ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1373.仲が良くなるとは〉

7月1日。


会社に入って、短期間で仲良くなった人、時間をかけてもそれほど仲良くならない人、色々いる。
その差がなぜ生まれるのかよくわかんない。
時間をかければだれでも仲良くなれるだろうと思ったけれど、そういうわけでもなさそうだ。
じゃあ腹を割って話したときに仲良くなれるのかと言われれば、必ずしもそうだとは言えない。腹を割ってもらった結果、壁ができてしまうこともある。
不思議である。



仲良くなった人って、どういう経緯があるだろう。
例えば今でも連絡をとる友人との馴れ初めを考えてみるといいかもしれない。
僕の場合は、大学の授業でグループワークが一緒になり、その後すぐに行ったサークルの新歓でそいつもいた。単純接触数もひとつ大事かもしれない。


それでいったら、仕事の人はすべて仲良くなるはずだ。毎日顔を合わせているんだもの。
しかし実際はそんなことない。なにがトリガーになって仲良くなるのだろうか。


さっきの友人の例で考えると、最初のグループワークが一緒だったこともあって、他の授業の履修とか入りたいサークルとかを聞いたりしたと思う。
すると、○○に興味があるからこの授業とるとか、■■の力が欲しいからサークルはどうするとか、そういう話になった。


ただ、こんな話題も大学生なら誰とでもするだろう。
つまり、この話題の先で、なにかがあるから仲良くなる/ならないの差が生じてくる。
そして大事なのは、同じ選択をしたことではない。同じサークルのメンバーでも連絡をとらなくなった奴は大勢いるわけで、いまでも連絡をとるそいつは同じサークルには入らなかった。
なにが仲良くなるポイントなのか。



そこで思ったのは、同じ授業をとろうといって過ごす時間が長い奴とはそれほど仲良くならなかったという事実である。
むしろ、授業の相談をして、「俺は○○が好きだからこの授業をとる」「おれはそれには興味ねえなあ」といった奴のほうが仲が良い。
つまり、本音を言い合える関係性というのは一つ大事なポイントであろう。


ただ、最初に言った通り、腹を割ったら仲良くなれるわけではない。
「聞いた本音を応援できるかどうか」、これに尽きるんじゃないか。


応援できない本音を聞いたところで、まあ君は頑張ればええやん、で心の距離はむしろできるわけだ。
しかし、本音を聞いて、「私の興味はそこになかったけど、それはなんとも面白い。ぜひともその夢を追う姿をみせてくれ」と思ったら、その人の夢がある種自分の夢にもなるのだ。


これを考えると、過ごす時間が長かった奴とは仲良くならなかったというのは、僕個人の好みがそうだっただけである。
やけに距離が近くてべたべたするのは苦手である。
なので、人によっては距離感が近いほうが好みの場合もあるだろう。
なので、大事なポイントは「相手の本音が自分の本音のどこかにひっかかる」これにあるのだろう。



そう考えると、相手の本音が自分の本音にどこか近しいところがある、というのが仲良くなる条件であるように思える。
相手の中に、私を見つけることとも言える。
ただ、まったく同じだと、同類嫌悪にもなるだろう。


つまり、本音は近いけど、性格は違う、という微妙な関係性が成立することにあるかもしれない。
あるいはその逆もあるのかもしれない。性格は近いけど、本音がまったく違う。これについては今回はおいておこう。


万人と仲良くなれるわけない。
仲良くなれる人間というのは、相手のどこかに自分を見出していて、自分のifの世界線を見ているような感覚が必要なんじゃないか。
だからこそ応援したくなって、応援されたいと思うような。それが一種親友なのだろう。


自分のifが親友だと考えると、生育条件の類似があったり、環境要因の類似も必要になるかもしれないが、そこも条件が複雑になるのでわからない。
とりあえず今回は、ここまでにしておこう。