ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1390.たぶん陽性〉

7月24日。


週一投稿にしようと決めて初回なわけだが、あたしはつくづく不思議な運命にある。
どうやら例の感染症にかかったらしい。コロナである。
しかし、7/31の現在までPCR検査を受けられていない。
徒歩圏内の病院は発熱外来の予約ができず、薬局でもメーカー欠品とかで検査キットがない。
ということで、永遠に家の中でゴロゴロしていた。
今回はその闘病記的なものである。



感染経路は、確実に同居人である。
同居人も一週間くらい倦怠感と喉・鼻に問題があった。とはいえ、設置したばかりの冷房の影響もあって夏風邪だろうと呑気に構えていた。
状況が変わったのが7/23である。同居人が味覚をなくしたのだ。
しかし、体調が悪くなったのが19日とかそこらで、本人ではないので実のところはわからないが、ただの夏風邪程度であった。
それが、味覚がなくなったのだもの、普通じゃないね。しかしそのころには僕ももう喉の痛みが始まっている。手遅れである。


はじまりは喉のみだった。しかし、痛いというか、イガイガしているだけで、カラオケでバカ騒ぎした翌日くらいなもんだ。
そのあとに、急激な倦怠感とともに発熱が始まった。


倦怠感は非常にでかい。起き上がるのが怠いのはどんな病気でもそうだが、脳みそが重いというか、まったく思考するカロリーを嫌悪するような、無気力状態である。
結局最高体温は39.1℃程度だった。
ワクチンのおかげで軽度で終わったみたいだ。



しかし、完全復帰に至るまでの長さは他の病気になかなかない。
仕事に戻ったのが27日だったが、頭痛と鼻づまり、のどのイガイガは残ったままである。
仕事が終わる19時ごろには体力の限界が来る。夕飯を食って風呂入ってすぐに寝るような日が3日続き、そしてようやく通常通りの生活に戻った。

そのあたりで一日二日、味覚がなかったり嗅覚がなかったりした。
そしてまるまる一週間、倦怠感と頭の重さがまとわりついていた。


世の中の患者の中だと超軽度な症状で済んだのだろう。それにしてもしんどいことには変わりないもの。よくもまあこんな病気が広がってしまったもんだ。


しかもこの一週間で変異種の話題もよく聞くようになり、サル痘とかいう新しい感染症が国際問題に持ち上がってるらしいじゃないか。
まったく嫌なもんだ。



しかしまあ、コロナになってようやく気づくところだと、感染経路の特定には限界がある。
幸いなことに僕には同居人がいるので、コロナ真っ盛りの時には外にでなくてもご飯にありつけたし、症状が落ち着いてからも外出はほとんどしていない。
これが一人暮らしであればそうはいかなかった。ご飯の調達のためにコンビニやスーパーにはいかなくてはならない。
そこで手に取ったカゴも、店側は消毒をしてくれているだろうけど、バイトさんが何百個も拭くことには限界があるだろう。
しかも一度手に取った商品を棚に戻すこともそりゃあある。セルフレジであれば、画面タッチもするし、荷台を触ることもある。
往復の道でも、そりゃあマスクはしているけれど、咳をしたりすると漏れることもあるんじゃないかとか。


これ以外でも、症状がなくて潜伏期なら電車にも乗るだろうし、タクシーを使うこともあるだろう。触れる物すべてに可能性がある以上、絶対安全なんてことはありえない。



大昔から感染症は集団居住生活をするうえでの最大の脅威だった。
数千年とか、場合によっては数万年とか、集団になってから途方もない時間を過ごしているけれど、病気はどこまでも脅威である。
それでも、ワクチンとか、薬とか、対抗策の発展のおかげであたしは比較的楽に済んだわけだ。
技術発展万歳である。


科学の発展を良くないと考える人がいることもわかるが、文化という人類にとって唯一の武器を否定するわけにはいかないと思うぞ。
技術発展そのものを否定するのではなくて、今後の発展のさせ方を考えるべきなんだろうな。
熱にうなされながらも、比較的元気に過ごすことができたコロナ期間にそんなことを考えておりました。