリゴリと音を立てる感覚があるが、それを思い出された。



GTA5でいえば、その一般人男性はただの与えられた仕事をこなす一般人から、犯罪組織の一員のように活躍をするわけなので、一般モブと比べたら良い待遇である。
このトレバーとの出会いが人生の歯車が音を立てて変わった瞬間である。


じゃあトレバーと出会わなければ、この男は名もなきただの善良な一般市民である。特定の名前もなければ、デザインも与えられない。
でも安定した毎日はあったはずだ。


自分の人生が変わる瞬間というのは、自分だけの力であることは少ない。周りの環境が急に変化しはじめるのだ。それが自助努力のこともあるだろうけど、自分は無抵抗で勝手に変化する環境に適応した結果そうなることが多い。



例えば。僕がはじめてアフリカの大地を踏んだのは大学3年であるが、2年の後半から一気に歯車がまわりだしたことによる。
2年生のクラス授業で、国際開発について勉強をしていて、国連職員になりたいとか、アフリカに行ってみたいとかを友達に言ってたら、その友達がケニア人の先生を紹介してくれたことによる。
その案内からケニアに一緒に行こうという話になって、実際に行ってみて、卒業研究もケニアのことにしようとなって、大学院でもアフリカ研究をすることになって、セネガルの滞在中に遊んだゲームでゲーム会社に就職することになった。
その何気ない友人の紹介がなければ僕はアフリカにいってないだろうし、今の会社に勤めていることもないだろう。


人生の大きな転換点というのは、本人にとっては日常の延長でしかないし、そんなに大きな転換点だとは気づかない。でもどこかでこれが大きな転換点であろうという本能的な察知ができる。
この感覚はなんとも面白いもんだ。



GTA5のトレバーと男の関係でいうと、男は努力をしたわけでもないし、無抵抗で人生の大きな変化を受け入れている。
しかし、この無抵抗ながら受け入れたことは彼の特有の選択であろう。


つまり、なるようにして人生は変わっていくようだ。
望まぬほうに進むこともあろうが、それはある意味その人の選択である。強く進まないことを望まなかったのだろう。
逆に強く変化することを望めば、時間はかかるだろうけど、どこかでなにかがつながっていくのだろう。そしてそういう変化は唐突に、静かに起こる。そういうチャンスを逃さないのが大事なのだろう。