どうして宇宙に行きたい?
「宇宙に行け」
と言われたら行かなければならないのだろうか?
僕は断固として拒否する。暗くて未知すぎて、そして常に地面に足をつけていないと怖いのだ。
今日はインターステラー(2014)という映画を観たのだが、宇宙に対する恐怖は増すばかりであった。
だが、エンドロールが流れて思った。
「もっと早く見ておけばよかったわ」
あらすじとしてざっくり言うとお父さんが娘を地球に置いて人類のために宇宙の探索に行く話である。
宇宙飛行士は宇宙に行く前に厳しい試練があって冷静な判断がいかなる時でもできるように訓練されていることを、宇宙兄弟で確か言ってた気がする
だけど、この映画に出てくる宇宙飛行士達は私情挟みまくりんぐである。よくコイツら試験に受かったなとツッコミたくなるけど地球も人類もカツカツの状態だったからそれはしょうがないよね。
同じ宇宙探索映画のオデッセイ(2015)と比べれるとこちらは任務の遂行を着々とこなすのに対して、インターステラーはもっと人間的に寄り添う感じで自然と手に力が入る
「あああ!」とか「うそ?!」とか言っちゃってた
それも「宇宙探索」というSFチックなものをより人間の心理状態にフォーカスすることで現実世界にうまく寄せているから心がぐっと掴まれる作品だった。
広大な宇宙を観ながら思ったのは、この宇宙のスケールのデカさに比べれば大抵の事は取るに足らないことだらけだということだ。
小さい世界に囚われていることにすら気づかないことが多いわけで、そこに気づかせてくれるいい機会になるのではないだろうか。今度から悩み事があったら宇宙映画を見ようと決心して、結びとする。
それにしてもクリストファーノーラン監督もマシューマコノヒーもアンハサウェイも最高だわ
では、おつかれーらいす