6月10日。
映画を見た。久しぶりの映画館はよかった。公開されてから時間が経っていたこともあって人がいなかった。
騎士が王の命令に背いたことを1500年くらいかけて果たすという話。FGOというゲームがもとの映画である。いやぁよかった。何が良かったか言語化できないけどもよかった。いいね。うらやましいよあんな話が書けるなんて。
俺もいっぱい本を読もう。
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映画の中で、騎士が1500年の旅の末にそれに報いるほどの結果を得られるのか不安だと述べていた。1500年っていうのはもう想像できないけど、いろんなものを失い続けたろう。それが終わるとなるとやはりきちんと成果が欲しいというのはその通りだろうな。
簡単にその気持ちわかるとまでは言えないけども、努力に見合う成果が得られるかわからない時にはとんでもなく震え上がるのはわかる気がする。
松岡修造が言ってたぞ。緊張するってことはそれまできちんと努力している証拠だと。その成果を示したいがためにうまくいくか不安になると。仕方ないことだと。
その通りだと信じて、僕も緊張をむしろする状況まで自分を追い込めているかよく振り返るようになりました。
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努力の量に見合わない成果しか得られないことも当然ある。努力のベクトルを間違えたか、あるいは運がなかったか。おなじ努力でも周りのほうが頑張ったか。
ただ、やるべきことをやったあとに成果が得られないのなら諦めがつく。いや、長い苦しみの後にようやく諦めがやってくると言ったほうがいいかもしれない。こんな悲しいことはない。
そんな時に必要なのが人間関係だと思う。友達だったりチームメイトだったり、あるいは親やパートナー、家族だったりする。そういう人が努力の姿を知ってくれていたら、次の進む道を一緒に探してくれたりする。
ひとりだとなかなか見つけられないものこそ、誰かがヒントをくれたりするだろう。
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僕はいま、とても緊張している。緊張しても仕方ないけど緊張している。自分なりの努力はしたけど成果がやっぱり欲しい。
もしそうでない時はやはり一人で立ち直るのは難しいかもしれない。そんな時には誰かにどうでもいい関係のない話をしながら進むべき道を手探りで探すことになるだろう。
いやぁナーバスっちゅうのはいやなもんだね。緊張を楽しめるのは自信がある時だけだよ。