ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈478.偶然とか運命とか漫画とか〉

人生はなにが起こるかわからない。だからおもしろい。

 

ジャングルポケットのコントでボケ担当のサイトウさんがコントの終わりに言った言葉。なにか元ネタがあるのかもしれないけど、良い言葉だね。コントはほんとくだらなくて大好きだけど。

 

 

僕は頻繁に壁打ちをしに自転車で15分くらいのところに行く。大きい公園がある。

その公園のすぐ近くにTSUTAYAがある。そこに入ったことはなかった。でもなんとなしにこの前、壁打ち終わりに入った。

 

そしたらそこにMONSTERがあった。浦沢直樹さんの漫画だ。王道の漫画についてさえ詳しくない僕がなんでMONSTERを知っていたのか。大学一年まで遡る。

 

 

大学一年の1年間だけテニスサークルに入った。一応大学で一番強いサークルを選んだ。活動場所が別のキャンパスだったからめんどくさかったけど、同じ学部の先輩が面倒を見てくれていた。

一度その先輩の家で飲み会があった。大学のテニサーなんていったらそんなもんだ。毎日どこかで誰かが飲み会を開いている。その一つに過ぎない。

 

たまたまその先輩の家に1時間早くついてしまった。せっかくだから部屋の片付けの手伝いを頼まれた。本を片付けたり、机を拭いたりしていると、そこにいた。MONSTERが。

なんともなしに開いてしまった。パラパラとめくって本棚にぶち込むはずだった。でも続きが気になって仕方なくなり、掃除は中断、30分だけだったけど4冊読んでしまった。

 

 

それから5年が経った。ほぼ忘れた記憶の奥底から蘇ってきた。たまたまなんともなしに寄ったTSUTAYAの、なんともなしに見た本棚を見て。

あのミステリー。あの残虐。あの恐怖。

 

そうして今日、18巻を読み終えた。

 

 

僕があの日パラパラとめくらなかったら。

僕があの日早く先輩の家に行かなかったら。

僕があの日テニサーに入らなかったら。

僕があの日大学に入らなかったら。

僕があの日テニスを選択しなかったら。

 

僕はMONSTERにこういう出会い方をしなかっただろう。この心の浮遊感は得られないだろう。

 

 

不思議な話だった。事あるごとに読み返したくなる話だ。この話に出会うまでにもなにか不思議な運命があった。運命としか言いようがないような偶然だ。

人生はなにが起こるかわからない。だからおもしろい。

2020年初!共同企画【交換小説】

皆さま、ご無沙汰しております。

はらみきです。

お変わりありませんでしょうか。

私の方は何一つ変わっておりません。

ここ数か月脱力期のようで、、、

何一つ身が入らず。ホウチガもかなりサボっております。

ただただ時間が過ぎていくのを待っているような私ではございますが、早くこの脱力期を抜け出して、ホウチガにももっと顔を出すようにしますので、2020年もよろしくお願いいたします。

 

さて、かなり遅めの新年の挨拶も終えましたので本題へ。

 

2020年初の共同企画です!

今回はだいちくんの提案でなかなかハードルの高い【交換小説】となりました。

交換小説というのは起承転結をそれぞれ別の人が書くようです。

 

起:はらみき

承:みっきー

転:もんじゃ

結:だいち

 

です。

 

 

もうこの半年まともに本も読めていない私には大変難しいものでしたが、ただなんとなく思いつくままに書きました。

 

タイトルはまだ未定です。

小説が出来上がったら決めましょう。

では拙い文章ですがどうぞ。

 

────────────────

11時40分。1限目の試験が終わったころだろう。今日はセンター試験当日。

進学校に通う高校3年生の私は当然センター試験を受ける予定だった。しかし、私は試験会場にはいない。

 


朝7時半、9時半からの試験の1時間前には試験会場に着こうと、早めに家を出た。足取りが重い。緊張ではなくなんとも言えない嫌な感じ。寒さがよりそう思わせている。

 


早く終わればいいのにと思いながら、20分ほど歩き地下鉄のホームまできた。

7:56分発貝塚行き。これにのれば試験会場の最寄り駅へは15分でつく。

電光掲示板を見ると、前駅まで地下鉄が来ていると示されている。

「はぁ。これにのれば15分で着いてしまう。」

より一層嫌になる。

 


地下鉄は時間ぴったりに来た。

ピコンっという音と共にドアが開き、一斉に人が乗り込む。

そんな中、私は足は立ちすくんでしまう。

 


 私は歯科医師である父と父の病院で受付をする母のもとに生まれた一人娘。

父が医師であることと共働きであることにより、お金には不自由なく暮らしてきた。

そんな両親の口癖は「お金の心配はしなくていいから、自分の好きなことをしなさい。そしてそれを仕事にしなさい。」だ。

好きなことがない私にはこの言葉がプレッシャーだった。

何をやっても長続きしない私には、時間を忘れてついつい没頭してまうこともない。

これまで、とりあえず周りに流されるように進路を決めきた。今回のセンター試験もそう。進学校だから、ほぼみんな大学へ行く。だから私もそうしようと思った。

 

 

 

 


プルルルルルルル

「ドアが閉まります。ご注意ください。」

立ちすくんだまま電車は行ってしまった。

その瞬間、心がすーーっと晴れていき体が軽くなったように感じた。

両親の口癖。「好きなことをしなさい」

今のは私はどうだろう。周りに流されて何も考えずにここまで来た。

センター試験への緊張と憂鬱な気分が高まり、地下鉄を待つ間自分のことを俯瞰していた。「どうしてこんな嫌な気持ちに囚われているのか」そして両親の言葉を思い出した。

 

気づけば反対側のホームにいた。

 

はらみき【起】 完。

────────────────

 

〈477.恐ろしいものの片鱗を味わったぜ〉

ありのままいま起こったことを話すぜ。

 

俺は夕方から24時までバイトだった。

そのバイト中に遠くから友人がやってきた。

俺はその友人のために、バイト前に部屋をきれいにして布団も毛布も敷いてやった。書き置きでゆっくりしてなさいとやっといた。

 

ようやくバイトを終えて家の前に着いた。俺のアパートは玄関に鍵を入れて開くタイプのセキュリティだ。

だが鍵は友人のためにポストに入れといた。ポストを確認すると案の定鍵はない。

よかった友人は無事部屋に入れたようだ。どれ俺も入って酒でも飲み交わそうか。

 

そう考えながら自分の部屋の番号を打ち込んだ。1分待つ。返事がない。

スマホで電話をかける。出ない。

おや。これはもしかすると、もしかするな。

 

慌ててもう一度部屋番号を押す。応答なし。

LINE返事なし。

 

外は寒い。このままだとラチが開かない。仕方なし、24時間いつでも入れる大学院の研究室に入った。暖かい。

 

そうして今1時間が経った。

LINEの既読はつかない。

 

 

さて。

ここで問題だ。やってきた友人はどうしたのか。

1、部屋で寝ている。よくもまあ家主なしのところノウノウと寝ていやがるぜ。タイマーで暖房をつけてやるみたいな優しさを出さなきゃよかった。

2、彼は拉致された。部屋の鍵は奪われ、彼はどこかに連れ去られた。なるほど事件性がある。そしたらなかなか厄介だぞ。盗みもめんどくさいし、部屋のあれこれもめんどくさい。友人が拉致されたとしてもどうでもいいがな!

3、彼は部屋でぽっくり逝ってしまった。そういうこというもんじゃないよ。処理はどうすんのさ。めんどくさい。

 

 

わざわざやってきたその友人は馬鹿者なのだ。99.9%部屋で寝てるだろう。

家主が部屋に入れずにベッドもない布団もなにもない研究室の床で横にならねばならんのだ。

 

まったく今日は厄日だ。

〈476.明日と今日と〉

明日やろうはバカやろう。

有名な言葉がある。今日できることは今日ちゃんとやれよと。そういうことだ。僕は中学生の頃に知り、やたら感動した記憶がある。かといって、僕が今日やろうになれているかは置いといてだ。

 

ところがそれを超えるすごい考え方を最近知った。

"明日できることは今日やってしまおう。"

まじか。

 

 

これはなかなかびっくりだ。言葉自体はおしゃれでもなんでもないし、素通りするような言葉だけど内容をよく考えてみる。

 

今日も1日がんばった。家に帰ってソファとかベッドとかに腰をドカッと下ろした時。

さてもういっちょ頑張るか!そう言えるのはどこのどいつだ!

しかも一度や二度じゃない。習慣でそうしているのだ。

今日やるべきこともまともにできてないのに明日のことなんかできるか!

 

 

この素朴な言葉をどこで読んだのか忘れてしまったのが業が深いところ。病気とか老衰とか、死を覚悟したことがある人が言っていた言葉だったと思う。死ぬのがわかったからこそ、やるべきことはやってしまいたい、そういうところなんだと思う。いつ死ぬかわからないからなぁ。

 

とはいえだよ。常に死ぬことを考えながら生きるなんて不可能だよ。それはもう鬱状態だといって差し支えないだろう。楽しいときは単純にに楽しいんだよ。時間も忘れてしまうんだ。

 

だからふと、1日を反省したり、ぼーっとしているときに考えればいいんだ。

今日できることはやったかしら。

その時にできてないならやればいい。できていたなら明日やることで、できそうなことをすればいい。しなくてもいいでしょう。でもそういう気概はあるんやで!そういう構えが大事だろう。

 

 

専門家じゃないからわかんないけど、そういうスイッチングというか、モードというか。そういうのは本当にあるだろう。メンタルがそっちに向かうと体もそっちに向かい出す。

自律もそうなんでしょ。だから明日やろうはバカやろうだな、明日できることは今日やってしまおう。

 

そうすりゃ明日はまた別のことができるでな。一石二鳥どころじゃねえやな。

徐々にね。

〈475.恐怖と死の関係考〉

恐怖って一体なにに対するものなんだろう。

死ぬこととか闇とか書いてみたけど、やっぱりわからない。具体的になんだ。

 

 

小さい頃に親に怒られたことは誰しもあるだろう。僕はでかくなったいまでも怒られるけども。

さて、小学生の時。親に怒られて怖かったという感情を抱いたことはあるだろうか。僕はある。親父だ。

滅多に怒らないふわふわした風とか旅人とかそういう様子の親父だが、数回怒られたことがある。反抗したとき、調子に乗っていたとき。

怒られたとき、親父への恐怖はなにに対する恐怖なのか。

安全が脅かされること?いや、親父は怒っても手をあげるような親ではない。それは小さいながらもわかってた。死とか痛みへの恐怖ではない。

なんだろう。

 

学校の先生に怒られた時は?

学年に一人はいるであろう鬼教師。その先生に怒られたときは間違いなく恐怖だった。一体なにがこわかったのか?これも親父と同じで身体的苦痛への恐怖ではない。断じて否。

 

なにがこわかったの?

親父の、先生の、叱るという行為のなにがこわかったの?

 

信頼を裏切る、とかそういう高次の話ではないと思う。もっと本能的な恐怖。主語は「私」の恐怖。

ヤンキーのそれとは違う。ヤンキーの恐怖は痛みとか生命を脅かすこと、安全欲求の阻害で恐怖を感じる。

 

 

話は変わるけど、昔母親と死ぬことへの恐怖の話をしたことがある。中学生くらいのとき、なぜ生きているのか不思議に思うようになる頃だ。

その時の母の回答はなかなかおもしろかった。

一人の女から一人の母親に変わったときに死ぬことへの恐怖は、主語が「私」から「こども」に変わった。私が死ぬことで育てる存在が欠如する、こどもの不幸への恐怖で死ぬことは恐怖だった。恐怖というより、嫌悪。

確かそういうことを言っていた。

これで考えれば、死ぬことへの恐怖は克服できる。子孫を残すことだと。自分の生写しのような、存在証明ができるなにかができたら恐怖は薄れると。

 

 

ほう。だとすると、先ほどの親に怒られた時の恐怖、先生に怒られた時の恐怖。これは存在証明の欠如か。

親の恐怖を存在証明で考えると。家族という組織からの排除、それに伴うアイデンティティの喪失。この恐怖だろうか。

先生の恐怖を存在証明で考えると。学校あるいはクラスルームからの排除、仲間からの排除。この恐怖か。

 

動物的な思考で言えば、群れからの排除は死を意味するだろう。狼のような鋭い牙も速い脚もない。猿とか人間とか、哺乳類は群れで社会を築くことで繁栄したんだろう?

 

遠回りしたけど、

怒られる→社会からの排除→死

ということで恐怖を感じるのだろうか。

 

恐怖の感情はなにかしら死と関わりがあるんだろうか。

 

これもまた面白い話だ。

〈474.恐怖と強さと〉

僕はいま二つの漫画の世界に没入するのが楽しみになっている。

一つはバガボンド。一つはMONSTER。

バガボンドは1998年から現在休載、MONSTERは1994年から2001年まで掲載された漫画だ。

 

いやいや令和のいまに20年くらい前の漫画かい。そういうこともあるだろう。

残念ながらこれまでの人生で漫画を読んだことが極端に少ない。だから今更ながらどハマりしてしまったのだ。

 

 

バガボンドはまだ最初のほうだ。主人公武蔵が恐怖と戦っている。MONSTERは終盤に差し掛かってきた。主人公テンマがヨハンを追い詰めようとしている。

不思議なことにこの両者、いまのところ恐怖との戦いがテーマになっている。

 

バガボンドのほうは自分との戦い。死への恐怖。MONSTERは悪との戦い。闇への恐怖。このどちらもそうなんだけど、本当に強い人は余計なことを言わないんだねぇ。

 

 

コンビニ店員をやっていて、接客をちゃんとやろうと思うタイプがふたつある。

 

1。見た目で怖い人。ヤンキーもそうだし、おっちゃんもそうだ。柄が悪そうな人。

2。丁寧な人。年齢関係なく、ちゃんとお礼を言ってくれたり、敬語だったり。

 

このふたつの分類の強さは全く別なんだね。

1のほうは腕っ節の強さ。取っ組み合いになったらまあ負けるだろうな。おっちゃんならまだ抵抗できるかもしれないけど、あのなんていうか、声で威嚇する感じ。あれがやだね。おっちゃんに限らずおばちゃんもそうだ。圧迫感。やだね。非常に。

2のほうは人間的な強さ。筋が通っているというか。力だと勝てるかどうかとかいうより、戦わせないような、そういう強さがある気がする。レア。あんまりいないけど、時々現れる。服装とかから違う。コンビニに来ちゃいけない人。

 

 

1のほうのひとたちは、絡まれたらめんどくせぇなっていう強さ。強さというか、乱暴さだったりマウンターだったり、そういうほうが適切かもしれない。面倒ごとを避けるためにちゃんと"してやる"っていう感じだ。内心ベロベロバーしてる。

2の人たちは違う。この人はちゃんと接客せなあかん。そういう強さを感じる。腕っ節じゃなくて、なんていうんだろうな、修羅場を超えてきたんだろうなって感じ。

 

 

読んでいる2つの漫画では、恐怖に勝つためには空元気をすることと受け入れることのふたつあるとか言ってた気がする。なんとなく共通してたのはぼんやり覚えている。うろ覚えなのでアレだけど。

 

1の人たちは、なにか不安定だったり満たされなかったりしているんだろう。それを見た目だったり、態度だったりで「強くあろうとする」ことで乗り越えようとしていると思う。空元気しているんだ。だからなんか根本的には弱さがあるんじゃないかと邪推してみたりする。

2の人たちは、そういう弱さがないのか、弱さを受け入れて隙がないというか。乗り越えるではなく、飲み込むことで力にしているんだと思う。

 

本当に恐ろしいのは2の人たちだ。

言葉であったり態度であったり、そういうので強さを誇示する人は弱い人間だ。

親父とか母親がそんなことを言ってた気がする。

そんな僕は弱い人間ですな!

 

この恐怖を乗り越えることに関する話はDIO様が語っていたと思う。ジョジョを読み直したい気分だ。

 

漫画に広がる人生哲学は非常に面白いぞ。

おすすめの漫画、教えてください。

〈473.残念デー〉

今日は僕が当時並行で読んでいる漫画について書こうと意気揚々とバイトから帰ってきた。それを書く前に男子力をあげるためにランニングに行こう、走りながら漫画のどんなところを書いてやろうかとワクワクさせていた。

いつものようにジャージに着替え、イヤホンをスマホに挿そうとする。

 

おや、イヤホンがないね。

1時間探した。ない。

イヤホンとiPhone用の音楽変換プラグ?を一緒にしていたそれをなくした。

 

気分はどん底。今日は漫画について書く気にならないので反省会を開く。

 

 

さて、なくしものをしたらあなたはどのように探すだろう。あった日までさかのぼり、そこからの行動を思い出しながら探すか、それとも部屋を手当たり次第、思いつくところを手当たり次第ひっくり返すだろうか。それとも諦めてさっさと代用品を探すだろうか。

 

僕はとりあえず部屋をひっくり返す。

なぜかって。部屋がモノまみれなので、なにかの影に隠れている可能性が一番高いからだ。実際それでいくつもの危機を乗り越えてきた。経験が違う。

しかし、エリート兵はうまいこと隠れるんだ。そしたらありし日を思い浮かべそこからの行動をやりなおしてみる。立ってみて、同じ行動をして、置きそうなところ、投げそうなところに視点を向ける。ここまでくるとさすがに見つかりにくい。しかし諦めないことが勝利への道だ。

 

それでなかったら共に泣こう。

そういうことでいま泣く泣くAmazonで注文した。イヤホン自体は代えのやつがあるからいいとして、変換アダプタは買うしかない。

ちくしょう。前にズボンのポッケから落ちそうなところをなんとか落ちる前に気づいた時があったじゃないか。そのときにズボンに入れないようにしようと思えばよかったのだ。きっとそれだ。買い物出かけたときに、レジでイヤホンを外してポッケに突っ込んだじゃないか。そのあとポッケの財布を取り出して…。そのときだろう。落ちたのだ。ちくしょう。

 

 

男子力をあげるのもイマイチ気が乗らないし、部屋がばっちいことを公表して女子力は下がるし、残るのは人間力だけじゃないか。イヤホン落としても人徳だけは落とさんぞ。クソっ。

はやくも通信制限かかるし。ついてねぇぜ。