ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1391.命の輝き君〉

7月31日。


僕がコロナで寝込んでいる間に、同郷の親友が結婚報告のLINEをくれた。
こちらのカップルであっちに遊びに行った時、あっちもカップルで出迎えてくれた。それくらいには親しい間柄である。
結婚式は年末を予定しているとか。めでたいもんだ。


大学院の同期は今4年目だったが、途中退学でフランスの大学で修士に入りなおすらしい。
他の同期はイギリスにいくやつもいる。


不思議な時期ではあるが、親しい人たちが門出を迎えているらしい。
だいちも転職することになっているし、25歳というのはひとつ大きな変化の時期なのかもしれない。
なにか焦りというか現状への疑問というか、そういう気分になったりもする。
せっかくだ。俺も仕事じゃなくて、俺のためにきちんと腰を据えてみよう。



大学に入学した時の気分を思い出す。
自分の希望のもと選択したキャンパスで、ガイダンスを聞き、受講できる授業一覧を見ている時。
自分のこれからは、まさに自分の手のひらにある。これから決定する授業で自分の未来が決まってくる。そしてその先で世界の未来の一部が決まっている。
受講した結果、自分の未来が決まったかは謎だが、あの時の僕の魂の輝きぶりは果てしないものがあった。
なんでもできるさと言わんばかりの勢いもあった。


海外に出ていく同期もきっとそんな輝きを帯びているだろう。
結婚した親友も家には「嫁」がいるのだ。人生がきっと美しい色をしていることだろう。
転職するあいつも、頭のどこかで期待に溢れていることだろう。


ああ、なんとうらやましいことか!
仕事に慣れてきたことで、僕の魂はそんな輝きを放たなくなってきている!これは楽しいわけがない!
もっと輝けるだろう!もっと美しくなれるはずだろう!
自分の人生が自分の中に確実にあって、もっと高みを目指している、そんな瞬間にこそ輝く「なにか」を失うのはあまりにも早い。



啓蒙書を読むと、なんとも根拠が薄弱で独りよがりな論説だろうと呆れかえることもあるけれど、その本の中にある光り輝くなにかには、妬みを感じることもある。
本を書いてしまうくらいに、著者にとって心揺れる衝動があったという、その事実が妬ましい。


だいちに転職について本を書けと言えば、たぶんなにかしら書けるだろう。旧友に結婚の意義を問えば一日中語ってくれるだろう。フランスで、イギリスで学ぶ理由を聞けば、1万字のインタビュー記事が出来上がるだろう。
心揺れる衝動というのは、ある種のリスクを背負った時にこそ得られるものだ。
おれは就職することで安定を手に入れてしまった。衝動を得るほどのリスクを背負えていないのだ!



簡単にリスクといったが、じゃあリスクってなんだ。
結婚のリスクは?自分の自由が制限されることかもしれない。生きることの責任が一人のものでなくなることかもしれない。
転職のリスクは?新しい職場とのマッチ度が未知数なことだろう。ブラックを引いてしまうかもしれないな。人間関係が難しくなるかもしれない。
留学のリスクは?慣れない環境というのはそれだけでも未知数だ。言葉の壁、治安の壁、お金、日本での安定をかなぐり捨てての挑戦である。


しかし、それは結局第三者だからこそ目についてしまう不安でしかない。
当の本人からしたら、そんなリスクを取ることより、そこで挑戦しないという選択肢がない。そもそもリスクだと思わないことだ。
リスクがあると言ってためらっているうちは、多分違うのだろう。


「いのちのかがやき」というのは、そういうリスク換算をしなくなった瞬間に得られるものであろうよ。



血が全身を「ミャクミャク」と駆け回るような、そんな瞬間を味わいたい。
血肉湧き踊るような感覚。
あれはやっぱりギャンブル的な「賭け」の瞬間にあるものだろう。
手に入れたいのってなんだろうね。