ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1408.おじさんのアドバイス〉

6月1日。

 

僕が市大会で初優勝したとかでちょっと調子に乗っていたころだから、10歳とかそれくらい頃のこと。
地元のおじさんとテニスをしていると、突然「素振りをして」と言われた。


まあこの地域で市大会優勝はレアだもんなあと鼻高々に自慢のフォアをブンと一振り。
「じゃあバックも」

まったくもうこのおじさんはしょうがないなあ。それほど自信はないけれど、ファンの要望にはこたえなくちゃならない。またブンと振ってやった。
「じゃあ次はゆっくり振って」

そんなじっくりみたいのか。しかしゆっくり素振りなんかしたこたことがないので、おっかなびっくりのひょろひょろだった。

まあこんなものかと、130cm・30kg前後の少年はおじさんにドヤ顔を向けた。
「自信があるのはフォアでしょう。自信があるほうがゆっくりでもちゃんと素振りができる。反対に自信がないものは早く振って適当にごまかす。バックはもっと練習が必要だな」

なんともこのおじさんがファン1号ではなく、ただの審査員だったのも無視できないが、それ以上に図星だったのが衝撃的だった。



16年くらい経って、ゲーム会社で「企画書」や「仕様書」を書いている。
考えるのが楽しいので、ガンガン書いて先輩に見せてを一年くらいやっているが、最近になって致命的な弱点に気がついた。
仕様の抜け漏れは、まったく気が付かなかった部分では”ない”場合が多いことである。

気がつきつつも、細かい部分だから指摘をもらって修正すればよしとしているものが、実は結構大事な部分であることが多そうだ。


とにかく経験をたくさん積んで、はやく一人前の戦士となることを第一としてきた。

その結果として機会には恵まれてきているが、どうも自分のクリティカルヒットの打数が少なすぎる。打席に無理やり立たせてもらう代わりに、三振やゴロになりがちである。



そこで、冒頭のおじさんが出てくる。
「自信がないものは早く振って適当にごまかす」

これが再び自分に向けられている。


テニスについて言えば、ロードローラー的にひたすら100本200本打つことで、県内では真似されないハードヒットを手に入れた自負はある。ただ、関東大会で勝てなかったのは、そのハードヒットがどうやって打ち出せるのか、どういう場面で使うべきなのか、よーく考えてこなかったからだと思う。

 

26歳の僕も、再びロードローラー方式で、ひたすら企画書・仕様書を打ち続けている。テニス同様、そのうち頭打ちするに違いない。ミクロに詰めて考えることができないからだ。

 

例えばマリオのジャンプを「60fps」で考え抜いた結果、実はジャンプする直前で一瞬膝を曲げるとよりリアルになるという発見ができ、プレイヤーの満足感の高い仕様の発注ができるかもしれない。
それが今はひたすら「1fps」で回しているので「マリオは80cmのジャンプをしましょう」という雑なオーダーになっている。



小雨のなか、167cm・87kgの要ダイエット成人が1カ月ぶりに素振りをしていると、妙に胸まわり・腹回りのキレが悪い。肉による可動域の縮小化もあるだろうけど、スイングスピードの著しい低下を見逃せなくなっていた。
そもそも、肘をまげるタイミングってどこだっけ?膝はどれくらい曲げる?そんなことを考えていると、おじさんがにまにましながらこちらに向かってくる。
「自信がないものは早く振って適当にごまかしちゃう」

 

配属されて半年と少しが経過し、ずっと解決しないもやもやの糸口を16年前のおじさんが持ってきてくれた。
60fpsで考えることにするから、そのわかったような笑顔はやめてくれやい。

〈1407.親愛なる妹へ〉

4月3日。

 

今日は昼の退勤だった。

平日昼間の群馬行きの電車でも、それなりに人は乗っている。すかすかの電車じゃなくてよかった。

 

午前の仕事はストレスだったのかもしれない。気がつけばまわりの人は反対側に一人いるだけ、最寄駅に着いていた。

 

 

妹はいつものところで横になっていた。

獣医からはもう家で過ごしたほうがよいと言われていた。

それからちょうど1ヶ月経とうかとしていたところだ。

 

相棒の柴犬が逝ってからまだ半年経たずだ。それほど仲良しだった弟妹ではなかったけれど、やっぱり寂しかったのだろうか。

 

 

妹は公園のダンボールにいた、と思う。親父がナイターで地域の人とテニスをしていたら見つけられた。

そしてその晩には我が家に迎え入れられた。

 

その時は両手ですっぽり包めるようなお人形だったのに、半年くらいで10kgは超えた。

君は甘えていたんだろうが、猛牛の突進を思わせる力強さだった。最大15,6kgくらいだったろう?兄の飯を横取りしすぎなのよ。

 

僕が実家にたまに帰ってきても、特別喜ぶ様子もない無愛想さは覚えているぞ。そのくせおやつの袋をガサガサやると飛びかかってくる。

まったくもって分かりやすかったさ。

不満があると、庭から部屋のガラスをガンガン叩いてアピールするし、雷が来ればその巨体で股下に潜ってくるし、いくつになっても子供みたいだったな。

 

 

桜が散って、さあこれからという時にこれだもの。相変わらずワガママな君だ。

病気はきっと苦しかったろう。どうか安らかに眠っておくれ。

 

兄貴は社会人2年目になったよ。

君に会わなくなってから8年経ったけど、中身は大して変わらんよ。

しっかりした番犬だった兄と比べて、肝心な時にビビり散らした君。やっぱり僕に似ていたと思うんだ。

 

捨てられていた君を拾ったのが、ウチで幸せだったかい。

目立つような幸せはなかったけれど、君がいた日常はきっと数段明るくなっていたよ。

 

ありがとう。

せめてそっちでは、兄と仲良くしてくれな。

〈1406.未来は明るいか〉

3月31日。

 

毎年この時期は年越しだと思う。
身分が変わったり、環境が変わったりで目まぐるしい。

12月の年越しはそういう節目だとだけでいまいち心境の変化はないように思う。3月31日から4月1日になるとその瞬間に身分が変わる。社会的な存在として変化がある。

ただ、今年の3月31日は、いつになくさみしく感じるものだった。
はじめて、推しが終わる瞬間を感じることになった。Vtuberミライアカリちゃんの引退だった。

 

 

最初の動画は2017年にあがっているようだ。
僕は大学3年で、インターンで削られる日々だった。サークルの運営をやっていて楽しかったけど疲れる日々だった。
家に帰って、パソコンやスマホニコニコ動画を見ながら冷たい総菜と米を飲み込み、嫌々眠る日々だった。
そこで見たのが初期も初期のVtuberだった。
キズナアイさんの動画を見たりしているうちに、ミライアカリちゃんの動画が出てきたんだと思う。

 

めちゃめちゃどっぷり浸かっていたわけではないけれど、ふと動画を見てはかわいい姉ちゃんがアホやってんなあと救われるものだった。

なかでも「ECHO」というボカロ曲を彼女が歌っている動画はよく聞いていた。
好きな曲を好きな人が歌っているのは良い気分転換だった。院試とか論文とか就活とか、そういう厳しい時期によく聞いたものだ。

 

説明は難しいけれど、地元にある、ときどき遊びに行った駄菓子屋とか遊び場が閉店するような、そういうさみしさがある。

 

 

大きな会社がバックについてから、活動の自由を制限され、結局落としどころがなく引退という選択肢になったらしい。
それは仕方のないことでもあろう。大きな会社というのはそれだけ影響力があるわけだし、発信力のある一部が自由にしすぎたせいで、全体が崩壊する危険性も孕んでいる。


Vtuberという文化とマルチな手広い会社という組織はそもそも適合しないものだったのだろう。

それだけに、さみしさがある反面、これから起きるかもしれない「落ち目」を事前に察して引退したのかもしれないという納得をすることにした。


初期のころのように個人でやっていたらそれが正解かと言われればそうとも言えないのだろう。


 

文化というのは難しすぎる。
個人や集団が意図的に作り出せるものではないし、なにより運営し続けたり経済力を大きくしようとすればするほど破壊への道が待っているものである。


そもそも文化を作りだそうとする時点で間違っているのだろう。大衆が受け入れて、勝手に生活に溶け込んだ先で始めて文化としてどんどん変容していくものなんだろう。

「○○祭り」というのが100年前に始まったとしても、まったくそのまま100年続いているわけではあるまい。勝手に受け入れられた部分のみが残され、不要とされたものは引き継がれなかった。
そもそも祭りに主体はいない。神自らが崇めろ!という祭りがあれば、たぶん長続きしないんだろう。


概念に対して、集団が賛同し共鳴することで文化が生まれるように思う。

大企業は確かにブランドを落とさないためにも発信する情報を拘束する必要はあるけれど、それだと個人は犠牲になるよなあ。


 

今日、同じチームから外れた先輩に対して、上司が発した言葉がよかった。
「これからのところでは根本的な面白さを追求する仕事をしてください」
大きなプロジェクトとか、長期間のプロジェクトにいると、正解を探す仕事を続けることになるだろうし、上司の顔色をうかがわざるをいけなくなったりするし、なにより個人は犠牲になるような気がした。
チームから外れた先輩が犠牲だったというわけではないと思うけど、自分がこのまま同じチームで10年働くというのであれば、たぶんそれは不幸だとちらと思った次第です。

 

どうせ生きるなら楽しくいたい。楽しくいるなら、自分として発信したい。自分として発信するなら、力を付けて広く伝えたい。
なんかそういう所信表明的なことを思った、年度末でした。


未来で探します。

〈1405.ハッシュタグ〉

3月15日。

 

会社の先輩が半年くらい毎日Twitterで活動しているそうな。

ただ単につぶやくんじゃなくて、自分の創作物である絵とかゲームの開発状況とかを更新しているそうな。

 

この人将来独立しようとしているんだろうな。一人じゃなくて二人でやっているならなおさらそうに違いない。

そのための足場を作っているんだろう。

かなりの熱量で更新している様子だ。

 

 

インディゲームを作ろうとする人は頻度を上げて更新したほうがよい、地道に知名度を上げていくと良い、という話が本に書いてあった。

なるほどそれは賢いかもしれない。

 

フォローをしまくっているわけじゃないみたいだ。大きくバズったことはないけど、ハッシュタグで広報しているらしい。

 

なるほど。

そうすると、ハッシュタグで新しい情報を求める人がコアファンになってくれるんだろう。

 

夢がある話だ。

素晴らしい。

 

 

僕も絵を上手くなりたいと思ってそれ用のアカウントを作って10日かそこら上げたことがある。

当然反応はないので、虚空に絵を見せている気分だった。

 

もちろん下手くそなので、知人をフォローしたり話に出したりすることはない。

ただ、仮面をかぶって絵を上手くなるために活動しようとしたけど、仮面をかぶっても虚無だった。

ただ、ハッシュタグをつければいいだけだったのに、それに気づかなかった。

 

 

ハッシュタグの存在意義がわからなかったが、そういう弱い紐帯を生み出すためのものだったようだ。

ハートが一つつくだけでもモチベーションになる。勉強になった。

やってみよう。

 

それとは別だけど、学びはきちんと文字に残した方がよさそうだ。

 

そういうことで、やっぱりホウチガに復帰しようと思ったわけです。

〈1404.プロアマ論争の結論?〉

2月23日。

 

あけましておめでとうございます。
寒い日が続く中で時々温かい春を感じる時期になってしまった。

そんな久しぶりの更新をしたくなるほどの衝撃を受けた。
「プロ」にこだわっていた私が、「非プロ」のほうが優れていると感じてしまうようなことがあったのだ。

 

 

スラムダンクの映画を3回見るくらいには、バスケにカブレるようになっている。
2-3週間前にはBリーグという日本のプロバスケの試合を見てきた。映画で見るのと違って、当然ながら速い。速いしダイナミックだし、戦略的でスリリングである。
ただ、もう一度見に来るかと言われると正直微妙だった。


というのも、ファンになりたいと思うほど魅力を感じるプレーはなかったし、なによりプロの技に気づけるほど私がバスケに詳しくないからだ。


ただ、試合に行くからついてこいと言われればホイホイついていくくらいにはファンにはなった。



そして今日は、よくわからない試合というかイベントを見ることになった。


「プロではなく、DJがいる15時スタートのイベント」これだけが事前情報だ。ぶっちゃけ、イケイケおじさんの自己満足な少人数イベントなんじゃないかと嫌な予感がしていた。

会場も大田区で治安悪いところだし、「プロじゃない」し、1時間かそこらいれれば十分だ。


そうやって気が付けば19時過ぎてイベント終了までフルで観戦してしまった。
「プロじゃない」けどプロの試合以上に興奮した。



プロじゃないとは言ったが、アマチュアというのは明らかに失礼なレベルでうまい。
インカレを戦ってきたような人たちの集団らしい。
しかし、素人目の私であっても数週間前に観たプロより甘いのはわかるような気がした。
ただ、その甘さがあったとしても、それを超える「魅せ方」を熟知した集団である。


つまり、プロとは違う方向で鋭くなっているということだろう。
これってつまり、インディーズってこと?



インディーズとは、Wikiによれば

主にある業種において「メジャー(大手)」に属さない、独立性の高い状態を指す言葉らしい。
まさにその通りであろう。大手に属するというのは、バスケでいえばBリーグであろうし、プロを指すだろう。
バスケだけど、ルールも独自であった。「ストリート系」という分類のバスケだった。


私はプロになりたかった時期があるわけで、すべてに対する認識の中にはプロかそうでないかの二択が内包されていた。
しかも、世界をまたにかけるプロ中のプロが正しいプロだと考えていた。

 

音楽も、インディーズには興味がない。ゲームだって大手パブリッシャーが出す者がすべてだ。
だって、「中途半端に諦めきれない人たちが、中途半端な技術で自己満足のために世に出しているもの」がインディーズだと認識していたからだ。


だとしたら、あの会場の熱気は「嘘」ということになるのだろうか。



断じて否だ。
かつての僕なら「結局アマである」と頑固に言い張ったかもしれない。しかし、プロの試合を見た後、ストリートの試合を見て、興奮はプロかアマかによるものではないと知った今では認めるしかない。


プロ/アマというのは非常に曖昧な境界だろうし、明確に技術の上下はないように思う。
なにより、たとえプレイヤーの自己満足であったとしても、それに「魅せられた自分」は真である。


「プロであることがすべて」と思っていたけれど、その「すべて」って一体何だったんだろう。



もちろん、プロは競技するだけで生活できる/スポンサーがついてくれる、ということで楽しめることが保証されているのは言うまでもない。
レベルが高いのは間違いない。ただ、レベルが高いことが感動するということにイコールではない。


ひとつのことに特化したことで相対的には下手になるとしても、その特化したことで誰かのハートを貫くことができるのを身をもって体感してしまった。



もちろん前提として一定のレベル以上である必要はあろう。
素人がどれだけがんばっても素人である。きちんと型を学んだり、人前に出て恥ずかしくないレベルまで到達してから、プロかそうでない道かを選んだ結果であろう。


純粋に好きで好きで仕方ないというのも必要かもしれない。
なにはともあれ、インディーズの中に輝くものがある。その輝きがプロを超えてくるかもしれない。


「プロ/アマ」の二項対立で捉えているのはもったいないし、そこに「優劣」をもってくるのはくだらないようだ。
「大衆が感動している」かどうかも、「自分の感じ方」には大して意味がない。
「自分が感動したかどうか」これが唯一自分にとって信頼できるものさしだ。


大事なことを見出すことができた日だった。
とにかく体験することだ。「ラベリングはしょうもない」と言う奴こそが、ラベリングを気にしているということだ。
ミイラ取りがミイラになっているということか。


これからは、もっとフラットに自分の感じ方を気にすることにしよう。

〈1403.大晦日だよドラえ〉

12月31日。

 

さて。

いろんなことがあった一年もおわる。

別に生物学的な変化はこの数時間では起きないけれど、社会的な意味としては大きなものが起こる数時間である。

 

わざわざ最近めんどくさがっていた更新をするのも、他ならぬ私がこの周期に意味を見出しているからだ。

 

誰が365日を周期としたのかは知らないし、その参考にしている宇宙の周期もなぜこのタイミングで区切りをつけたのかはわからない。

何も知らないけれどそれでも問題なくめでたいんだからね。

 

 

紅白を観てまったりしている。

ウタが出てきたり、なんかさみしいダチョウ倶楽部が出たり、それはそれで振り返りになって面白かった。

人が歌っている様をテレビで観るのはあまり好きではないが、観てみると意外と面白いものだ。

 

初めてとか、苦手とか、僕は結構思い込みであることが多いので来年は気をつけようかな。

 

片手間でゲームの課金をして希望するキャラクターが出てきた。来年も課金するだろうな。

 

 

抱負を掲げるのも悪くないかもしれないが、それは会社の先輩に向かってにしよう。

思いの外、もし会社の人にネットでの自分を見られると恥ずかしいということも初めて知った。

 

ネットとの向き合い方が、ここにきて難しいと感じた2022年だった。

 

 

知っている人の活躍を見る2022年だった。悪くないけれど、そろそろ自分も活躍したいものだ。

 

環境に慣れることに苦心した一年だったので、来年こそ目立てるように気を引き締めるぞ。

 

ネタもないので、紅白と共にぐだぐだと年を越すことにします。

 

一年お世話になりました。

来年もたまに更新するので、その時はどうぞよろしくお願いします。

〈1402.豊かとか幸せとか〉

12月29日。

 

社会人としてそれらしい額のボーナスをはじめていただいた。
豊かであることのありがたみは余裕が生まれることにあるようだ。


毎月一定の額が手に入ることがわかっているので、欲しいものがあれば貯金して来月買おうができる。
学生の間は我慢していたゲームの購入もためらわずにできる。欲しい時に本も買える。
仕事も時間制限があるので日常に侵食してくることもない。とんでもなくよい環境に身を置いているようだ。

ここまでの半年くらいのことを書いてみると、なんとも恵まれているようだ。
同時に学生最後のバイト先の社員/準社員を思い浮かべてしまう。申し訳ないが、ベテラン社員よりも今の自分のほうが収入があるだろう。

なぜ彼らと僕との間で違いがあるのだろうか。



今の仕事は製品開発である。業務内容も、言ってしまえば直接的に収益を出すような仕事ではなく、数年後数十年後に儲けるための下ごしらえをしているようなものだ。在宅ワークなので外部のひとから暴言を聞くこともないし、不安要素があれば上司に報告すれば大抵解決できるありがたい環境である。
未来の収益のために、財産を蝕んでいることにほかならない。


それに比べて、一年前のバイトはどうだろう。自分の態度次第でリピーターが出てくるかもしれない。直接的に収益に関わってくる重大な任務である。一日中外に立ったり、古くなった弱い暖房で休憩時間を耐えなければならない。常軌を逸したお客の相手をしなくちゃならないので精神的負荷も大きい。


どちらも比較的大企業なのだが、脳みそをどれくらい使うのかがその分かれ道であるようだ。
一年前は言ってしまえばマニュアル仕事で、習得できればレベルの差はほとんど生まれない。新規性を上司からも求められないし、ルールをたんたんとこなせる人間が重宝されたものだ。
現在はむしろ毎日アイディアを求められるし、同じことをやってしまえば不要である。どう改善したのかで評価が決定され次のステップや給料に関わってくる。ルールを守るのは前提なのだ。


話を大きくしてみると、対人能力よりも専門家が価値があるとされるのが現代社会、と言えるだろうか。


しかしそう簡単に結論付けるべきではないだろう。
専門家とはいえ、大学院の先輩方はどうだ。苦労して奨学金を勝ち取ったり、負ければバイトに頼らざるを得なかった。
そしてなにより、社会に価値があるとされることにどれくらい意義があるのかが不明確になりつつあるように思える。


まあ小難しい議論はもうできないので、自分のこどもができたらどう教えるのかを考えてみる。
間違いなく金はあったほうが良い。選択肢があるというのは精神的余裕が生まれる。単純に幸福でもあるように感じている。
ただ、選択肢を増やすのは決して金だけではない。体験することも選択肢が増えることにほかならない。
アフリカに行った経験がある今世では、旅行の選択肢にアフリカがある。移住しなさいと言われたときにも他の人よりカードが多いのだろう。
部活で厳しい生活を送ったからこそ、どんなバイトでも環境を理由に途中でやめることはなかった。メンタルの不調を悟ることもできつつある。


つまり、①一定の金はもらえる/もらう手段を確保できる、②一つのことに熱中させつつ幅広く経験させる、この二点は子供に遺言として届けたいものだ。


そしてもう一点。
最近聞いた話だが、過去の知り合いが警察のお世話になったとか。目の前の金に目がくらんだか、断り切れなかったかだろう。
それを聞いてからは、③憧れの人に知られて恥ずかしくないかどうか、これを判断軸にしてもらえたらいいなと思います。


じゃあ憧れの人ってだれ。
究極的には社会的正義に則っていなくてもいいと思う。生き方のモデルになる存在であればそれでよいだろう。


自分も考え方の軸がなくて困っています。
来年の抱負としては、なりたいと思う人間像を発見することですかね。

 

頑張っていたら結果的にお金をいただけるように生きたいです。


。。。。。。。

 


実に数カ月ぶりの投稿になってしまった。

前回は弟が亡くなった時だったか。明日が四十九日であるようだ。

彼との生活も間違いなく幸せだったなぁ。


今年はこれが最後の投稿になるかどうかはわからないが念のため。良いお年を。今年もお世話になりました。

 


来年はもう少しスタイルを変えますわよ。