ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈839.ドラマ的解釈について〉

1月14日。

 

人の話を聞いていると、こいつはこんなにもドラマティックなのかと思える。漫画みてぇだ、ドラマでやってそう、そういう映画ありそう。

しかし自分のことはそれほどそう思えない。でもまあ、冷静に自分のできごとを振り返ってみるとなかなかにドラマにもできなくはないんですな。いわゆる「だれしも主人公」ってことなんだな。

 

 

人の恋愛の話なんて聞いてるとなんともよくできた物語だと思える。

Aという出来事があって、それでBに行き着いた。しかし本当はCだったけども、その伏線はAで考えられる。

こういう事例を1人2人じゃなくて、何人も聞いてきた。

 

しかし、こういうのって自分じゃなくて他人だからこそ客観視できるっていうのと、イベントごとにその話を聞いているからこそ、ドラマっぽくなるんだと思った。

 

 

例えば、飲食店で男はビールを飲んだ。付き合っている女は最初は拒んだものの、一口飲んでからはその後の生活でもビールを飲むようになった。それが半年後になるともうアル中みたいになってしまったけども、それは過去にアルコールに溺れた過去がその女にはあったからだった。

こういう話があったとしよう。

 

当人の男と女はこの半年間の出来事を、当然ながら半年間かけて経験している。だからどれがどの引き金になっていたのかイマイチよくわからなくなってくる。男からしてみたら、なんだかこいつ前に比べたら酒飲むようになったなあなんて思ってたら医者のお世話になるようになっちゃった、なんて思うだろう。それがまさか自分の一言が原因にあるなんて思うまい。

しかし、我々はこの半年間を1分ない短い時間で「経験」した。そのおかげでドラマみたいに前後関係がわかってしまった。

 

 

しかし、本当にそこがトリガーになってオチを引き出しているのかは正解のところはよくわからない。なんとなくAだったからBだろうと繋げていたのを認識したことでそういうことにしたけども、Bを導くためには無限にある要因の文脈が必要なんだと思う。

さっきの例でいえば、女が酒好きになったのは実は同僚のイケメンの影響かもしれないし、仕事の疲れから酒を飲みたくなったのかもしれない。男が酒を勧めて飲んだ一口がトリガーの可能性も否めないし、男が語るとしたら俺のせいで女は酒に溺れてしまったというだろう。

しかし、実のところはよくわからない。とりあえずそれっぽい前後関係が見出せたら、それを因果関係だと認識してしまう、つまり物語的に理解してしまうのが人間なんじゃないかと思う。

 

 

漫画を読んでいたり、就活をしていると強くそれを思ってしまう。事件がきっかけで主人公は探偵になるかもしれないし、学部の時のサークルの先輩の影響で御社を志望するかもしれないけども、数多ある要因の中でそれっぽいのを選んでいるだけじゃないかと思える。

タンジローが家族を鬼に殺されたり、鬼殺隊に入ったらことはわかるけど、タンジローがそれ以外でどんなふうに生きているのかよくわからない。もちろん、漫画というストーリーを成立させるためにはいらない情報は魅力的でないことがしばしばあるし、読み手としては主軸と関係ない話をブッ込まれたら何かの伏線なのかと、それまたストーリーを考えてしまう。

そういう意味でも、無駄な話を省いて、綺麗な前後関係を築くことが「わかりやすい物語」には必要なんだけども。

 

自分のことはようわからんのよ。勝手に物語を構築するけども、それが正解じゃないんだから。世界史の面白さってそこにあるよね。それっぽい解釈が無限に作れるところ。

 

 

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それにしても最近ビールがうまいもんだと感じるようになった。昔はあんなに苦手だったのに。なにか「原因」があるに違いない。

〈838.認識のこと〉

1月13日。

 

ついに論文も終わりを迎えようとしている。すでに提出は済ませたけども、その内容を発表して、認めてもらえたら晴れてマスターになれるわけだ。

ようやく2年間、いや学部からの6年間が修士号という形で報われることになるのかもしれない。最後のがんばりだと思う反面、2年前の気持ちを思い出すと、思ったよりこんなものかなんていう気持ちもないわけでもない。なにごとも身を置いてまないとなんともいえないなぁという話。

 

 

マスターといえば僕は一流だと感じてしまうし、修士号持ってますというととんでもなく賢いやつだと思っていた。いざもらえるかもしれない段階にいる自分を思うと、思ったより半人前だし先生方から見てみたらまたまだ学生みたいなものだと思う。

2年前はここで勉強すれば一人前の研究者として胸を張れるだろうと思っていたけども、知識もまだまだ足りないところばかりだし、見えている課題もいくらでもあげられる。とはいえ頑張ったんだという点もあるので、そこを認めてあげる意味でも修士号はきっちりいただきたいところ。

しかしまぁ、これでいいのか感を思ってしまう。

 

 

よく聞く話、完成させるよりも締め切りを守りなさいということがある。全くもってその通りで、自分でいかに満足できるのかも捨ててはいけないけども、社会で生きる過程においてはきちんと約束を守れるということがとにかく大事だと思う。質が高いに越したことはないけども。戦い方はいくらでもある。

しかし相当才能がない限り、約束を破れば信頼関係は崩れる。信頼関係がなくなったら、その人その団体との連絡を取れなくなってくる。

仕事であれば直接的に影響が出てくるし、人間関係でも間違いなく損するのは自分だ。

 

そこで相手は自分のことを思ってくれる範囲は小さい。結局相手のことはよくわからない。いくらその身に置いてみようとしても、完全に相手の行動の文脈を再現できるわけない。

そういう意味で、信頼関係を守るためにもお互いの共通理解の約束を守ること。

 

 

相手のことはわかるけども、完全に理解できることはない。

だからこそ個性があるわけなんだけども、理解ばかりに努めるだけじゃなくて、理解されないことも把握した上でどうコミュニケーションを取るかが大事なんですな。

 

逆にいえば、僕がイマイチ修士号だったとしても説明の仕方次第ではある程度秀才修士号として見せることもできなくはないと思う。

認知ってそれくらいガバガバなんだろうな。

 

 

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パソコン作業するのはいいけど、パソコンが弱々しいので時々止まるのがこまる。買いたいですね、新しいやつ。

〈837.趣味と仕事〉

1月12日。

 

テニスをした。すごく久しぶりにした。そして関西だと最後の機会だろうな。

テニスって楽しくて仕方ない。声が大きくなるし、試合しているのに自然と笑ってしまう。なんというか、最強の状態だった。気がする。

最強っていうのは勝てるから強いってわけではなくて、なんというか、どんな困難でもやってやるぞみたいな。そういうタフネスな最強さが楽しさにはあると思う。

 

 

自分が選んだものってもともとやりたいことなんだよな。自分がやりたいから勝手にやっちゃうだけであって、やらされてるわけじゃないんよ。それを忘れていた気がする。

ちょっと大変になったり、ちょっとあかんかったりしたとに、楽しかったらそういうの気がつかないものなんだよ。楽しくて仕方ないんだもの。

そんでそういうのって、主体性がどうとかそういう次元じゃなくて、やりたいんだから勝手にやっちゃう。主体性でしかない。

主語が自分でいいやつなんだよ。まわりとの兼ね合いとか気にしなくて。

 

 

だからこそ、趣味なのかもしれない。自分がやりたいようにやる、周りを気にしない。それと商業的価値ってなかなか結びつくもんじゃないでしょう。真に好きなものって仕事じゃないような気がしている。

だからといって仕事にしちゃいけないわけじゃないと思う。でも仕事の中で好きなことは忘れないようにきちんと記憶に更新し続けることは忘れないようにしたいね。

というのも、人間関係に慣れてくるとエゴ的なところをおざなりにしてしまう可能性が出てくる。人間関係って刺激だけど、刺激ってストレスでもあるからね。気晴らしばかりしていたら、「やりたかったこと」になってしまう。それだけは避けたい。

 

 

例えばテニス。僕はテニスを仕事にするつもりはさらさらない。でも、仕事の一部にはなるかもしれない。プレーするだけがテニスじゃないから。

でもそこばかり気にして、自分がテニスをする楽しさを忘れてしまわないように、定期的にテニスコートには赴きたいと思う。

自分と向き合う時間だからね。

 

これと同じことを他にもたくさん持っていたら、たぶん幸せだと思います。

 

 

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大切なことを思い出すときはやっぱり人と話している時だと思う。大事なことは壁打ちしてようやく見えてくる。

コミュニケーション忘れちゃいかんぞな。

〈836.許容の心〉

1月11日。

 

今日が成人式だったんだっけね。それで振袖を着た人がいたわけだ。でも中止になる場所もあったらしいね。残念だろう。

残念で仕方ないだろうけど、3,4年たった今、ほとんどなにも覚えとらんです。地元に嫌な思い出があるわけじゃなくて、むしろ楽しかった思い出はあるけども。成人式当日なんて覚えてないし、写真も撮ったような撮ってないような。飲み会も別になかったと思うし。

それ以来同窓会もないし。そういうもんだ。

 

 

しかし、イベントごとひとつがなくなるっていうのは悲しいものだろう。たぶん、成人式の前日とか僕はワクワクしていたと思うよ。そういう思い出になるべきものがなくなるっていうのは悲しいもんだ。

だからこそ、今後その代わりをすれば良いのよ。成人式+1とか。

今年の夏は一度きりとかいうけども、80歳まで生きれば80回は夏がくるんだから。80回もやってたらどこかで取り返せるよ。

成人式も今年の成人式は今年だけだったかもしれないけど、また別の機会を設ければ代わりを埋められるし、むしろこういう年だからこそ思い入れが強くなって、例年通りやるよりずっとぐっと良い式になるに違いない。

いまは、耐える時だから。成人式をできなかった人も次の楽しみができたと思っておけば良いもんよ。

 

 

もちろん延期になってそのまま無しになる可能性もなきにしもあらずだな。僕の地元の同窓会もたぶんそんな感じだし、僕だけ呼ばれてないかもしれないな。

だとしたら、そんな同窓会やら成人式なんてもんは今開催してもそんな良いもんじゃないよ。

誰かがやりたくて仕方なくなった時にやった方がよっぽど良いんだから。

行事を形骸化するのを否定するわけじゃあないけども、どうせなら楽しい時間を過ごしたいからね。そしたらやっぱり誰かが熱意をもって、それを伝播させる段階が熟した時期なんだろう。

 

 

他人任せみたいな話だけど、熱を発するのは自分でも良いわけでして。成人式をやりたくて仕方なかったら勝手にやればいいだろう。もちろんコロナが落ち着いたらだけどね。

誰かが熱を発したらそれに反応できて、自分から熱も発することができる。

そういう集団が一番居心地いいよ。

 

 

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引越しが近づいてきて、日に日に部屋のものが減っていく。そのかわり部屋はどんどん荒れていく。身の回りのものは整理したいものよ。

〈835.感動の虚無感〉

1月10日。

 

小さい頃の将来の夢は覚えているだろうか。

 

僕はほとんど覚えていない。後付けで当時の文集とか読み返してそうだったのか、というのはあるけども心の底からの憧れはなかった。

中学生の時に弁護士になりたいと思っていたけども、親のすすめであったり文系の賢い人はそういうもんだと思って目指した。高校の時に法学部のオープンキャンパスに行って、体験授業の時に寝てしまったことから法学好きじゃねえやとようやく理解した。

 

こんな感じで、のらりくらりと大学に入ってしまったのでイマイチなりたい自分がわかっていなかった。今もようわからん。理想と現実をきちんと見据えたうえでやりたいことに一番近いことはわかっているので、それに合わせて就活をしているという感じ。それまんま!って感じではない。

 

 

最近漫画を読み漁っているのは一種憧れがあるんだと思う。

 

だいちにすすめられたブルーピリオドの第一巻を読んだ。これはおもしろい。僕が主人公みたいに高校生の時に気づけたならば僕はもしかしたら絵描きを目指したかもしれない。いまも細々と絵の練習をしているので興味がないわけじゃないの。

 

ヒロアカを読んでいる。これはおもしろい。僕自身、ヒーローになりたいという欲求がないわけでもない。僕がオタク的にどハマりするヒーローがいたらたぶんそれを目指したろう。

 

 

だれしもそういうもんなんじゃないかと思っている。明確な意思を持って生きている人はどれくらいいるんだろうか。なりゆきで良さそうだからそうした、という人が大半だろうし、今の僕の身分もそうだ。なんとなく大学院で研究した方が良さそうだからってことでそうなった。

 

しかし、それじゃああかんという感覚がある。仕事に就く前だからこそ考えられることかもしれない。僕がこのまま仕事に就いたら、たぶんそのまま仕事をして歳を取って死ぬと思う。というのも僕は安定が好きだから。なのにテニスを通してスリルとそれを超える楽しさも知ってしまった。だからあかんと感じているんだと思う。

テニスはやっぱり親のススメではじめて、最終的にはどハマりしたスポーツだった。いまは自分でどハマりするものを探していることになっている。

 

なんで漫画にどハマりしているのか。漫画の中身じゃなくて、漫画という存在への憧れなんだろう。うらやましくて仕方ない。

 

 

憧れはなかったけど、とんでもなく心が震える瞬間は覚えている。

小説を読み終えた瞬間。宮部みゆきICOを読み終えた時。泣くでもなく喜ぶでもなく、うわああああああああああああって感じ。終わっちまったよー!!!みたいな。

DQ3をクリアした時。これもまたうわああああああああああって感じ。

虚無感なんだ。物語が終わっちまったっていう。その虚無感が悲しくもあり、気持ちがいいものでもあった。そしてやっぱりうらやましい。

のめり込んだからこそ、終わった時に虚無感があったんだと思う。

 

なんというか、ひとつの世界の消失という感じだろうか。

そういう意味で、僕は世界を作りたいんだと思った。のめり込んで、自分の一部になって、そして終える。

これってどういう生き方なのかしら。とりあえずそれっぽいことをやり続けて、そうやって見つけるものだろう。

つまらない生き方をしちゃいかんよな。

 

 

戦闘力275日目

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夢を探しつつ、同時に飯を食う金を集める。それができるのが今の世界の良いところだと思う。

物語がの構築と終焉っていうのがキーワードになるんだと思うんだ。

なにものかになりたいんだね。

〈834.ヨモツヘグイ〉

1月9日。

 

ヨモツヘグイって知ってるかい。あんまり細かい原典を知らないんだけど、確かイザナギイザナミの話だった気がするんだけども。

ヨモツヘグイって何を意味するかっていうと、生きたままでもあの世のものを食べたら現世に帰ってこれないとかそういう感じ。わかりやすい例が千と千尋の神隠しだな。異世界のものを食べちゃったから現世には帰れなくなったところから物語が始まったな。

このヨモツヘグイは色んなところで使われるようになって、ホラー映画とかでもあった気がするな。とにかく、現世離れしちゃった時はなんにも口に入れるなってことだ。

 

 

ここからはあくまで僕個人の妄想。

なんで飯を食うと帰ってこれないのか。わけわからんやん。ということで、いくつか考えてみる。

①食事は文化の象徴、それを体内に入れることで同化を意味する

②体内に取り込むと体を形成する。あの世のものを食べればあの世の体に変化する。

③現世の人があの世の人のためにお供えしたものを食べたってことで、あの世の人間として解釈されるようになるとか。

 

 

①食事と文化

食事は国とか地域で大きく変わってくるのは承知のところだろうし、東日本西日本レベルの距離感でも違いが出てくることもある。そういうことで、食事はその世界観を示すことになる。

もちろん、ほかにも文化の違いが出てくるのは少なくない。食事の特異性に注目する。

 

②食べて体を作る

日本人とアメリカ人の体格に違いは食事の影響が少なくなかったとか。江戸時代の日本人はもっと小さかったけど、飯文化が国外と交わるようになって背も伸びたとか。そんな話を聞いたことがある。どこまで正しいのかわからない。でも少なくても、Mのバーガーのみを食べ続けると汗が油っぽくなるのは結構有名な話だろう。それくらい食事は生きている我々の生き方にも影響を与えてくる。

そういう意味でもあの世のものを食べたらあの世のものになっちゃうとか。

 

③お供物の解釈

これはもう科学的じゃないけども。お墓にお供えしたものは、死んだ者に捧げるもの。逆説的だけど、それを食べる者は死者である。そういった意味で、死者向けの飯を食べたらそれは死者だってこと。裸の王様的な感じ?違うかも。

 

 

ヨモツヘグイについて知りたければちゃんと古事記を読みましょう。たぶんなんか書かれているでしょう。

①と②の合わせ技で文化を体内に取り込む。そして外からの人からも③の理由によって異界のものとして扱われちゃう。そういうことでヨモツヘグイには気をつけようね。

 

 

戦闘力274日目

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なんでヨモツヘグイの話なんてするんだろう。とにかくお腹すいても落ちてるものなんて食うなよ。

〈833.寒いね〉

1月8日。

 

寒すぎる。突然に寒すぎる。家の中で横になってるだけで体が冷えてくる。暖房必須だし、暖房しててもダウン着て寝ております。外を歩けば手は凍てつくし、痛くて仕方ない。10月とか11月にもやたら寒いと思ったけど、それとは比にならないよ。はやく春になって欲しいものよ。

 

 

という書き出しにしてみたけども、こういう環境の話は話題を広げられない。というのも環境に関してあんまり考えたことがないからだ。できることといえば寒さにまつわる自分の過去の話であり、さして楽しいものにもならないだろう。

そういう意味で、環境の話から話題を展開できる人は本当にすごいと思う。時候の挨拶もそうだし、そういう繊細なまなざしで世界を見るのはひとつの才能よね。

 

 

ということで話題に困った。環境についての話は大してできないし、ほかの話題に繋がるにしても自然には繋げられないぞ。じゃあ寒さ対策の話につなげて、カイロの話をしよう。

僕はカイロが嫌いだ。というのも、そんなに暖かくなった記憶もないからだ。あんなもん、女子がかわいこぶってつこてるもんやろ!そう思っておりました。男であれば股の間に手を突っ込んでおけば手はあったまるぞ。脇でもよし。とにかくカイロの代理は身体で務められる。

貼るカイロも嫌いだ。一回剥がすとめちゃめちゃ粘着力落ちるし、体が熱くなった時邪魔になるだけ。

しかし、カイロを使っている子どもは癒しだぞ。小さい体がさらに小さい小袋を使ってあったまってるんだもの。いとおかし。

 

季節だけにしか見れない世界ってのはいいよな。もっと季節感じながら生きていったら幸せになれるね。そういや七草粥の時期だったなぁ。1人暮らし始めてから食べなくなった。季節を感じるイベントと疎遠になってしまったよ。やはり誰かと生活するって、世界を感じつつ生きる意味でも大事なんだな。

 

 

戦闘力273日目

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勉強+2

その他+3

 

とことでなんとか800字。いやあ話題が大してなくて困っちゃうなぁ。ちゃんと社会と関係を持ちつつ生きましょうね。