ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈760.スキンヘッダー〉

10月27日。

 

なんというか、非常に何とも言えないんだけど、スキンヘッドになった。

髪の毛を切ったのは7とか8月とかで、かなり切ってなかったので長くて長くて仕方なかった。かと言って、床屋に行くのは面倒だ。自分で切る人の話も聞いていた。なのでじゃあ自分で無難な髪型にしてやろう。

それが落とし穴だった。

 

 

一刀目でミスだった。前髪をパッツンにしてしまった。ふかわりょう的なマッシュルームになった。これはいけない。マッシュルームは似合う顔立ちではない。

それに合わせてまわりも切らなくてはいけない。

もみあげを切る。ここでもミスをした。中途半端なところがやたら短くなって10円ハゲみたいになってしまった。これはいけない。

 

こうやってどんどん短くしていくんだけど、後頭部が全く見えない。このままでは後ろだけやたら長い落武者になってしまう。

そこで首回りに髭剃りでジョリジョリと処理をし始めた。しかし、これではどこまで髭剃りで処理していいのかわからない。

ジョリジョリと後ろから攻めていく。徐々に剃りにくくなってくる。別のことを考えながら、湯船に浸かりながらボケーっと剃っていた。

気がつけば、耳あたりまで皮膚が見えている。

 

ここで覚悟を決めました。出家してやろう。

そうして、いまはスキンヘッドなわけです。

 

 

剃り忘れ気をつけポイント

①左耳の裏

右利きだと一番剃りにくい。

②後頭部

やはり見えないのは難しい。

 

これ以外は基本的に問題なく剃れます。

ただ、髭剃りだとはじめに短くしないとうまく剃れないので、ちゃんとバリカンとかで短くしてから剃ることをお勧めします。

 

 

ちょうどいいタイミングだったのかもしれない。

論文も非常に重要な時期になり、就活もまもなくはじまる。気合の入れ時ではあった。

いまじゃなくても、どこかで坊主にしようとは思っていた。

 

それがたまたま今だっただけで、ちょっと数センチ短くなってしまっただけ。それだけなんですよ。ええ。それだけ。

後悔なんてしてないし、むしろ触り心地を楽しんでたりもする。どうせ人に会う用事もないし。

ベストな選択だったろうさ。

 

剃り負けて頭がヒリヒリ熱くなっている。

これでハゲたらショックだなぁ。

 

 

戦闘力200日目

1351(+9)

勉強+3

運動+4

その他+2

 

たまたまちょうど200日なんですね。

これからはここで発毛状況を報告していきましょうね。

〈759.論文終わったら〉

10月26日。

 

意外と身近なものを僕らは見ていない。

 

トイレにタオル引っかけるやつがあること。

玄関の扉にポストを開ける番号が書いてあること。

今住んでいる部屋も2年が経とうとしている。なのに最近になって知ったことがポロポロと出てくる。日常に溶け込んでいると、目に入っていても認識できない。きっとなにごとも。

 

 

この前の投稿に引き続くんだけども、いまは鬼滅の刃約束のネバーランド以外にも二つの漫画を読んでいる。ジョジョの5部とチェンソーマン。

どれも素晴らしくおもしろい。素晴らしくおもしろいんだけど、この前同様、なぜ鬼滅だけはそれほど興味なかった僕の身の回りに情報が溢れてきたのか不思議でならない。

身の回りに溢れるっていうことはメディア露出が激しいということなんだけども。

メディアで露出すればするほど、メディア側にも利益があるからますます情報が溢れるわけなんだけども、これは一種流行はどのようにしてつくられるのか、という社会学的問にぶつかることになる。

 

個人的には約束のネバーランドが一番おもしろいし、チェンソーマンなんかうきうきしちゃうもの。

もっともっとメディア露出が増えて、人気作品になって、作者様にどんどんお金が入って欲しい。そして続きやら次の作品を見たいと思う。

 

 

流行の作られ方は、大真面目に研究するとなるととんでもなく難しいと思う。なぜなら、その研究対象が自分でもあるし、自分が構成員をしている社会だから。目の前のものは見えているのに認識できてない。

つまり、なぜ鬼滅はこんなにも取り上げられるのか、そしてほか作品はなぜ鬼滅ほど取り上げられないのか、を答えるためには自分自身を睨み続ける必要がある。

そして、これとは別に。メディアの露出関係なく、なぜこの作品はこんなにもおもしろいのかを問うこともしてみたい。これは文学部の問いになるのだろうか。まず、この面白さはどういう部類に入るのか。そしてそれはどんな作品群が含まれているのか。この作品はどの作品からのオマージュが含まれているのか。

おもしろいと思うものを分解するのはとても難しい。感情を構成する要素は無限にあるから。

 

 

目の前のアフリカ研究が楽しいから論文を書き上げるまで全力で楽しませてもらう。書き上げたら書き上げたでまた別の楽しみを見出すかもしれない。

しかし、この漫画のおもしろさ、人気ぶりを分析することもまたやりたい研究である。そしてそれをもとになにかしら自分で作品を作ってみたい。

ページをめくり終わって、本を閉じた時に思うのはただひとつ。

まったくもってうらやましいなぁ!俺もこんなふうに描いてみたい!

 

 

戦闘力199日目

1342(+3)

勉強+1

その他+2

 

日に日に寒くなっているけれど、体調は崩してないだろうか。こんな日は引きこもって漫画なり映画なりゲームなり。文化的に過ごすのも悪くないね!

研究が進まんね!クリスマスを楽しみたい!楽しめないかも!

〈758.長距離走〉

10月25日。

 

ランニングが下手だ。一定のリズムを保つのが苦手。最初に長距離用のダッシュをして、徐々に遅くなり、わずか10分経たずでジョギング以下になる。

これには理由がある。戦略を練るのが苦手すぎるのだ。その時その時の100%を出すしか脳がない。誇張じゃなくてほんとに。

テニスもそう。全部ハードヒットしないといけないと思っていた。だからそれについては天下一品でも総合得点になると良くて中の下だ。

 

 

京都御所のまわりが4キロ。たったこれだけだけど、いざ走ってみるとなかなかくる。

これを同じスピードで走り切ることができなかった。最初飛ばして、真ん中より前からずっとポテポテと流すしかなかった。なんともまあダサい。今考えてみれば、なんともまあ愚かなことか。

理由はあった。真に体力があるものは、常に全力疾走で走り切ることができる者だと思っていたから。だからこそ、最初の全力疾走に意味を見出していた。

 

 

これを間違いだとは言わんけど、僕が欲しいのは長距離用の走り方なので、別の方法でランニングをする必要がある。

そういうことで、今日は「手を抜いて」走った。イヤホンからちょうどいいスピードの音楽を流して、それに合わせて走る。

走り出しはなんともまあ手抜きのクソみたいなランニングだと余裕綽々だった。そのはずなのに、1キロ走り終わるくらいで思ったよりヤバいかも、2キロ走り終わるくらいでこれはギリ走りきるか?

 

そうして、人生で初めて4キロを同じペースで走り切った!

この体験の素晴らしさを知る人はいるだろうか。そんなん当たり前じゃんと言う方、ごもっとも。しかし、マズイと言いきかされてきたトマトがアホみたいに美味しい!みたいな気分だ。

なんだよ最初からこうすりゃええんじゃんけ!

 

 

最初全力疾走の何が悪いって、一発の負担がでかいのでランニングに行こうと気力を出すのにパワーがいる。そして、やったあとにどれくらい成果が出たのかわからない。

あくまで「全力疾走」なので、自分の感覚が頼りだ。調子の良し悪しを測る方法がわからなかった。

 

しかしペース維持走法だと、その日の調子はもちろん、成長の度合いも測れる。

いまのところいいこと尽くし。しばらくはこれでランニングをするだろう。

 

 

そろそろ解放されたと思っていたけど、思い込みによる、方法や選択肢の除外がまだまだ根深い問題のようだ。

なにか日常で不満や煮えきらない感覚があったら、前提を壊すことから考え始めるといいんですね。

というのは簡単なんですよ。やはり自分でない誰かとの会話も必要なんですな。

 

 

戦闘力198日目

1339(+9)

勉強+2

運動+4

その他+3

 

テニスであれば、ループボールやドロップショットでリズムを崩すことがとても大切なんですね。

スピードやパワーで勝てても、それは上限がすぐにくるということなんだな。

勉強になった。

〈757.いまはむかし〉

10月24日。

 

高校の同級生が大阪で仕事しているとかで、飲みに誘ってくれた。実に2年半ぶりくらいだ。いまだに親しくしてくれるのはなんともありがたいことだ。

だいぶ酒がまわって、ほとんど覚えてないんだけども、不安があるけども頑張っていこうやあの頃みたいに!みたいな話だったと思う。

いやぁ楽しかった。

 

 

ひさしぶりに会うときは、なんだか緊張した。あいつはあの頃より大人になっているんだろう。はたして僕と話が合うんだろうか。外見まで変わってしまっていたら待ち合わせが成立しないぞ。などなど。

ヨドバシの中を落ち着かなく歩き回っていると、2年前そして6年前とたいして変わらないあいつだった。なんだよ、思ったよりおまえじゃんか。

呆れたような、安心したような、とにかく嬉しかった。

 

 

思い出話に花が咲いた後は、仕事や今後の人生の話。6年前とはまったく違う話だ。

こういう話をそいつとはしたことがないはずなんだけども、まったく不安なく話せる。

「色々表面的なことは変わったけど、結局内面は変わってねぇな。やっぱ十文字はいいやつだ。」

そいつは僕に言ってくれた。酒が入った勢いなのか知らんけども、よくもまあそんな恥ずかしいセリフが言えるな!

その場の勢いで、同じセリフをそいつに返した。さらっとそういうことを言える奴こそ本当にいいやつだと思う。

 

お互い未来の悩み・不安は尽きないけども、お互い底辺スタートだった高校生活も、卒業の頃には平均くらいにはいられたんだからさ。あのころみたいにやりゃあどうにかなるんだ。どこかでリスクを背負うタイミングが来るんだから。

そいつは、飲み屋から出ると見たことないくらいにハイテンションだった。酒が入ると落ち着いた普段と違ってこんなに声がでかくなるのか。うれしかった。

 

 

まだ23歳。

されど23歳。

高校卒業してもう6年経つ。あの頃思っていた23歳に僕はまだまだなってない。

たぶん、それでいいんだろう。あの頃みたいに這い上がればいいさ。

俺ならできると力任せな声がまた聞こえてくる。

 

 

戦闘力197日目

1330(+10)

その他+10

昨日の文章、読み返してみるとなんともまあ読みにくい文章だこと。言ってることもまだまだ分析不足だよ。

僕にしか書けない文章でなければ、世の中に出す必要はない。もっと頭を使うことだ。

 

あたしは恵まれてますよ。

ありがとう。

〈756.漫画社会学〉

10月23日。

 

ネタバレなしでがんばるぞ。

 

 

鬼滅の刃約束のネバーランドを同時に読んでいる。どちらもジャンプの漫画で、時期も同じだと聞いた。そしてどちらも人気作品であって、アニメ化された。メディアでの扱われ方、キャンペーンコラボなどの視点だと鬼滅の刃の方が人気だと思ってしまうけど、実際に読んでみると対象年齢が全く別の、全くの別ジャンルで比べるべきじゃないと思った。

 

 

どちらもまだ中盤に差し掛かる前くらいしか読んでないのでなんともいえないけど、あくまで現時点での所感を残しておこう。

 

鬼滅の刃は、王道のジャンプシステムに則ったわかりやすい物語だと思う。

敵を倒すとより強い敵が現れ、仲間を増やしていく。そういう意味で、ドラゴンボールとかワンピースとか、ナルトとか、そういう王道ジャンプだろう。

王道ジャンプは、こどもにわかりやすい。こどもにわかりやすいと親にも話がつながる。親に話がつながると、消費活動につながる。その結果のいまの人気ぶりが形成されたんだと推測する。

 

一方で約束のネバーランドは、対象年齢が高い。少なくとも中学生以上だろう。能力バトルとかそういうのではなく、頭を使って問題を解決しよう、というような大枠にあるんだと思う。鬼滅の刃ジョジョ3部とするなら、ジョジョ2部的なものな約束のネバーランドだと感じる。

 

 

しかしだ。あくまでTwitterの話なのでなんともいえないけど、鬼滅ファンには大人も多いとか。子供に合わせて知ったかもしれないし、まわりの雰囲気で名前をよく聞く、というレベルからどうやって好きな作品まで持ち上げたんだろう。

 

一つ思うのは、ポストモダンに合ったのが鬼滅だという推測だ。

鬼滅の刃はさっきの通り、ジャンプシステムに則った作品だと思う。そのジャンプシステムが、世代問わず巻き込める理由としては、「自分がどうあるか」を美しく描いているからじゃなかろうか。

 

ポストモダンでは、価値も変わるし情報も無限にある。そういう統一的な人類目標がない、いわゆる大きな物語の終焉というやつ。そういう変わりゆく価値観の中で、唯一変わらないのは自分という存在なので、自省をどこまでもし続けるのがポストモダン人だとか。

そういう論文を読みました。

生きている人間の多くがテーマとして「自分の存在の確認」を掲げている。つまり興味があるのは、自分がどうあるのか、ということになる。

 

鬼滅の刃では、家族との関係やチームでの仕事を通して自分の技に磨きがかかっていく。そういう意味で「ポストモダン人」が興味ある話だった、という感じなんじゃないかとランニングしながら妄想しました。

 

 

僕は約束のネバーランドのほうが好きではあるんだけど、大きく分けたら鬼滅は人肌感じる作品で、約ネバは冷たい。もちろん、約束のネバーランドもあたたかい瞬間があるからそこに虜になるんですが、登場人物がそれぞれをどういう風に「使うのか」が醍醐味なので、冷たい、と表現しました。いままで読んだ中だと、カイジとかに近いジャンルなんだと思います。

 

というように、あくまで妄想でしかないんですが、二つの作品を比べました。

じゃあ、王道ジャンプシステムでも売れない漫画はなぜなのか。どういう作品は「面白い」のか。おもしろいと思う分母が増えるのがおもしろいのか。

ここらへんはまったくわかりません。これからいろんな作品を観る中で考えていきましょう。

 

 

戦闘力196日目

1320(+6)

勉強+2

その他+4

 

漫画なんて読まずに論文書き上げろ。もっともでございます。

しかしだね、面白い作品に出会うことは人生を豊かにすることだと思うんだよ。だからどっちが優れた行動なのかはまったく決められないんだ。そうじゃないかい。

うるせぇはやく序章書き上げろ。その通りです。

 

あぁ、コニーよ。

〈755.モロモロ〉

10月22日。

 

研究者ってある意味芸人みたいなものだよね。

先輩が言った。

ああ、それだ。僕が抱いていたもやもやは。

大学院はNSCみたいなものか。たしかにな。

 

 

NSC時代に、面白い人であれば劇場の前座くらいには出さしてもらえるとか。

研究でいくと、優れた若手であれば論文集に投稿できたりするような感じだろうか。あるいはちょっとメディアで取り上げられたり。

 

そして、一番芸人と似たようなところがあるとすれば、経済状況だと思うんだな。

大学院生は、学部生同様、奨学金をもらうかバイトするかに限られてくる。そしてなにより、大学院博士課程を終えたからと言って確実な場所があるわけじゃない。先輩の話だと、バイトしながらとりあえず席だけ置かせてもらうパターンもあるとか。研究関連のところに席がないと、論文も投稿できないし、研究に関する奨学金もおそらくもらえないと思う。

これは、とりあえずどこかの事務所に入ることで仕事のツテをもらえる芸人のようなものだろうか。よく聞く話だが、売れない芸人時代はひたすらにバイトで食い繋ぐとか。

 

研究者も同じで、業績と呼ばれるもの、論文が論文集に載った、研究会で発表した、とかそういうものがなければお金をもらえる可能性は非常に限られてくる。

 

僕は親の赦しをいただいて、親の金で生活をすることになっているので、とんでもなく恵まれた身分であることに間違いはない。なので、こういう研究者の実態は、自分の話ではなく先輩の話でできたものだ。

そして進学を現段階で選ばないのは、経済的に見えない未来に賭けるほど研究に情熱がないというのが理由の一つだ。これで研究者は確実に収入がある未来であれば、博士課程に進むことも間違いなく選択肢にはあった。

もちろん、会社に入れば絶対平気かと言われればそうではないんだろうけども、どこどこに〇〇年勤めたという「業績」があれば、他の会社に入れてもらえる可能性も十分にあるということだ。

そしてそっちのほうに僕の情熱が向いているのでそうなる、という話。

 

 

だからこそ、研究者になろうという人をとんでもなく尊敬する。それほどの情熱を研究に見出していること、そして人生を賭けるほどの意味を見出していること。すべてにおいて頭が上がらない。

芸人も同じだ。バイトで生活することの苦しさは学部生時代に感じた。それをしながらもなお、夢を追い続けるというのはなんとも言葉にできない。敬意しかない。

 

逃げたやつ、と後ろ指をさされないようにも就職活動は全力で挑まねばならない。それはひとつ覚悟をもってなすべきことなのだ。

 

 

戦闘力195日目

1314(+5)

勉強+2

その他+3

 

人生の責任を負うと言っても、その方法はさまざまにあるんでしょう。

あたしは今日与えられていた仕事をさっき思い出しまして。すっかり忘れていたよ。責任果たしてねぇやな。反省なさい。

そういや約束のネバーランド、面白いっすね。

〈754.責任を負いましょう〉

10月21日。

 

ひさしぶりに壁打ちをした。

筋力が落ちているのがわかるのですごく寂しくなる。あんなにやってたのにこんなにも脆いなんて。

そのわり結構一発思い切り打つのはそんなに落ちてないので、そこそこのスピードは出ているはずだ。その証拠にとなりで壁打ちしてたおじさんがガッツリこちらを見ていた。人に見られるっていうのはすごくガッツが出るもんなのよねん。

 

 

23の僕にとって、いろんなことに未来はあるけども、テニスに関しては未来は何もない。同じ23歳がワールドツアーで頑張っているのを見ると、情けなくも思えてくる。僕はテニスを捨てた代わりに何を得たのだろうか。

より良く生きなきゃならんと常にどこかで思っているのは、そちらの未来を捨てたことを肯定したいからなんだと思った。自分が選択したものを肯定するのは言うは易し行うは難しだ。

あちらを選べば良かったとかこっちだからダメだったとか、そう過去についてあれこれ考えてしまうし、そのくせまあどうにかなるとか未来もろくに考えてない。

 

ちゃんと責任をもって、自分の人生を生きれているだろうか。

 

 

過去をあれこれ考えるのは、責任を過去の自分に押し付けているからに他ならない。

未来を適当にしておくのは、責任をいまの自分が背負わないようにしているからだろう。

同じ自分とはいえ、過去も未来もある意味では今の自分ではない他人だと考えることもできる。つまり、自分の人生のくせに自分で背負ってない。誰かに任せているということだ。

なるほど、心がすごく痛いです。

 

 

壁打ちをしながら、体力の低下を嘆くのはテニスについてもう責任を負わないつもりだからでしょうか。

そうじゃない。ただ、自分はそんなもんじゃなかったんだぜ、と傷つかないように予防線を張っているだけだ。

体力が落ちているのは、これまでの自分がそういう選択をしてきたからであり、その選択を自分もしようとしていたわけであります。

 

隣のおっちゃんがこちらを見つめる視線は、もっと輝かせることができるはず。〇〇のために頑張る、というのはいままさにそれについて責任を負ってやろうと覚悟を決めている様なんでしょうな。

 

 

戦闘力194日目

1309(+6)

勉強+3

その他+3

 

「今を生きる」。中学校の卒業文集での僕のタイトルです。こんなに難しくて、それでいてかっこいいことだとは知らなかった。名付けてくれた担任の阿部先生、いまごろなにしてんだろうな。

そういや鬼滅、おもしろいですね。