ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1388.老化現象〉

7月16日。


実家に帰った。
特別なにか用事があったわけではないが、老犬二匹の様子が気になった。
家に着くと、前みたいにヤイヤイ騒ぐ姿はなかった。庭やらデッキやらにはいない。二匹とも家の中で生活をしている。


一匹は歳を取って歩けなくなり、寝たきりになり、おそらく認知症であろう。もう一匹は元気ではあるものの、先月病気にかかってお尻付近の毛を刈られてしまっていた。
僕が小学生の時にやってきた二匹である。18歳とかで、人間でいえばもう100歳近いのかもしれない。仕方ないものかもしれないが、やはりさみしいものである。



認知症のような犬のほうは、歩くことができないので基本的にずっと横になっている。食欲はまだあるようなので、食事と水のお世話の時は抱きかかえられて、目の前に出されてようやくもぐもぐやっている。
食事以外の時はずっと横になり、寝ているときは静かにし、起きているときはワンワン吠えたり、くんくんと不安なのか、落ち着きがない。
目は白内障で見えなくなっているみたいだ。鼻も利かない。足腰も悪い。そりゃあ色んな事が不安にもなるよね。
できることといったらお世話して、鳴けば背中をさすってやるばかりだ。なにも安心させてやることはできない。


人の認知症というのもこういうものなのだろうか。私が生まれる前に亡くなった曽祖母認知症だったらしいが、ずっと歌を歌っているような感じだったらしい。怒ったり、不安になったりはなかったとか。本人に聞いたわけではないのでわからない。
ずっと夢の中にいるみたいな、現実と過去の記憶とがごちゃごちゃになったりもするとか。


老犬を見ていると、そういうことでさえなにか意味付けをして、自分を納得させたくなる。逝く前に、楽しかった記憶を思い出しているんだとか、家族に近くにいてほしいから鳴いているんだとか。
無理やり意味付けをして、納得して、自らの無抵抗感を癒そうとする。なんとも虚しいものであるよ。



もう一匹のほうも17歳とかで大差ない。
どちらの愛犬とも別れの時はそう遠くはないのだろう。
後悔は一つもないといえば嘘になるし、もっとあれをしてやれば、これをしてやれば、というのはいくらでも出てくる。
どうすることもできないので、今がせめて楽しかったり、うれしかったり、そう感じてもらうことが最善である。


短い帰省だったが、これでよかったのだろうか。彼/彼女にとっては急な来客で邪魔に感じるところはなかったのだろうか。
どうか元気でいてくれ。無理はしないで。つらくならないように祈るばかりだ。