ホウチガブログ

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〈1384.親父の腕時計〉

7月12日。


ほんとにしょーもない冗談を覚えていたりするし、本人は秒で忘れているであろうことをしつこく覚えていたり、影響されたりする。
そのうちの一つに「親父の腕時計」がある。しょうもない話だが、どうしても忘れられない不思議な話である。



親父は教員で、僕が生まれたころは30代前半の脂がのった世代であり、バリバリに授業や部活やらの面倒を見ていた。
おかげで小さいころの親父の思い出はほとんどない。21時とか22時とか、あるいはそれよりずっと遅く帰ってくる人であり、そんなに感情豊かに触れ合うような人でもなかった。
そのため若干の緊張感というか、なんかよくわかんない怖い人とか、そういう認識があった。


そんな親父と一緒に風呂に入ってるんだから、たぶん小学校の低学年までの記憶である。


親父はいつでも腕時計をしていた。スマートでシュッとしたきれいなもの、ではなく。三連バンドとかそういう、ちょっと置いた時ジャラっと音が出るようなゴツいシルバーのやつだった。
親父はいつ見てもそのゴツい腕時計をしていて、休みの日も平日も関係なくずっとしていた。そんな親父が腕時計を外すのは、寝ているときと風呂の時だけだった。
一緒に風呂を入って、親父が湯船につかると、腕時計を窓近くに「ジャラ」っと置く。それを聞いた僕が「腕時計ずっとつけてるよね」と別に返答も期待せずに言った。
すると、表情の乏しいなんか怖い親父が口角をあげて言った。「時間にいつも縛られてるんだよ。自由になれるのは風呂と寝るときだけなの」



それを聞いて。こともあろうにかっこいいと思ってしまったのだ。
実際の親父はというと、外に遊びに行く約束をした時間になってから、わざわざトイレに籠って10分くらいうんこするような適当人間である。
もちろん教員であろうから、授業時間とかは規則正しく動いているんだろうけど、少なくとも時間に縛られ、自由を求めるようなおっさんではない。
しかし、それに気づくのは高校に入ったころなので、小学生の少年に気づく由もない。


いつもは何考えているのかもよくわからない怖いおっさんが、にやりと笑いながら冗談めかして仕事できる人のような言動をとったのだ。
それはそれはかっこよくみえたものだ。



おしゃれとか一切興味のない私だが、なぜか中学のころから腕時計だけは特別憧れのあるものだった。いまでも実家の自分の部屋には、今思えば安っぽいような子供向け腕時計がニ、三個落ちてたりする。
そして今使っているG-Shockも、中学3年生のときに、高校受験で時計持ち込み制に対応するために買ってもらったやつだ。G-Shockなので雑に使っても壊れないし、水には強いし、黒くてイカつくて、電波時計で太陽光電池である。


「いかつさ」が今でも好きなのは、おそらく当時の親父への羨望が残っているのかもしれない。
そのわずか数年後には、親父がテニスコーチになって毎日しごかれて、親父に恨みを持つようになるので人生はわからないものだが。



当時みたいな謎の怖い人という認識もなければ、その後抱いた頑固な怖いコーチ像もなくなり、多趣味な変なおじさんになり下がったが、それでも腕時計をしている。していたと思う。たぶん。
彼はまだ時間に縛られているらしい。それもあと2-3年だったはずだ。
「社会人は時間に縛られ生きている」という象徴的な意味合いは、還暦後はどうなるんだろう。つまらない回答だけは勘弁してほしい。