ホウチガブログ ~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

20代の若者たちが生きてく中で感じたことをなりふり構わず吐露してます。そんなブログです。

〈203.情報過多〉

ここのところ、身近なところで情報過多で、めまぐるしい。好きな芸能人であったり、ミュージシャンであったり、事件であったり、学校生活であったり。

 

今日も書こうと思ったことが3つ4つ出てきて、整理できなかったので、後にまわすことにした。

 

こういう時、どうしたらいいのだろう。よく優先順位をつけるという助言であったり、寝て起きて覚えているものに対処するというアドバイスであったり、これまた情報が多い。

 

社会で生きる限り、情報にまみれて生活するのは当然のことだし、まみれずに生活は不可能だし、どうしようもないんだけど、時々溺れそうになる。

 

そうして、溺れかけた時、ようやくら気づくことがある。首の角度がやや斜め下、猫背になっていること。これは非動物的な体になっているような気がする。二足歩行になった動物がするべき格好ではない。つまり、ブルーライト中心の生活になってしまっていることに気づく。

 

社会を変えることはそんなすぐにはできないけども、姿勢を治すことは今すぐにできる。

溺れそうだなって時は、溺れるような姿勢になっているんだろうなぁ。溺れないよう、顔を上げてしゃんとして、生活をしましょう。そういう学びなんだね。

 

ホウチガのみんなはなかなか忙しそうだ。かくいう私も内容が薄くなってるし、文字数も前に比べて少ないし。明日はもう少し頑張るかな。俺の場合、忙しいというより、サボり症が発症してるだけなんだけどね。

〈202.変化球の気持ち〉

今日は休みの日にした。

私自身のこともそうだし、研究のこともゆっくり考えたくなったから。

 

昼前くらいにゆっくり目を覚まし、ご飯を食べ、ちょっと研究室に行った。

先生とお話しして、ちょっとだけガイダンスに出て、それっからカフェに行って。

昨日までの怒涛と違って、自分のタイミングで、自分の時間で、好きなだけやってみた。

 

結果として。ちょっぴりさみしくなった。

春休み中は何十日もマイペースに過ごしていたから気がつかなかったけど。なんというか、少し世界からはみ出したみたいな、ひとりぼっちというか、そんな気分だった。

昨日まで誰かが隣で講義を受けたり、作業をしていたり、飯を食べたりしていただけに、ギャップがすごいせいでそう感じてしまった。

 

さみしくなったけど、同時に自分の声をちゃんと聞くことができた。落ち着いて考えたら簡単なことじゃん。そんなことがポロポロと身から落ちていって楽になった。

 

ちょっと違うことをするというのは、ちょっと違和感があったりするかもしれないけど、ちょっと大事なことなんだねぇ。

変化球をいれることは大事、ってことだ。ホウチガにもそろそろ変化球を投げ込まないと、平々凡々になっちまうよ!

〈201.思い遣る人モテモテ論〉

プレゼンテーションというのはすごく難しいです。内容を濃くすればいい、というだけじゃない。色々な要素を考えなければならない。

 

例えば、聞き手の層。誰が聞いているか、なにを求めているか。そして時間やタイミング。いくら楽しくても長過ぎたら疲れるし、タイミングを間違えれば眠くなる。どれだけ伝えたいことと、聞きたいこと、このバランスが取れるのか、ということだ。

そう。それは例え、自己紹介であっても。

 

自己紹介といえば、名前と出身と趣味とこれからどうするか、みたいなことを言えば終了。しかし、文字通りのことしか言わなければ、ぶっちゃけ相当美人さんやイケメン、秀才で有名な人でない限り、興味なんか持ってくれない。

例えば今日。新入生が自己プレゼンをするなかなか不思議な会があった。私はと言えば、地元の頃の話と、入学するまでの話をして終了。それほど長く話しても仕方ない。穏便に済ませようと思った。

ところが。やっぱり先輩や教授が集う場になるとそんな話じゃ大して聞いてくれない。卒論や研究テーマについて、深掘りしていろんな写真やデータを用いたり、あるいはデータをたくさん持ってきて地元の面白さを伝えるなど。

つまり、研究者の集いでは、知的好奇心がキーポイントだったのだ。そのキーポイントをうまく押さえていれば、先生方は大喜びで質問もバンバン届く。そういう人は興味を持った途端、無限の集中ができる。長いプレゼンにも最後まで嬉しそうに聞いていた。

 

なるほど。今回のプレゼンの場では、私は敗北となった。勝ち負けの場ではないのはわかっているが、完敗なのだ。分析できなかったこと、自己紹介ということで油断したこと。すべてにおいて甘ちゃんだった。

 

伝える、という行為は難しい。

相手がいることを忘れちゃいけない。

自己中な話は誰も聞いてくれない。相手を思い遣る人の話を聞いてくれる。

だから思い遣る人ほど、同じくらい優しくされる、というわけなんだね。

 

 

いやぁ勉強になった。このホウチガも一緒なんだね。読んでくれている人が楽しめるような工夫をしなくちゃいけない。いまはまだできていないんだけどねぇ。どうにか、うまいこと楽しい文章が書けるようになりたいなぁ。

〈200.ありがとうございます。〉

103を更新したとき、ノベ5000人のご来場となり、非常に喜んでおりました。

そして今日。200の更新で10000人のご来場となりました。心の底からホッとするような、今日くらいは両手放しで喜んでもいいでしょう。

やったあ。

 

100から200で、5000から10000。現状維持できているだけ我々の力でいえばすごいことなんです。

 

とはいえ、やはり虚無感に晒される日がないと言えば嘘。一人間としての生活として追われていると、ホウチガにも余計な心配をしがちになる。今日なんかちょうどそうだった。このままでいいのか。なにか変えなければいけないんじゃないか。

 

そんな時に、ふと目に入った言葉がある。

 

"急いでどうにかしようとしなくてもいい。

小さくてもたのしいことを、ひとつでとふたつでも見つけられたらいいんじゃない?うまくても、へたでも、そこに「一所懸命にいる」ことだけが大事だと思っていい。"

 

そっか。一所懸命にしていることが大事なのか。10000は小さいことじゃないけどもね。それでいいのだね。

 

ほぼ日手帳に書かれている、糸井重里さんの言葉。私がホウチガをはじめたのも、ここまで毎日書いてみたのも、彼への憧れなのはもうバレているかもしれない。

そして結局今日という日も糸井さんの言葉で助けられた。飾り立てない、素朴な言葉が一番クリアに届く。

僕もいつか、そんな言葉をかけるようになりたいんだね。

 

どれくらい先になるかはわからないし、今世では不可能かもしれない。でも一所懸命、楽しくやらせてもらってるからいいのよ。

一度きりの人生だもの。楽しくやりたいじゃない。小さいことでもね。

 

今日もホウチガに来てくださってありがとうございます。穏やかになったところで、投稿して寝ようかとしたら、食器棚の角に頭をぶつけて悶えております。もう少し、お前は足掻き悶えろとの啓示なのか。それでも楽しいからいいのよ。ひとりじゃないから。一緒にいるから。

〈199.メメタァッ!〉

だいちがメタ認知について書いている。

なるほど、今日僕が書こうとしたこともメタ認知のひとつかもしれない。

僕も英語学習についてである。

 

大学院の授業は基本的に日本語と英語の二カ国語開講である。外国から来た先生だと英語のみで授業を進めることもある。今日がその日だった。

 

一応ケニアで1ヶ月近く一人で過ごしたこともあるので、基礎英会話くらいはどうにかできる。しかし、授業レベルの英語となると訳が違う。おっしゃった単語の理解が遅いので、置いてかれることも多々ある。しかも口から言いたい言葉が出てこない。

 

ふむ。ようやくわかった。英語脳とやらやつではないからみたいだ。

  英語→日本語訳→理解

  日本語→英語訳→発信

これをやっているから周りより遅いのは当然だ。

ようやく自分の頭について"メタ認知"できた。ウィークポイントをアンダースタンドしただけ、次のディメンションにカムできたのだ。

 

さて、問題は次の次元に行くためにどうするかである。弱点把握は向き合えば誰でも見つけられる。それを克服するか、置いておくか、逃避するかは大違いである。かくいう私は逃避逃避の連続なのである。そろそろ時効がやってきて、逃避できないようだ。

 

なんかよく聞くPDCAサイクルにのせてやってみようかと思った。英語脳を作るために日常から英語で考えるようにしろとのことである。2日間やってみて、反省して、やり直すなり別の方法探すなりしてみる。そうすればいつか次のディメンションにゴーできるんじゃない?知らんけど。

 

 

昨日の二兎追うこと。やっぱり二兎追ってみてもいいんじゃないかと言われた。二兎追ってみれば、兎の巣を見つけられる可能性も二倍になる。そしたら自分の分だけじゃなくてお隣さんの分の兎も捕まえられるかもしれない。なるほど。それならしばらく追ってみるのもよかろう。でも、追いかけるのは兎であって、虎じゃないってことを理解しなきゃ殺されちゃうのね。ホウチガを起点に色々手を出してみてるけど、まあそれでいいや。いつか結果出るでしょ。知らんけど。

メタ知識ちゃんと仲良しこよし

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最近、自分にできていないことってのがようやく分かりだしてきてネ

 

考えながら行動することって難しいんだ

ちがう、正しくは行動しながら考えるダ

 

例えば、英単語を覚えるにしても暗記カード作って脳みそにブチ込む方法もあるけれど

 

自分に適した覚えた方ってどっかにあるワケ

 

暗記しながら手探りで方法を模索して、自分でノート作ったり、音読したり、壁にポストイット貼ったり

 

ちゃんと覚えたやり方と覚えれなかったやり方を比較できること。そういう認知して改善できる人がホントに賢い人なんじゃないかな

 

なんでこんな事を言い出したかというと先日、東京大学上野千鶴子教授の祝辞が話題になりましたね

 

以下、引用

 

東京大学で学ぶ価値

 

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。(省略)

大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。

平成31年東京大学学部入学式 祝辞〜

引用元: 東京大学 HP 平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学

 

話題になったのは、昨年日本で相次いだ大学入試で露見した性差別に対して言及した部分だったけど、注目したいのメタ知識というあんまり聞いたことのないワードが出てきたコト。日本トップの大学の入学式で

 

これから重要なワードになってくるんだろうか

 

 

メタって「高次の」って意味らしくてさっきの英単語暗記の例で言えば、知識を詰め込むんじゃなくて、さらに自分を客観視することらしい。

 

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あれだね、自分をRPGのキャラみたいに捉えられることなのかもね

 

だから、英単語を詰め込みながら別の脳の部分で最善の行動を考えることができるってのが重要なのさ

 

でもね、いちばん大事な一歩は行動に移れることだと思う。

 

そして、行動しながら考えること。これが次のステップ。

 

これが、できてなかったことがわかったのなら高次の次元に僕はいるのでしょーか

 

みんなはどう思う?

〈198.うさぎ追いかけの話〉

ホウチガを開設してすぐの頃、大学関係で仲良くなった奴とご飯に行った。気苦労の絶えない奴という登場の仕方でホウチガに書いた記憶がある。そいつと久しぶりに飯に行った。

 

相変わらず色々心配したり考え事をしたりしているようではあるが、新年度は楽しんでいる様子だった。お互い大学院生ということで近況を伝えていると、大学院という特殊な環境にいることができる特異性に感謝しなければならないなあと思ったりもした。

 

そんな中で授業の取り方を相談した。私は色々興味のある授業を詰め込み、頭がぐるぐるする日々を過ごすことになるのだと疑っていなかった。ところが、取り越し苦労しがちな彼にボソッと突っ込まれた。

"多すぎでしょ。人間、二兎追えないよ。"

 

尊敬しているようなしていないような、やっぱり尊敬していない先輩が似ているようで似ていない言葉を僕にくれた。

"二兎追う者にしか、二兎得るチャンスは与えられへんで。"

 

僕はどちらかというと、その尊敬していない先輩の言うことを信じていた。色々顔突っ込んで見ないとわからん!突っ込んだところでチャンスが手に入る!だから色々やってみよう!

 

だが、よーく考えてみよう。二兎追って、二兎追えるだけの心臓と脚力を僕は持っているだろうか。いままでもきっとそうやって、途中で息切れしたのがオチだったじゃないか。やっぱり、二兎追うもの一兎も得ずだったじゃないか。

 

つまーり。とりあえず全力で一兎を追いかけてみよう。そこで手に入れるコツを掴めたら二兎追い始めてみよう。そうだ。結局少しずつ階段を登ることが一番だ。最初からてっぺんに足をかけるのはできない。

ということになった。

 

おそらく取り越し苦労が多い奴だからこそ、心配をできるのだろうし、それがいまの僕には的確なアドバイスだった。いろんな人と話をすると不思議なことが起こるものだ。

そして人によって登る階段も異なれば、登るスピード、方法も違うってことなんだね。

 

余裕ができた履修によって、もう少し将来に向けた貯蓄ができそうだ。うーん。俺こそ取り越し苦労しがちなのかもしれないな。

 

将来を見据えた上で取捨選択しないとダメなんだねぇ。ホウチガには捨てるもんもまだないんだけどね。