ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈986.はじまりの場所〉

6月9日。

 

所用で京都に来た。二ヶ月半ぶりくらいだろうか。これといって変わったところは当然ないし、用事を済ませなけりゃならんのでそんなにゆっくりもできない。

 

新幹線で京都に来たのはどれくらいぶりだろうか。新幹線を降りて在来線の改札に入り、そこから京都タワーの目の前の改札口から外に出る。あの景色は、初めて一人で京都に来た時の気持ちになる。

高校3年の夏。新しい知らない世界に踏み込んだ高揚感。ここからなにかが始まるんだ。京都ははじまりの場所だと体が訴えくるような。

 

 

高校生の時に抱いた気持ちはすぐに途絶えることになる。大学では大阪に住むことになったので。残念な気持ち半分、まあよしとする気持ち半分。だから、京都という街は憧れの街になった。ちょっとネガティブな時なんかは嫉妬の矛先にもなったけど。

それから2年後の大学3年生。京都の大学の授業を受講することになった。2年遅れだけど京都の学生になった気分だった。その日の京都駅も何か輝いて見えた。さらに2年後は正式に京都の学生になる。はじまりの場所にようやく立つことができたような気持ちも小さくあった。

 

これから先、京都に何度来ることになるか全くわからない。もしかすると老人になるまで来ないかもしれない。80歳になった僕はたぶん未来の京都駅がどんなにハイテクなものになろうと、あるいは廃れようとも、輝いて見えるんだろう。

 

 

おんなじように、もしかしたら誰かにとっては群馬の高崎駅がそうかもしれない。あるいはもっと小さい知らないような駅がそういうものかもしれない。

それぞれにはじまりの場所があって、そこは何度来ても輝いて見えるモノだろう。人によってはパワースポットなんていう言い方をするかもしれない。おそらくその実際は、場所がパワーを持っているんじゃなくてその場所に臨んでいる私があなたがパワーを持っているんだと思う。

無知であるが故になんでもできるような気分になる。知らないのは弱さでありながらも同時に無限の強さを秘めている。それを思い出させてくれるのがはじまりの場所なんだろう。

 

 

友人は変わらず論文を書いていたり、パワポを作ったり、あるいは髪の毛を染めてみたり、おしゃれな格好をしたり。

地元にいた時にはない人間関係がある。僕は変わらずスポーツウェアを着てふらふらとしている。

はじまりの場所であり、同時に帰るべきなのかしら。そう思っているのは今だけなのかしら。