ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈558.ことば〉

4月8日。

 

とても気をつけなくちゃいけないこと。

心でどんなことを思っていても、あなたには言葉の意味でしか伝わってないこと。

 

ぼくが、ちょっと杜撰な言葉で思っていることを伝える。

たとえば、その本。

ぼくは好きにはならないけど嫌いというほどではない。

でも、そういう本は存在していて欲しい。いつか読むことがあるかもしれない。

 

これを「興味ない」って言う。

 

当然、あなたはせっかく教えた本でもそんなふうに思うのか。ゴミ箱にポイするみたいに。

ムカムカするし、悲しい。

 

ぼくはそこまで思ってないのに。

ぼくがもっと丁寧に言葉を選べばよかったのに。

でも、言葉を選ぶのは面倒で。

 

目と目だけで通じ合えりゃこんなことないのに。

 

 

そう思うことが毎日ある。

無限にある。

そんなはっきりと嫌悪を示したつもりじゃないけど、そう伝わってしまった。

そんな好きでもなかったのに大好きだと認識されてしまった。

 

 

人の会話でも思う。

この人、そんな意図ないだろうに。なんでそんな言葉を使っちゃうんだろう。

先輩も後輩も先生も同期も。

 

「このひとの言葉は完璧だ。」

そんなひとぼくは見たことない。

有名なコピーライターでも、作家でも、アナウンサーでも、政治家でも。

 

なんでそんなこと言っちゃうの。

 

 

でも、それって「ぼくには気持ちよくないだけで、みんなには気持ちがいいもの」かもしれない。

ぼくだけが、その言葉を聞いて嫌だと思っているだけかもしれない。もったいないって思うだけかもしれない。

 

わかんない。

完璧な言葉ってなに?

 

 

時々、言葉が邪魔になる。

絵に頼りたい。映像に頼りたい。音楽に頼りたい。

言葉だけじゃ伝えたいことが伝えられない。

 

ぼくはいまも、言葉がヘタだ。

話すのも、書くのも、うまくない。

 

あふれるおもいが言葉にできなくて、悔しい。

悲しい。

叫びたい。

うまくなりたい。

 

 

戦闘力2日目

6(+1)

・本の購入(チラ見)

〈557.モアイの話〉

4月7日。

 

小中学生のころ、なかなかの時間を費やしていたものにケロロ軍曹があげられる。ギャグ漫画のなかに時々小難しい表現があって親に聞いたりした記憶もある。何度も読み返した好きな漫画だ。

 

基本的にギャグなんだけど、時々挟まれる真面目な展開がこれまた好きだった。

そのなかでもよく思い出すシーンがある。

 

 

主人公はケロロ軍曹とその友達の地球人日向冬樹日向冬樹はオカルト好きな中学生である。彼には一つ上の姉、日向夏美がいる。

 

僕が好きなシーンというのは。

夏美はオカルト否定派だが、テレビでオカルト番組をやっていると冬樹を呼ぶ。

しかし、そのオカルト番組というのがバラエティ系であり、モアイで大喜利をしているような場面だった。

夏美はそれをみて爆笑しているが、冬樹は自分の部屋に戻る。

「こういうときは僕がズレてるんだ。」

やや俯いて、悲しそうに笑っていた気がする。

細かい言葉は忘れてしまったが、確かこういうことを言っていた。

バラエティで、好きなモノを笑いの種にされるのを馬鹿にされているようで嫌なんだ。でもそれを嫌というのは違うのかもしれない。だから僕は部屋に戻る。

 

 

この姿勢がすごく響いた。だから10年以上前に読んだものだけど覚えているんだと思う。

嫌なものは嫌と言う。この姿勢も間違っちゃいないし、必要な場面も間違いなくある。

だけども、一歩引く姿勢。これもまた大事だと思う。

 

SNSで比較的簡単に責任をそれほど負うことなく発言が可能になって10年くらい経つだろうか。当初からそうだけど、「荒れる」のは結局一歩引けなくなったときだ。

なんで引けないのか。顔がお互い見えないからどこまでも強気になってしまう。現実とは一線を画した世界だから。その結果、好きなモノをバカにされたことをしつこく対立してしまう。

 

 

しかしだね。

本当に心から愛しているのであれば、誰がどうとか関係ないんだと思う。もちろん、作品で制作者のメンタルを削るような炎上行為をしたものがいれば、法に則って適切に処罰されるべきだ。だけどもそうでないならば、やはり一歩引くのはどうだろう。

そしてむしろ、その愛している対象の素晴らしい点を永遠に口にし続けたほうがよっぽど貢献できる。そうじゃないかね?

それがウザがられるとしたら、愛の押し付けになってるから気をつけなきゃいけない。

だが、押し付けず、ただひたすらに愛を語るだけならむしろ平和な世界だと思う。そして気に食わないことがあったら一歩引く余裕を。

 

 

今回の話はここまでで、全然関係ないけどどうせなら成長したいと思い始めた。

コロナで室内に閉じこもったほうがいい。しかしそうなるとやる気が出ない。可視化したい。

 

ちょうど見ていたドラゴンボールではスカウターが戦闘力を出してくれる。

それなら僕の成長も数値化しよう。

 

僕の場合だととりあえずインプット量が少ない。

なので、読んだり見たりしたものを一つにつき5-10で戦闘力を加算していこうと思った次第です。アウトプットの加算はおいおい考えよう。

ということで今日から文末にメモを残していこう。前日比とその内訳でね。

 

 

今日の戦闘力: 5(±0)

〈556.わらび餅〉

4月6日。

 

引きこもり生活で生活管理がずさんになりつつある毎日。

病じゃなくても、メンタル的に崩れていくような気がします。

そんななかで、このまえ冗談だけどもそのなかで大切なものを見つけたのでお話しします。

 

 

このまえの石川旅行。

せっかくなのでいつもお世話になってる先輩にお土産を買いました。

なんか歴史ある店の、どこかのお上に献上してたわらび餅。こういうものならハズレなさそうだし、おいしそうだし。

そういうフワッとした気持ちでわらび餅に決めました。

 

 

京都に戻って研究室に行きました。いざ先輩に渡すとなったとき。ハテ、どういう説明になるんだろうか。

"コレ、お土産です。石川の、なんか有名なお店らしいですよ。なにかに選ばれたんだっけナ?そういう、いいやつです。"

 

すると先輩は大声でこう言いました。

「お前さ!なにかに選ばれたとかじゃねぇだろ!お前が選べよ!」

 

こういったあと、先輩は爆笑しはじめました。こういう謎のノリを楽しむ人なのです。僕も一緒に笑って、感謝を言われて、それでそれぞれの研究室に戻りました。

 

 

「なにかに選ばれたとかじゃねぇだろ、お前が選べよ。」

ここのところのもやもやを吹き飛ばしてくれたような気がしました。

 

僕はやっぱり外からの見られ方を気にしてしまう。

仕事にするならば。ちゃんと資格を得て、ちゃんと社会的に認められたところとご縁を作って、それから。それが信用を得る方法。

誰かと旅行をするならば。ちゃんと有名なパンフレットに載っている有名なところ。それなら信用を得ることが確実。

本を読むならば。ちゃんと有名な人が書いたもの。あるいは有名な人が推薦したような本。面白さが担保されているから。

作品を作るなら。ある程度専門知識を得て、技術を習得してから。それなら安心して世に送り出せる。失敗という失敗は逃れられる。

 

 

お前が選べよ!

これは失敗を自分で引き受けろ、そういうことであります。

無意識に失敗を自分では引き受けたくない結果、どこかに認められたとかなにかに選ばれたとか。そういう「社会的に認められた」モノにすがっていたと思います。

 

冗談の会話の中からではありますが、僕はなにかを晒されたような、痛快さを感じたわけであります。

 

 

僕は下手くそなんですが、イラストを描けるようになりたい。

文章だけでは僕は表現できないものがある。だけども、いまは素っ裸なわけでありまして、勉強することによって武装して、それっから始めようとしているわけです。

 

ひとり親友がおります。

「今の時代はスピードが命。どれだけ早く流行を探れるか、先を見越して始められるか。」

会うと必ずこういうことを言ってくる奴であります。

そいつは僕と意見と真逆だなあとずっと言ってきましたが、やはり武装するのは時間がかかるようです。

 

 

さすがに公開するほど上手くないし、自信もないのでアレですが、武装ではなくちゃっちゃとイラストを描き始めようと思う次第であります。

もちろん、ウケるためにはある程度社会的に認められたほうがいいと思うけど、それは初心者が考えることではないか。

 

 

そもそも社会的信用ってナンダ?

 

自分が感動すればそれでええやんけ。

〈555.余計な心配〉

4月5日。

 

もうじき昼になるころ、ようやく僕は決心してインターホンに手をかけた。僕のじゃない部屋番号。そうしてぼくは自分の部屋に帰ることができた。

計4時間のアパート前待機。こちらから動くことでようやく道は開けた。

 

 

4時間もやることもなしに立ち尽くしていると、余計なことを考えてしまう。

コロナ騒動でみんな部屋にいるけども、もし、もしも地震がおきたらどうすればいいんだろう。体育館への避難を余儀なくされたら間違いなく濃厚接触になる。丸一日マスクを外すことはできないだろうな。

コロナの不安に、さらに余震への不安。よりイライラするんだろう。Twitterはきっと荒れるだろう。体育館の中でもダンボールで区画を主張しあったり、咳をしたしないで怒られたり。

あぁ。そんなこと頼むから起きないでくれ。

 

無駄な時間を過ごしてしまった。

 

 

部屋に戻ると電気はつけっぱなし。もったいないなぁと思って靴を脱ぐと、人の声が聞こえてくる。

部屋を中に置いたまま外に出たってことは、部屋の鍵も開けっぱなしだったことになる。つまり空き巣に入り放題な環境を作ってしまった。

 

これは。マズい。泥棒か…?

しかし、入らねば。

 

勢いよくドアを開けると、誰もいない。

そのかわりYouTubeからジェラードンのコントが流れていた。

 

 

時間を持て余してるわけではないけども、まあ持て余している。そういうときには余計なことを考えてしまう。ifの話、過去の話。

「いま、ここ」を生きているんだから、そんなこと考えてもなにも変わらないよ!

いや、余計なことを考えている瞬間は「いま、ここ」で生きてはいないけど、余計なことを考えるからこそ「いま、ここ」の予測不可能性に対策がたてられるのか?

かもしれない。
とはいえ、「いまここ」を脅かす余計なことならしないほうがいいかもしれない。
なんとも言えない。


僕の家には地震対策のご飯はあるけど他には何もない。なにか用意しようかしら。

といいつつまた「海野くんとおともだち」を再生し始める。

〈554.外に立つ、ひとり。〉

えと、いままさにそうなんですが、オートロックの中に鍵を置いてきてしまい、家に帰れない状態なのです。

 

ことのはじまりは昨晩でした。

不要不急な外出を控えていたら、飲み物がなくなりまして。それで夜の23時ごろにスーパーに出かけることにしました。微炭酸の飲み物を二つ。エコバックに入れて家を目指しました。

すると、いつも鍵を入れている上着のポッケがどうも軽い。金属がぶつかりあう音、チャリンチャリンとそれが鳴らない。

 

アパートの玄関の前でポッケというポッケを探すけど、どうもない。そして鍵を閉めた記憶もどうもない。これはやったぞ。ようやくそこで気がついたわけです。

夜の23時過ぎでした。

 

 

とりあえずネットで調べました。至急の場合は連絡したほうがいいとの知恵袋の回答。しかし至急じゃない。

そういうときは完全にアウトだけど誰かが出てくるのを待てと。

こちらを選択しました。夜の23時。不要不急の外出を避ける時期に。希望は薄でした。

 

 

24時過ぎた頃。案の定中には入れず。さすがに寒さの限界でした。

誰一人外に出る様子はなし。仕方ない。私は研究室へ向かうことにしました。

 

向かう途中、ようやく気づきました。

研究室の鍵も一緒に部屋の中にいると。暖かい部屋の中で主人の帰りを待っている。しかしその主人が入ってくることはない。君たちがいなければ主人は中に入れないのだよ。

 

 

そのとき親しくて、仮にでも許してくれる人を頭の中で検索しました。当たったのは2人。うち一人は京都にいませんでした。もう一人の方にとりあえず電話をかけました。

もう布団の中だというので、事情を説明したところ中に入れてくれました。優しい人だ。

そこで一晩明かす場所を見つけることができました。24時30分。

 

 

そうしていま、翌日の朝9時。

本来ならばまだ布団の中で夢の中のはずです。しかし人生はそううまく立ち行かない。私は再度寒い朝の京都で、自動販売機の前でしばらく立ち尽くすことにしました。

 

あと何分後に扉は開かれることでしょう。

いや、開かれない方がいいんだと思う。それが今の時期にあるべき姿だよ。しかしだね、寒いんだ。

ぼくと同じように喉の渇きを覚えて外に出てくれないか。

〈553.今日の世界の見聞録〉

もし今日という日を見返すことがあったら、なにかためになることを残したい。そう思ったので、今日見た世界のことを書き残す。

 

 

遂に所属する大学の研究室から外出の自粛のお達しがあった。マスクなしでは研究室に入っちゃダメ。もちろん授業もゼミもなし。

気軽に研究室には行けないので家のベッドの上で大半を過ごした。どうぶつの森で釣りと化石の発掘に勤しんだ。

 

昼過ぎ夕方前にさすがに気が参ってきたので、マスクをして研究室に行った。道すがら、すれ違う人はマスクしてない人が多かったように思えた。家にあるのを切らしてしまっているのか。大変だろうな。人通りの数はそれほど減ったような感じはしなかったのは、病院の前だからだろうか。

 

やはり桜は美しく、川もまた美しい。

 

 

どこに行っても、部屋にいて見るネットの世界もコロナである。むしろコロナ関係ない話がない。広告のうざいバーみたいな奴だけが漫画の宣伝やらえっちな広告をしている。

他のすべてがコロナの影響を受けている。

家の近くのパチンコ屋の入り口には赤字で安心と衛生がどうのこうのとか。その先の飲食店はマスクをしている、いや飲食のマスクはもともとだっけ?それすらわからないくらいだ。

 

 

研究室の部屋は換気が必須である。密室NG。いつもの部屋を閉じて自分だけの世界に浸れないので研究室の意味がない。ストレスだ。

研究室の廊下は相変わらず人通りはある。みんなマスクをしていたけども。夜になると流石に電気が消えていた。何部屋かはついていた。これは前からそうか。夜型の人はなにがあっても夜型なんだろう。

 

 

夕方から夜にかけて。外を歩く人のマスク率が上がったと思う。なんでだろうな。単純に人の数が増えたからそう思っただけだろうか。

濃厚接触を避けなければならない。居酒屋はもちろん、カラオケも、バーも、華の金曜日のくせに人はいないような気がした。入りたくても、濃厚接触を気にしない野郎だ、なんて思われそうで怖いところもあるだろう。実際そうかもしれないね。対策の意識が低いのかもしれないわね。どういうスタンスならいいのかわからないな。ぼくは。

一方でそういう店を営んでる人たちの生活はどうなるんだろう。学生身分の私はありがたいことにそこの危機感を持たずに済んでいる。

 

 

帰宅後Twitterではやはりコロナの話だ。もちろん可愛いイラストだったり、動物の動画だったり、ゲームの話だったり、いつもどーりなTwitterではあるけども、ちょっとスクロールしたら必ずコロナの野郎がチラつく。

マスクの配布だとかで怒ってる人と、それ以外の情報も気にしろバカやろうと怒る人。それをなだめる人、焚きつける人。

 

犬の動画流す人増えろ。

キツネの写真増えろ。

赤ちゃんの動画増えろ。

猫の寝姿増えろ。

みんな優しくなぁれ。

〈552.冷たいレッテル〉

4月2日。

 

「行為の意図の説明をするために、心の状態を導こうとする。」

「その結果、その行為の主体を"よくあるキャラクター"として描く。」

 

大学院で尊敬している先輩と話をしたときに出てきたフレーズ。メモしておいた。オレは偉いな?

こういうことなんだろうな。知りたいこと。

 

 

未知のものを見たときの思考の整理の仕方だとするとわかりやすくなるかしら。

例えば、やたら食パンとかの袋を止める尖ったU字型の青いやつを集めている人がいたとしよう。その行為を理解するためにどんな文脈をつくるだろうか。

それを多くの場合は、青い留め具の収集癖、というだろう。

 

これはまだわかりにくいかもしれない。

 

例えば、来年の2月に将来がかかった大きなコンペティションがあるとする。それに向かって斎藤君は計画を立てて、見事に遂行している。それをみて、近所のおじさんはこう評価するかもしれない。「斎藤君は頑張り屋だからね。」

 

悪い気はしないんだけど、頑張り屋だからやるのではなく、コンペティションがあるからやるのだけどもなぁ。斎藤君はそんな気持ちになるかもしれない。近所のおじさんは、なんかちょっと冷たいような感覚を受けるかもしれない。

 

頑張り屋って言葉で片付けないでよ。

 

 

心の状態を導くことで行為の意図を説明する。

というのはこういうことだ。先輩の専門分野的な説明をすれば、ある儀礼的行為(手を合わせて唱える、みんなで頭を下げる等)の意図の説明として、「神様を信じているからね」という言葉を選ぶこと。

もちろん、儀礼的行為をするなかには本当に神様を信じる人もいるだろう。だがね。全員がそうとは限らない。

我々が「いただきます」というのは、本当に感謝しているから?むしろ習慣の一部として言うことになってる、というひともいるんじゃないか。

 

 

この「相手の心を推し量って行動の意図を説明する」というのは間違いなく大切な作業だけども、同時に壁を構築していることを忘れるな。

相手の心ってのは、その人にとってもよくわからないんだから。それなのに赤の他人の僕が勝手に土足で上がり込んで、お前はこう考えてるからこういう行動している!と決め付けるのは、冷たい奴だと思っちゃう。

 

 

僕は高校の頃、とてつもなくゲームの妖怪のキャラクターが好きになった。

それをある人はこう判決を下した。

「男子校で女子がいないからこういうものが好きになるんだよね。」

そうして僕に「オタク」というレッテルを貼った。

 

オタクだとしてもいいけども、君にとってオタクってなんだね。そもそもオタクの定義はなんだ?勝手にマイナスイメージを持ってやしないか?そして、なぜ僕が男子校生であるが故にゲームのキャラが好きだという論理になるんだい?

 

壁を設けることになったよ。無意識に。

 

 

このレッテル貼り、行為の推測からの意味づけは無意識でやっちゃうから難しい。無意識で勝手やって、その結果どんどん壁が作られていく。悲しい。

マスクをしてないやつは、問題意識が弱い。ある意味正解かもしれないけども、はたして。

 

こうやって取り上げれば、多面的にみることができるけど、日常における瞬発思考力ではなかなか難しいよ。冷静に考えるって難しい。

僕は瞬発思考は苦手です。だからこうして長々と書いてしまうのよ。

 

 

夜道、月を見て妄想する。

いま、承太郎が時を止めてDIOをぶん殴ったかもしれない。その時に僕の腹をTHE WORLDが突き破っていったかもしれない。ところがクレイジーダイヤモンドがなんか上手いことやった結果、僕はなにもなかったかのように桜を立ち見しているかも。

この思考の意図はなんなんだ。

「現実逃避」だろうか。そうともいえない気がする。「オタク」だからか?

 

なんでもいいや。あなたがそう思うなら。