7月7日。
今日は七夕である。願い事を短冊にかけるが、そこら辺の話は去年だか一昨年だかした記憶がある。技術向上を願ったところから始まったとかだったな。
肩の力を抜いた話でもしよう。
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昔は昔、幼稚園児のころとか、行事として七夕でなにか願い事を書いた気がする。どうせその場で考えたしょうもないことであろう。
当時なりたかった職業は、牛乳屋さんとかパスタ屋さんとか、その場その場で好きなものを書いただけである。
テニスを始めるまではそんなもんだった。仮面ライダーもウルトラマンも苦手で仕方なかった。なりたいものなんてなかった。
女の子はお花屋さんとかケーキ屋さんとか、なんでなりたかったのかしら。かわいいとかきれいとかそういうところだったんだろう。
そう考えると、当時好きだったのは人形とかぬいぐるみとかだった。とはいえそれに囲まれて生きたいとは思わなかったようだ。
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〇〇になりたい、みたいな話って何歳ごろから始まるのだろうか。
なんとなくじゃなくて、ちょっと強く思うような。たとえば僕はテニスプレイヤーになりたいと思ったのが中学校だったり、その前の小学校高学年で、親の唆しもあったけど弁護士がカッコいいと思ったり。
高校2年までは法学部を目指していたわけだし、あわよくば国内プロなんていう道もあったりしないかなぁと思ってたりした。
そういう長年の願いとか生まれるのはいつなんだろう。
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就活の自己分析で小さい頃の夢とか思い出させられたけど、あれが役立ったことはない。
でも、例えばテニスプレイヤーを夢見るくらいにはテニスばかりの日々だったことを思い出したり、弁護士を目指すくらいに親の影響とか弱者に優しくありたいとか、そういう価値観は小さい頃からできていた気がする。
はたして、小中学生の、あるいは幼稚園児の僕が夢見ていた20代の青年になれているだろうか。
なれてなさそうだ。思っていたよりしょぼいし、結局どこまで経っても残念ながら僕は僕でしかない。
短冊に願いをかけている時の僕と今の僕はそれほど違いはないみたいだ。
良くも悪くも、ただの人間だったということだ。