7月10日。
昨日の投稿をしてすぐに、岡島から俺はいつ愚痴を言ったのかという確認連絡が来ました。
彼としては、愚痴を言わないという自分の中での約束があるらしい。なるほど彼らしい。
僕が愚痴だと受け取った内容も、おそらく彼的には愚痴ではなく現状報告的な内容だったのだろうと思う。
情報の受け渡しってすごく難しいなぁと思うこのごろです。
特に仕事を始めて強く思う。
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例えばよくある話。
一枚の写真をみてもらって、その写真を隣の人に説明してみてください。
そしてこの説明を受けた人は受け取った情報をもとに絵に描いてみる。
すると、写真と絵は全くの別物になっていたりする。
目で見たものを言語化することでさえ大変なのに、1日で経験したことなら、なおさら難しい。自分の中では疲れた中にも嬉しさがあったような話でも、話し方や伝える順番で、疲れた部分にフォーカスして認識されたり、めっちゃ良いことがあった日だと認識されたりする。
その微妙な感覚を伝えるのは難しい。
これが、経験でもなく概念やアイデアを伝えるとなるとなおさら難しい。
民主主義ってなんだ、政治ってなんだ、数学ってなんだ、みたいな実態のない概念の共通理解は非常に難しい。
スマブラというゲームを我々は遊んでいるからわかるけど、仮にスマブラがこの世に存在する前で、アイデアとして思いついたものを伝えるとなると訳がわからないものだったりする。
「いろんな作品のキャラクターが勢揃いして戦う格闘ゲーム!」「キャラは3Dで画面は横から見た2D」「体力を減らすのではなく、ダメージを増やして吹っ飛ばす!」
ここだけ聞いて、いまのスマブラの画面が想像できるかというと怪しい。お相撲かな?
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そういう情報を受け渡す時、誤差が生じるのは仕方ない。受け渡す側の語彙力と受取り手の語彙力に差があるだろうし、言葉一つ取っても「格闘」で想像するものが違う。
想像するものが違うのは、それぞれで経験が違うからだ。格闘技を経験した人、相撲を好んでみる人、全く興味がなく生きてきた人、RPGだけ遊んだことがある人。「格闘」という情報を受け取って、連想するものが全く違う。
言葉というのは誤解されて当然であるが、その誤解をできる限りゼロに近づけるために、根拠を示したり、具体例を示したりして、擦り合わせていくのだ。
岡島の場合、「俺は資格の勉強をしていて、夜22時まで学校の自習室におるねん。学校からのフィードバックはこんな感じで、結構厳しい言葉も書いてあったりするねん」という内容を聞いた時。
僕は「こいつはずっと勉強してるのに、それでもきつい言葉で指導を受けて大変なんだな」という認識をし、つまりそれは努力が報われないという愚痴だ、という僕の中でのまとめ方をした。
しかし、岡島的にはただの現状報告だったかもしれない。俺は今こんな状況やで、というそれだけだったのかもしれない。
そこに僕が勝手に感情情報を付け足してしまったのかもしれない。
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「目と目だけで通じ合えりゃ こんなこたぁないのに」
「コミュニケーション・ブレイクダンス」というSUPER BUTTER DOGさんの歌の中の歌詞である。
そうだ。
でも、だからこそ言葉で色々表現をこねくり回して、伝えようと頑張るんだろう。