ホウチガのド初期に、〈13.二番手の美学〉を書いた。まとめると、二番手ってなにごともちょうど良くて好きなのよって感じだ。
二番手っていうのは、咬ませ犬として見せ場を作る役目であり、咬ませじゃないにせよ、主役ありきの立ち位置だ。主役がより主役として輝くために、二番手は走り続けるのだ。
わかりやすくドラクエで説明すると、主役っていうのは勇者である。物語で必須の存在であり、プレイヤーが同情し、一緒に憤怒し、一緒に涙する。
二番手はその仲間である。勇者の盾となる戦士、補助をする魔法使いなどなど。花道を歩むために、より美しく物語を整備する役目。
いやちょっと待てよ。本当に彼彼女たちは二番手なのか。平たく見れば二番手であるが、そうとも限らない。二番手だと思われるが彼彼女たちにもバックグラウンドがあり、旅の後の人生がある。そこに惹かれ、二番手から主役になる奴もいる。例えばトルネコとか、ヤンガスとか。メインストーリーではそれほど目立ちはしないけど、たしかにファンがいて、遂に彼らがメインのゲームすら作られた。二番手だと思われる彼らもまた、ヒーローなのだ。
では二番手って誰だ。
これ、制作側っていわれる人たちなんじゃないかな。制作者がいなければヒーローは輝かないけど、ヒーローがちゃんと輝かなければ社会的に制作側が認知されることはない。
そして、制作側が認知されることは、ゲームにとってそれほど大事ではない。いかにも縁の下の力持ちである。
ゲームの話だとあれなので、一般化してみる。なにごとも、裏でこそこそやってるよりも表で人にウケる行動があったほうが、経済面であれば儲けが出るし、認知度であれば間違いなく必要である。だからといって、表のみ、メディア露出が激しい団体は先細りである。現在の立ち位置を冷静に分析し、戦術を練る担当の人がいた方がバランスがよく進められる。
もちろん、簡単な二項対立の議論でもないと思う。表or裏という二つの役職に綺麗に分かれず、兼任するかもしれないし、第三第四の役職があるだろう。
そして、二番手と思われる人たちがスポットライトを浴びる日が来るだろう。
大事なのは、自分に合った役職を見つけ、それを徹底するというシンプルなことなんだろうな。徹底すれば、その時に適した仕事が降ってきて、やりたいようにやれるということなのか。
結局何の議論だったのだろう。
とりあえず私は芸能人よりそのマネージャーさんの仕事が気になる性分です。誰かを輝かせるために奔走できるって素晴らしいことだと思うよ。あたいもそうなりたいとか思うわけよ。