〈628.果たし合いの心〉
6月17日。
夜な夜な素振りをするのが趣味なのだが、今日はbgmで高校野球のブラスバンドを流した。フェスティーボという曲がお気に入りなのだが、2年前に甲子園を見たときにすっかりハマってしまった。
テニスにブラバンの応援はないけども、あの情熱は似たようなものがありまして、23歳の22時でも17歳の13時が目の前に立ち現れてくるわけです。
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テニスという競技は基本的に痛いおもいはしなくて済む競技なんだけども、どうも剣道とかもっと遡れば江戸以前の野武士同士の果し合いみたいな、あの緊張感があるんじゃないかと思っているわけです。といっても、剣道も高校の授業でちょっと触った程度だし、当然真剣同士の命のやり取りもしたことがないわけで、想像でしかないわけですが。
なぜこの感情が沸き起こるかというと、漫画「バガボンド」を読んだときなぜか主人公宮本武蔵の心になりうつれるような、そんな感覚を得たからであります。
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高校までに経験したテニスというのは、年に5-15大会に出場してました。なのでひとつ負けたとしても次の大会があるわけですから、高校野球みたいなこれが最後!というのは意識しにくいとは思います。
しかしながら、トーナメントを勝ち上がるのはそれはそれは恐ろしい経験でして、次から次へと僕の首をとらんとする相手を多いときは7回倒さねば優勝はないわけで、文字通り命がけでした。
なぜなら、負けるというのは、それまでに積み上げてきたギリギリの努力を自分でなかったことにするようなものだと、そう考えていたからであります。
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そうなると、死への恐怖の疑似体験を僕はテニスでできたんじゃないかと思うのです。これはどうも勝てない相手だと認識してしまったら、足が震え呼吸が浅くなり、コートから逃げ出したくなります。一方でどういうときに最高の果たし合いができたかというと、まさに無我の境地に至ったときです。ゾーンに入る、と言い換えるほうが適切かもしれません。
最高の果たし合いができたときは、とてつもなく気持ちが良いのですが、不思議なことになにも覚えてないのです。やったらいいことが無意識でわかっており、それを自由自在に実現できる。
こういう心の動きは、非常にバガボンドの侍たちと心が通じるような気がします。
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この快感は、つまるところ極限状態での自分との対話なんだと思っているのです。建前の全て消え去った上で、自分が感じることと考えることが押し引きをする。
これは非常に苦しい戦いであることもよくありますが、最高の快楽を導く唯一の手段でもないかと思えてくるのです。
この快楽を求めて夜な夜な素振りをするんじゃないかと思うのです。敵を想像し、それを討ち果たさんと欲す。仮想でも楽しいのですが、やっぱり現実の敵とは命のやり取りに似たものがあり、それを求めてしまうものです。
はやく大会に出たい。
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戦闘力69日目
559(+12)
勉強+5
テニス+4
その他+3
岡崎体育ファンクラブメンバーだけが応募できるTシャツプレゼントが当たってしまいまして。とんでもない確立を引き当ててしまいました。今年の運を使い果たしました。ありがとうございます。うれしいです。