ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1033.がんばれ日本〉

7月26日。

 

夏休みがはじまっているところは多いらしい。小中高大のほとんどは夏休みだろう。
そしてこのタイミングでオリンピックなのはいいんじゃないの。もうメダルがいくつか決まっているらしい。
外出もそんなにできなくてゲームか本かくらいしかない中でスポーツ祭りがあるのはなかなかのいい勉強になるんじゃないの。
そして僕も、バレーボールをみてバスケを見てサッカーを見てテニスを見て、そして卓球を見た。
金メダルすげえな。
だれが何と言おうと、やっぱり日本人選手がメダルを取るとうれしいのよね。

 

 

かっこ付きの「ナショナリズム」と括られると困る。
そもそもナショナリズムがわかっている人がちゃんと使っているだろうか。
国の統一、独立、発展を指しているとされる。
それを過激な例でいうと、暴力による統一、吸収、発展などになっていくけど、超保守的な解釈をすると、国の維持といったところも含まれるのかもしれない。

これがオリンピックの文脈で用いられると、「日本は世界で一番優れた国だ!」というような偏見とか差別を生み出したり、「○○はダメな国だ」というようなネガティブキャンペーンのようなモノになる。
宇宙船地球号の認識でいうと、国という単位で物事を考えるのはなんとも視野が狭いと思われてしまうかもしれないが、生まれ故郷の解釈を変更すれば地元の地域である。
都市対抗戦で地元を応援するように、国対抗戦になれば国を応援するのは、生まれながらのアイデンティティとしてどうしようもないところだろう。

 

 

日本を応援するのは別にナショナリズムでもなく、普通なことである。
応援ではなく、そこからお国柄の批判をはじめ、そんな国は愚かだと言い始めると危険だということだ。
なぜ危険なのか。批判から悪口になって、最悪の場合暴力的な方法で解決を求めた時にナショナリズムにつながる危険性があるからである。

純粋に選手を応援すればいいだけで、そこの背景を批判するのはお門違いだということです。
日本がんばれ!

〈1032.サウスパークに行こうぜ〉

7月25日。

 

サウスパークというアメリカの切り絵風のアニメがある。
とんでもなく侮辱的で、差別的で、禁止用語ばかりで、下ネタで、グロテスクで最悪なアニメなんだが、僕はファンである。
これは差別アニメですよ、という前提で逆にそんな馬鹿なことをうやっている登場人物たちをあほやなあ楽しむのが正しい楽しみ方である。
つまり、現実と同じ地名や国名が出てくるけど、それはあくまでたまたま名前が一緒なだけで完全なファンタジーの話だとして楽しむのがいい。

 

 

一つの例。
ある日のサウスパークでは小学生男子の間で、日本のおもちゃ会社が開発したチンポコモンというおもちゃが流行する。毎日チンポコモンばかりしている子供たちに親たちは不安を感じ始め、日本の会社に開発の目的はなんだと問う。しかし、会社員はただのおもちゃ屋だと訴え、むしろアメリカ人の陰茎は大きくて素晴らしい日本人は小さくて醜いということでまるめ込まれてしまう。
チンポコモンはますます人気になっていき、子供たちは徐々に洗脳されていく。そしてついにチンポコモンキャンプという名の出兵式が行われ、真珠湾に攻撃しようということになってしまう。
困惑している親の一人が突然「チンポコモンはクールだ、私も好きだ」と子供たちに叫ぶ。
すると子供たちは「親が好きなものなんてかっこよくねえ!」と言い、洗脳から目を覚ます。

 

 

下ネタ、政治ネタ、偏見などなど満載の話である。
風刺っぽいギャグアニメである。くだらないアニメだけど、エミー賞を受賞していたり、この話もノミネートされたりしている。
いまならネットフリックスで観れたはずだ。グロ表現に耐性がある人は見てみるといいだろう。

 

最近もコロナの話を取り入れたりと、なかなかスパイシーな話が多い。
もちろん、不謹慎かもしれないが、それをそれとして話題にするのも大事なことである。そもそもギャグアニメだという認識を忘れないでね。
風刺漫画は日本の新聞でもあるし、そういう漫画文化は日本のお家芸である。
とはいえ今の時代であまりにも過激なことを言いすぎると規制されてしまう。
やりすぎだろうという話もあるが、まあでんじゃらすじーさんみたいなもんだと割り切って楽しみましょう。

 

 

こういう風刺はやりすぎると寒いし、偏りがありすぎると冷める。
風刺でちょうどよく面白いというのはなかなかバランス感覚が必要だし、アニメにするのであればオチもきちんと付けなければならない。
そういうバランス感覚がなかなかいい具合の過激なアニメである。

 

これがアメリカ一般家庭でもなければアメリカ人の認識の仕方だというわけではさらさらないけども、確かにこの口の悪い環境で育ったらカートマンみたいなクズ野郎にもなるだろう。
これの日本の会社が作った版を見てみたいかも。ありえないけど。

〈1031.公共での会話〉

7月24日。

 

カフェで作業しているといろんな話が聞こえてしまう。
受験を控えた高校生の不安とか遊びとか。大人の友達グループの今度の休日の予定とか。不動産運営をする人と法律に詳しい人の説明とか。
コンビニでの倍ともそうだったけど、こういう身分がわからないままかなり細かい話題は結構面白い。
田舎くせえ偏見にまみれた話、ちょっとでもかっこつけようと必死な男子、プライド高めなおじさん。
隣に人がいること気にしないのだろうか。不思議で仕方ない。

 

 

個人を特定できないから別にいいけども、そういう話題はカフェだと避けたほうがいいんじゃないかしらというのが多い。
政治批判、宗教批判、特定の団体への批判などなど。時事問題もそうだけど、別に意見することが悪いというつもりはないけど、けっこう角を立てますのね。
壁に耳あり障子に目ありというでしょう。もし僕がその批判されている側の人間だったら結構やばいことになるぞ。

そういう話題は家の中とか事務所でやったほうがいいわよ。

 

 

これは完全に親に昔怒られた記憶がある。
父親と姉、自分の三人で散歩をしているときに、なんとなく家の表札を見ていた。○○さん、○○さんと名前がたくさんあって、当時僕は漢字がちょっと読めるようになってうれしかったのもある。
やたらめったらに読み上げていた。「上田さん、山本さん、佐藤さん」みたいな。
そのうち姉とふざけて「佐藤さんは甘いものがすきだ、山本さんは富士山に登る!」とかわけわかんないことを言ってた。
そこで父親に怒られた。
「人の名前で遊ぶ人は碌な奴じゃない」

僕らの苗字が珍しいというのも一つだろう。苗字でいじられるのは慣れてきたところもあるが、見知らぬ人にいじられたらそりゃあイラっとするところもある。
親父はそういう知らない人に遊ばされたこともあったんだろうか、公の場で人をいじるような発言は避けろという教えがあった。普段は放任主義だっただけに驚きだった。

 

 

そういうわけで、カフェで仮に話すことがあったとしても周りに壁がある個室であることが結構安心材料だし、そうでない限りは批判・意見はしないようにしている。マイナス情報ならば自分のこと、目の前にいる親友のこと、それだけ。
あとは情報交換するだけ。

意見は怖いぞ。根拠なくても会話だと結構すっと入ってきちゃうものだし、それで空気も作られてしまう。
マイナスな批判をするとそういう空気になってきてブレーキ効かなくなってくる。

常に壁に耳あり障子に目ありを意識して話題を切り出しましょうね。

〈1030.オリンピック〉

7月23日。

 

ついにオリンピックの開会式が始まったわね。
いろんな思いがあるし、当日のデモもあったり、素直に良かったねと言えないのが残念だけど、選手は純粋に応援したい。すでにサッカーやソフトボールは始まっているし、ほかにも準備が進んでいる競技が多いだろう。
そこだけはちゃんと応援したい。

 

 

開会式は個人的にはけっこううれしいところも多かった。
安倍マリオがあったように、日本はゲーム文化が海外向けには強いだろう。そんでもって歌舞伎とか相撲のような日本文化の象徴は必ず絡むだろう。
「伝統文化」に全ぶりせず、「サブカルチャー」にふりすぎず、悪くはなかったと思う。
しかしながら、もうちょい「伝統」とかのほうの演出が観たかったなあと思わなくもない。
まあいいや。これもひとつの感動だろう。
競技がどんどんはじまっていくのがオリンピックの主役である。

 

 

開催も危ぶまれた歴史的なオリンピックになってしまったけど、どうせやるなら楽しんだほうがいいし、応援するならするでやったほうが楽しいわね。
選手に罪はないわけだし、どうせなら最高のプレーをしてほしい。

4年に一度が人によって重さが違うわけだし、娯楽の人もいれば人生をかけている人もいる。
どれが良くてどれは不正解とかそういうのは一切ないので、それぞれに楽しめればいいでしょう。
僕は興味がある競技とか、チャンネル回して気になった競技だけ見ることになると思うけども。

 

 

どうか無事に全日程終わってほしい。これ以上解雇とか失敗とかどうとかそういうマイナスな情報はなしでお願いしたいね。
それよりもメダルを誰が取ったとか、これだけ努力していたとか、そういう頑張れる話題をたくさん聞きたいな。
それこそ開会式でパフォーマンスしてくれた人がどんなことを考えてやってきたのかとかもありだろう。

せっかくの機会だ。明るい話題で目白押しの2週間にしてほしいわね。

〈1029.古着屋さん〉

7月22日。

 

最近訳あって服が必要になった。あんまりファッションに興味がないので服屋に行くのは苦痛である。安く済ませないと気が済まない。
ということで古着屋を何軒かまわった。中古ショップにいくついでに服を見ることにしたけども、これが結構おもしろい。
ということで、最近は古着を見ることが目的で中古屋にいくことになっている。

 

 

古着屋は大抵どの店でもおんなじ感じだと思っている。
女性ものと男性ものに分かれていて、その中でシャツとかジャケットなと長袖とかそういうのに分かれている。その間で靴やバッグが置かれている。

しかし、なんで複数店舗回る必要があるのか。
安いのはどの店でも同じだけど、自分にあったサイズを見つけられるかどうか、必要な/好きなデザインがあるかどうか。
この運の良し悪しも回ることの楽しさである。掘り出し物を探す楽しさだろう。

 

 

僕は今、ベージュの長ズボンが必要である。
いまだとユニクロとかGUとか、安くていいやつがどこで手に入る。しかし、個人的にそういう店は接客がちゃんとしているのでやや嫌になる。センスがない自分はほっといてほしい。無断で試着室を使わせてほしい。
古着屋だと商品が安いこともあるのだろう、結構がばがばで試着室を使わせてもらえる。

 

そんでもって、安いこと、これが一番である。さっき挙げた店なら2000円程度というそれでも十分安いものが古着屋なら最低でもそれより安い。
僕が買ったのは200円だった。別に汚いわけでもなし、ほつれがあるわけでもなし、問題なし。1000円でもまあありかもしれないのが、200円なら失敗しても良しとできる。
トライアンドエラーが無限にできるのが古着屋なのである。センスのない自分のような人間はこういう場所で勉強するのがよろしかろう。

 

 

失敗しても1000円以下ならまあいいだろうと思えると、いろいろ古着を見るのが楽しくなってくる。おそらく高校生のころにこれを経験したのならファッションも好きになったのかもしれない。
店なら5000円とかするジャケットも高くても2000円程度である。ちょっと奮発してそういうのも買ってもいいだろう。
古着屋はセンスのない人間の心強い味方である。

 

下北沢みたいにオシャレ全ぶりの古着はカンベンだけど、安くていけてない古着屋のチェーン店なら良しでしょう。

〈1028.研究するということ〉

7月21日。

 

どんな文化でもいいんだけど、ある作品について分析できる人って本当にすごいと思う。
絵を見てこれは何年の誰々の影響を受けているかもしれないとか、音楽の一部分がジャズの誰々の一小説を引用していてそれはその界隈だとお約束になっていて、とか。
あれ本当にすごいと思う。

 

 

それを特に感じたのは、岡崎体育の「Explain」だ。
歌詞が題名の通り説明になっている。Aメロ、Bメロ、ここでさび、メジャーで活躍するバンドがやりがちなアイデア、などなど。
僕なんかはそんなに音楽を聞きまくってるわけではないのでこの歌を聴いてもいまいちよくわかんなかったりする。でも、わかる人からしたら面白いんだろう。

 

研究する人の面白さってそこにあるんだと思うんだよね。
例えばスポーツでも、このタイミングでこの技を出すのは、何年の誰々が誰々との試合で始めたことで広まった、とかそういうのがあるわけだ。

調べる能力って一つの才能だと思うんだよね。
それを後天的にでも身につけなければ才能ある人にはなれないと思う。

 

 

その才能がほしいのは、やっぱりウケる文化を作り出すための核を見つけられるかどうかがそこにあるからだと思う。
ウケるかどうかじゃなくて、自分が理想と思っているものも結局これまで生み出されてきた作品群のいいとこどりだったり、乗り越えようとするためだからそもそも知らなければ意味がない。

つまり、全ては調べる能力が重要であり、学校の勉強だってその調べる力の基礎体力を身に付けるためだと思う。

 

 

リサーチ能力は本当に大事だ。特に今の時代、それについて情報がないというのは言い訳にできない。
やる気がないだけだと言われる。高度に発達した研究分野だって、百パーセント前例が何かしらあるし、その前例の先で前例がないものを見つけ出さないと蓄積の意味がない。

遊びの文化研究であればわらべうたからも勉強できるものがあるし、現代小説だっておおもとには古典がある。

なにかしらの研究者であること。これがクリエイターには必要な能力でしょうな。

〈1027.一億円〉

7月20日

 

よくある楽しい仮定の話。


1億円手に入れたらどうしたいのか。高校の時とかはよくわかんないから漫画たくさん買えばよしとか考えてたけど、今になって考えてみると貯金というのも理解できる。
生活するのにも、将来育児をするのにもお金がとにかくかかる。体が元気なうちはいいかもしれないけど、いつか体を急に壊すことになるかもしれない。
となるとやっぱり貯金だろうか。

 

 

しかしながら、1億円が急に手に入るのは多分宝くじかなにかだろう。
そうやって手に入ったのものは早いところ体から切り離したいとも思う。心のどこかに余裕があると身が入らないとか言うじゃない。


となると、一気にぱっと使っちゃって経済を回すほうがいいかもしれない。

しかし、どうやって使おうか。1億があったらなんでも買えるぞ。
テレビ買って、ヘッドホン買って、プレステ買ってってやっても高くても100万いかないんじゃないの。


不動産とか投資とかやってみて、ゼロになってもよしってことで倍になったらラッキーくらいでやってみるのも悪くないんじゃないかしら。

 

いやあ、そんなことより某社長みたいにばらまいて誰かの未来に投資するでもいいんじゃない。そっちのほうがいいや。気分もいいし、自分の変な余裕もなくなるし。
やっぱりお金をもらうのならそれに見合った労働をしたうえでもらいたいもんだ。

じゃないとメンタルがばぐっちゃう気がするよ。

 

 

すごく変な話、1億って大金だけど、規模をでかくして考えるとそうでもない気がする。
でっけえ家を買ったとしても土地代がやばけりゃあ維持できないし。
つまり、恒常的に1億円が手元にないといろいろとやりたいことは安定してできない気がする。


となると、投資家として誰かにいい感じの会社を運営してもらって配当金で次の事業、みたいなことをしないとあかんかもね。

 

そうなると、それに見合った人材が必要だし、人材を集めるためには自分自身のレベルアップが不可欠だろう。
結局、一億円もらったとしても僕には使い道がないということだ。


一年で一億円を給料としてあげるから、その代わりに毎日絵とか音楽とか文章とかをうまくできるような天才を雇おうかしら。

そんで自分が次の一億を稼げる天才になればいい話だね。