思い出したこと
こんにちは。だいちです
昨日食べた辛ラーメンでおしりが逝きました。だいちです
汚いお話から入ってしまい申し訳ありません。。。
昨日の話の続きです。
もう10年以上前に亡くなった祖父母の話です。少しだけ思い出話にお付き合いください。
僕の祖父母は長崎県の佐世保という大田舎に住んでいました。周りには大きな山。そして港が目と鼻の先に。ヘンテコな場所に家がありました。
家の前には港までつづく川。満潮になると海の水が川まで逆流するのです。フグやボラ、小さなサメも川を上がってくる。川はいつも磯の匂いがしていました。山を四方に囲まれているのに磯の匂いがするんです。
祖父母の家は一階が祖父母が営むパチンコ屋、二階が住居になっていました。
パチンコ屋は戦後、朝鮮から日本に渡ってきた祖父母が一から築き上げたそうで。
それはたいそう儲かっていたそうです。僕が子供の頃はもう営業していなかったので繁盛していたのかどうかはわかりません。
でもそういえばそんな面影が。。
家の中にウミガメとワニのはく製が堂々と飾ってありました。そいつのせいで夜は一人でトイレいけなかったんです。怖かった。襲い掛かってきそうだった。今でも時々夢に見ます。
青二才の僕にはまだ分かりませんが、やはり店を繁盛させ子供を育てるにはやはり大変苦労してきたのだと思います。(ちなみに祖父母には僕の母を合わせて5人の子供がいました)
だからなのかもしれませんが祖父母は強烈でした。
ばあちゃんはヘビースモーカーでした。
いつもベランダで煙草吸っていた気がします。だからなのかいつも手が小刻みに震えてました。いや小刻みじゃなかったな。コップのビールをよくびちゃちゃにこぼしてたから多分相当かも。母やじいちゃんにはよくたばこのことで咎められてた気がする。
だけどばあちゃんはとても気前がよい方でした。隠れて煙草を吸ってたことをじいちゃんにチクろうとしたらよく僕に1000円札を握らせてたね、ばあちゃん。
「お菓子ば買わんね」って言ってね。
じいちゃんは般若みたいな顔をした人でした。当時8歳、9歳の孫の僕にも容赦なかった。
5歳くらいの時に家の中でボーリングやってたら指が滑って窓ガラス割ったことがありました。僕の記憶が正しければ胸倉つかまれました。激怒という言葉では言い表せないくらいの怒りと激しい怒号を浴びせられました。それこそ般若みたいな顔で怒られました。
遊びに行くたびに何かしらで怒られてたわ。「歩く音がうるさいわ!」とかね。
ふつうに歩いてただけだよ?
そんな祖父母も亡くなってもう幾年か経ちますがやはり憶えています。強烈であり、それでいて愛情深かったのしょう。
話が長くなりましたが、こんな話をしたのは辛ラーメンを食べてばあちゃんの作ったキムチを思い出したまでです。こういうことありますよね。香水の匂い嗅いで思い出すみたいな。ああいう感じなんです。
と、まああんまり長々と書くのも好きではないのでまた思い出したらその都度書いていこうかな。
今日はここまで、それではさいな〜ら