ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1402.豊かとか幸せとか〉

12月29日。

 

社会人としてそれらしい額のボーナスをはじめていただいた。
豊かであることのありがたみは余裕が生まれることにあるようだ。


毎月一定の額が手に入ることがわかっているので、欲しいものがあれば貯金して来月買おうができる。
学生の間は我慢していたゲームの購入もためらわずにできる。欲しい時に本も買える。
仕事も時間制限があるので日常に侵食してくることもない。とんでもなくよい環境に身を置いているようだ。

ここまでの半年くらいのことを書いてみると、なんとも恵まれているようだ。
同時に学生最後のバイト先の社員/準社員を思い浮かべてしまう。申し訳ないが、ベテラン社員よりも今の自分のほうが収入があるだろう。

なぜ彼らと僕との間で違いがあるのだろうか。



今の仕事は製品開発である。業務内容も、言ってしまえば直接的に収益を出すような仕事ではなく、数年後数十年後に儲けるための下ごしらえをしているようなものだ。在宅ワークなので外部のひとから暴言を聞くこともないし、不安要素があれば上司に報告すれば大抵解決できるありがたい環境である。
未来の収益のために、財産を蝕んでいることにほかならない。


それに比べて、一年前のバイトはどうだろう。自分の態度次第でリピーターが出てくるかもしれない。直接的に収益に関わってくる重大な任務である。一日中外に立ったり、古くなった弱い暖房で休憩時間を耐えなければならない。常軌を逸したお客の相手をしなくちゃならないので精神的負荷も大きい。


どちらも比較的大企業なのだが、脳みそをどれくらい使うのかがその分かれ道であるようだ。
一年前は言ってしまえばマニュアル仕事で、習得できればレベルの差はほとんど生まれない。新規性を上司からも求められないし、ルールをたんたんとこなせる人間が重宝されたものだ。
現在はむしろ毎日アイディアを求められるし、同じことをやってしまえば不要である。どう改善したのかで評価が決定され次のステップや給料に関わってくる。ルールを守るのは前提なのだ。


話を大きくしてみると、対人能力よりも専門家が価値があるとされるのが現代社会、と言えるだろうか。


しかしそう簡単に結論付けるべきではないだろう。
専門家とはいえ、大学院の先輩方はどうだ。苦労して奨学金を勝ち取ったり、負ければバイトに頼らざるを得なかった。
そしてなにより、社会に価値があるとされることにどれくらい意義があるのかが不明確になりつつあるように思える。


まあ小難しい議論はもうできないので、自分のこどもができたらどう教えるのかを考えてみる。
間違いなく金はあったほうが良い。選択肢があるというのは精神的余裕が生まれる。単純に幸福でもあるように感じている。
ただ、選択肢を増やすのは決して金だけではない。体験することも選択肢が増えることにほかならない。
アフリカに行った経験がある今世では、旅行の選択肢にアフリカがある。移住しなさいと言われたときにも他の人よりカードが多いのだろう。
部活で厳しい生活を送ったからこそ、どんなバイトでも環境を理由に途中でやめることはなかった。メンタルの不調を悟ることもできつつある。


つまり、①一定の金はもらえる/もらう手段を確保できる、②一つのことに熱中させつつ幅広く経験させる、この二点は子供に遺言として届けたいものだ。


そしてもう一点。
最近聞いた話だが、過去の知り合いが警察のお世話になったとか。目の前の金に目がくらんだか、断り切れなかったかだろう。
それを聞いてからは、③憧れの人に知られて恥ずかしくないかどうか、これを判断軸にしてもらえたらいいなと思います。


じゃあ憧れの人ってだれ。
究極的には社会的正義に則っていなくてもいいと思う。生き方のモデルになる存在であればそれでよいだろう。


自分も考え方の軸がなくて困っています。
来年の抱負としては、なりたいと思う人間像を発見することですかね。

 

頑張っていたら結果的にお金をいただけるように生きたいです。


。。。。。。。

 


実に数カ月ぶりの投稿になってしまった。

前回は弟が亡くなった時だったか。明日が四十九日であるようだ。

彼との生活も間違いなく幸せだったなぁ。


今年はこれが最後の投稿になるかどうかはわからないが念のため。良いお年を。今年もお世話になりました。

 


来年はもう少しスタイルを変えますわよ。