ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1364.友達〉

6月22日。


神田で岡島だいちと飲み屋にいった。
大学を卒業してから4年になったが、それでも仲良くあるのは運がいいといえる。それはひとつにはこのホウチガもあるわけだ。そしてたまたま三人とも東京付近で仕事をしているからこそである。
旧友との繋がりは大事にしたいものだ。そして人間関係というのは運も大きな要因になっているのだろう。



東京にいる友人はたぶん他にもいるだろう。高校時代の友人までさかのぼればたぶん相当数いるはずだ。
でも、時々でも連絡を取るのはわずかに10人いるかいないかだ。
おそらく別の世界線では仲のいいであろう友人は他にもいるだろう。だが、タイミングとかちょっとしたなにかのずれから連絡をとらなくなっている。そして一度とらなくなると、取るべき理由も失う。
そのきっかけは一体何か。


大学時代とかにしょうもない連絡をし始めたかどうかにあるだろう。
例えばお前のいる県に今度遊びにいくぞとか、お前が部活でやってたの俺もはじめたぞとか、お前が好きだった作品を今になって好きになったぞとか。
そういうちょっとめんどくさいを超えられる関係性があるかどうかかもしれない。
つまりは運がいいことは前提として、根本的に波長が合って、仲良くやりたいかどうかにある。



だいち岡島と同じサークルにも仲がいい人はいた。
でも連絡はさっぱりとらなくなった。逆に二人と連絡を取るのは、ホウチガ用のライングループがあって、そこで時々飯いこうとかゲームしようとかそういう話をする場所が用意されていることもあるだろう。
あとは、三人とも大学卒業してすぐ働き始めたわけではないという身の上が近しいので話が合うというのもあるかもしれない。
そういう意味でも全ての歯車が嚙み合っていたという運の良さがある。


おそらく今後、仕事が忙しくなったり、もしかすると転職とか転勤とかで連絡をとらなくなるかもしれない。
想像上の昔の日本より職場で休みの日も仲よく過ごす人は少なくなっているんじゃないかと思う。そうなると、どんどん休みの日は一人や家族で過ごすようになるような気がする。
すると、どんどん自分の世界しか知らないまま老化していくのだろうか。
もったいない。今連絡がとれる旧友は大事にすべきだろう。



僕は中学の親友を高校3年の時に亡くしているわけだが、自分も含めて老化ということはどんどん死が近づくことでもある。
30代で死ぬ人もいるだろうし、そういう人はどんどん増えていくだろう。
いま親しい人間がいつ死ぬのかはぶっちゃけわからない。
だからこそ、いつ別れてもいいように後悔なく過ごしたい。


連絡をとらなくなったかつての親友も、ちょっと連絡をとってみるのもありかもしれない。
まあ突然連絡するのは奇妙だし、宗教とか勧誘に思われてしまうかもしれないので、そこはちょっと考えたほうがいいかもしれないが。
でも後悔するよりはマシだぞ。