ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1381.親しき仲にも〉

7月9日。

 

ちょっと疲れてしまったので、岡島だいちを頼ることにした。
昨日の事件もあっただろうし、週末で仕事疲れもあるだろう。週頭に腸炎になったり、気圧変化で頭痛がひどかったり、僕に限らず疲れた人も多かったろう。
そういうときに、だべってゲームしてゴロゴロして、らーめんを食べに行くような、そんな気が楽な関係が望ましいでな。



昨日の事件にせよ、週末の仕事疲れにせよ、なんとなくお互い察するところがあって、あまり話題にしなかった。ひたすらにSwitchでスポーツしたり、マリオカートしたり、ひたすらにスマブラをした。
頭を使わずに、ひたすらに勝つことだけを追い求めて、集中力がなくなって、疲れて、寝る。
それを良しとできる人間関係は大事である。


自分のためであるけれど、同時に相手が不快にならないように最低限のマナー・ルールがあって、信頼で成り立っている。
それがなかなかできないのが仕事での関係性であろう。仕方ない。そういう親友に比べて、付き合う時間も短いし、話す内容も個人的なものではなく、ビジネス的なペルソナを被ったうえでの会話である。


そう考えると、学生の間にできた友人が大事なのかもしれない。想像するような昭和の職場と違って、今の職場は飲みに行くことも少ないので仲良くなりにくい。残業したり、慰めあうようなこともそれほどない。
いやまあ新入社員の間はそういうものかもしれないね。
今は職場の友人より過去の友人のほうが気が楽である。



今の職場について、お互いのことについて知りすぎていないというのも大事かもしれない。
どんな仕事をしているのか、なんとなくわかるけれど、職場でどんなふるまいをしているのかは一切知らない。上長や同期・後輩との人間関係もわからない。
岡島だいちともに、職場の愚痴を言うことがあっても、人を否定することがないのが一緒にいて楽な理由かもしれない。


人間の悩みはほとんどすべてが人間関係に帰着するとか。その人間関係について悩みがない、悩みだと認識していないのが岡島とだいちの特徴である。だから楽である。
愚痴は愚痴でも、個人批判の内容は聞いていて疲れる。概念であればなにか解決策がひり出せる。


そういう意味でも、職場の人間関係を知らないというのは仲良くするには大事なのだろう。



疲れた時には、ちょっと遠い、でも精神的には近しい友人に頼ることが一番である。
そして自分の疲労を口にするときがあっても、人のせいにするようなことを言わないことが一緒にいて楽な空間を作るのであろう。