ホウチガブログ

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〈1385.こじらせオタクの後悔〉

7月13日。


ギャップ萌えという言葉が数年前に流行った。ツンデレとかもその一種だとしていいのだろうか。
普段は強い人が、弱い側面を見せた時にきゅんとするような、そういう「普段と違う一面を垣間見ること」がギャップ萌えの指すところだろう。
いやねえ、自分も非常に単純な人間である。昔からギャップを見るときゅんとしない時はない。
学級委員やら何やらでリーダーシップをとる人間が、掃除の時間にぽつりと不安を打ち明けた姿なんかにあたしはコロッと初恋をしちまったわけです。


そういうギャップ萌え精神がいまでも残っているわけだが、大学生になったころから精神的なギャップ以上に外見的なギャップに萌えるようになったわけです。



例えば、一般的に認識してもらいやすいところでいうと、宝塚歌劇団の男役の方々である。
広告とかで見るような、スラっとしていてかっこいい身のこなしをするような人が役以外のところだとかっこいい女性である。
女優でいえば、天海祐希さん、真矢ミキさん、真琴つばささん、大地真央さんなんかは有名どころであろう。かっこいい。シュッとしていて、いつでもかっこいいわけだが、同じ行動をした時に男より柔らかな所作があり、ふと女性らしい柔らかな笑みを見せてくれたりと、ギャップ萌えどころが多いように思う。


そんな自分のキュンに気づいてしまった大学の頃に、大阪住まいだったこともあって、なんとか宝塚を一目見てキュンキュンしたかったわけだが。
眼鏡男子イモ学生が観に行っていいわけない、違法行為だとどこかで抑える自分がいたわけです。そして結局一度も見たことのないまま関東に引き上げてきたわけだ。もったいない。



シュッとした誠実そうなかっこいい女性が、ふわりと柔らかい瞬間を見せてくれた時が今も昔も好きなわけです。
しかし、冷静になってみれば、そんな人などいないと気づいてしまったわけです。
確かにさっき掲げたような女優様方は実在するしテレビ越しにかっこいいなあと思うけど、リアルの目の前に現れたことはない。しかも女優様方は宝塚という特殊な訓練を数十年経てそういうかっこいい女性になったわけで、一般人にそんなひといるわけない。
しかも、役を演じる中でかっこいいかもしれないけれど、それは物語の中の架空の存在でしかない。


想像上の産物をリアルに求めるようなこじらせオタク(?)である自分をはっと認識させられて、しょぼくれていたわけであります。



僕が大学生になったのが2015年4月。しょぼくれていたのが2017年とかそれくらいだったと思う。
そんな時期に、こじらせオタクが動画サイトかなにかで見つけてしまった理想的なキャラクターがいた訳です。キュアショコラという赤い犬をモチーフにしたプリキュアの戦士の一人。それがもうかっこいいのなんの。
20歳前後の男子大学生がガチ恋をしたんでしょうな。
しかし、当時テレビが壊れて見れなかったこじらせオタクは、ネットに転がっている情報を集めて「かっこいいなあ」とよだれを垂らしていたわけです。
しかし、プリキュアのDVDをレンタルする勇気もなく、中途半端になってしまったわけです。いまでもキュアショコラをみると、悲しみに終わった初恋のようなそんな気分になるわけであります。



結局、僕はこれまで色んなオタクになりかけて、オタクになりきれなかった。
勇気がなかった。オタクという沼に浸かって、社会生活に支障をきたす未来が視えてしまったからこそ、なれなかった。
オタクになりたかった、という話ではなく。すべてが中途半端だというコンプレックスになってしまっているのが嫌なところである。人目を気にするあまり、自分の好きに素直になれなかった。「理想的な自分」であろうとしたため、欲望を律しようと中途半端に右往左往してしまった。


会社に入って思うのは。
オタクとして沼に使って、散在して、時間を使いまくって、世間的には「アホ」「愚か者」と思われたとしても。
そんな自分をどこかで客観的に分析できればいくらでも有効活用できる「豊かな経験」へと昇格できるということです。
僕の大学院での学びと対等なくらいの学びがオタ活にはある。間違いない。
ただの欲望の排出先にするのではなく、理知的にオタ活動をすることが良いオタクであろう。


中途半端な凡人であるくらいなら、貫いたオタクを目指せ。
俺が宝塚を、キュアショコラを、ガチ恋を極めていたら、もっといろいろ語れる面白い奴になっただろうし、そういう業界に関する情報も入ってくるので役立つこともあっただろう。


好きなことは等しく価値があるもんじゃろがい。好きに優劣はないんだぞ。「自分が好きだ」というそれを歪めることほど愚かなことはないぞ。一生の後悔になるんだからな。