ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1019.我流一年目心得〉

7月12日。

 

新入社員になるうえで絶対に忘れたくないことを書いておこう。
時代錯誤だと思うし、別にこれが正しいというわけではないけど、個人的にこれをやっておきたいなあということ。

 

 

まず、出社・退社時間について。
前々から議論になっている先輩より早く出社し、先輩より遅く退社すべしという悪しき風習について。
これを強要することはナンセンスだし、論理的でもないことかもしれない。僕が先輩になったときにも後輩には絶対従わなくてよいというだろう。

しかしながら、個人的には好きな風習だったりする。というのも僕がこれでマイナスなことがなかったし、理解ある先輩に囲まれてきたからだろう。
とはいえ、早く来て遅く帰る「ような」努力を姿で示すことも結構大事だったりする。
人間は自分も含めて目に見えることを信じるので、数字で見えることと同じくらい、あるいはそれ以上に目の前で努力されると応援したくなるものだと信じている。だからこそスポーツ選手のドキュメンタリーが流れると思っている。
そういう意味で努力している姿を示すのは、昇進するうえでは「僕には」必要だと思う。僕は不器用なので実際にそういうことをしないと成長が遅いからね。
家族ができたらその考えも変わるだろうし、リモートだからそこらへんも変わってくるけど、信頼関係がすべてな職に就くつもりなので。

 

 

あいさつ。これはきっちり大きな声でする。絶対に。
あいさつがなぜ大事なのか、これは相手の存在を認識したうえで敬意を示すことになる習慣だと思っているからだ。そして同時に、相手に自分の存在を認識してもらうため。
人間関係を形成するための最初の一歩としてお互いの存在を認識することがある。

 

これをなくして次のステップにはならない。
とにかくあいさつ、感謝、謝罪、こういう挨拶は常に忘れたくない。

 

 

相手を気にしすぎない。
これは完全に僕専用の戦術である。
僕は相手の環境や予定などを気にしすぎて滞ることが少なくない。日常であればそれでいいし、一人で解決することも大事なことだ。
しかし、新入社員という初心者マークの若造はとにかく聞きまくることだ。知らないんだから。無知は恥よ。こんなこともわからないのかと言われて、まだ一年目なのでという言い訳ができるのも一年目だからこそだ。
とにかく頼れる人を早く見つけて、あるいは見つけられなくてもとにかく聞きまくることだ。

 

 

以上3つ。
努力の姿勢、挨拶、早急な相談。
これを一年目はとにかく気を付けていきたい。それでとにかく吸収しつつ、信頼関係を構築すべし。

〈1018.熱中症気味〉

7月11日。

 

体調があまり優れないのはたぶん熱中症だろう。それもあって、投稿が滞っているということにする。

とはいえそんなにカンカン照りなわけでもないのに熱中症っぽいのはなんだ。

 

 

ひとつは完全に水分不足だろう。

朝起きて飯食って作業を始める、これまでにあまり水をちゃんと飲まない。寝汗もかいてるだろうからそこでちゃんと水を飲むことだ。

あとは外でテニスをした時にスポドリを飲んでない。わざわざ買いに行くのがめんどくさいので、そこらへんで手に入るお茶で済ましている。これはあんまり良くないと思われる。ちゃんとスポドリ飲んでる時の方がプレーも質が良いし。

 

水をちゃんと飲むことだ。

 

 

あとは、気温の上がり下がりに適応できてないのかもしれない。

室内は冷房がかかっていて、外に出ると湿度が高くて気温も高い。このギャップがしんどい。

特にカフェにいくと上着がないと寒いくらいなのに、会計を済ませたあとの一歩から急に暑くなる。

冷房の風もあんまり体には良くないのだろう。扇風機のように温度よりも風力で涼しくなった方が負担がなさそうだ。

 

 

夏本番になる前にそこらへんに気付かされたわけだ。

基本的にパソコンとかスマホに向かってる時間が長いので、頭痛かったり目が痛かったりもする。

一日そういう電子情報デトックスしたほうごいいのかもしれない。

 

ちょっとしんどいので短めに終わらせる。

ちゃんと水分とって、冷房に頼りすぎずに涼しく過ごしましょう。スイカとかの時期になってきたからね。

〈1017.社会人の息抜き〉

7月10日。

 

大学時代の友人にあった。
それほど当時と変わらないけども、友人は社会人としてすでに荒波にもまれている。
いろんな大変なことがある中で、息抜きがきちんとあることが大事だと思う。

 

 

その友人はその会社で定年を迎えるつもりはないと言っていた。だからこそかもしれないが、仕事に納得感があるようには感じなかった。
人間関係は良好であるのがいいところだろう。しかし、日常の大半は納得感のない業務に支配されている。
だからこそ、退社後にどうするかがその友人にとっては救いのようだ。
その救いは本当に些細なことで、近所のスーパーにいる親しい人と話すことらしい。
恋愛感情を抱いているのかは謎だったが、一つの癒しとしてそのスーパーに通うことがあるのかもしれない。そこで夕飯の材料を調達し、銭湯に行ってのんびり夕飯を食べる。

高校を卒業してから、週に5日フルタイムで活動したことはほとんどない。あったとしてもバイトの5連勤とかでぼやいていたので、それが毎週毎月毎年繰り返していくのはちょっと想像できない。

 

 

高校までは体力のごり押しとすべて自分のためであることから責任がなかったのでまだ良かったかもしれない。
来年からはそうはいかない。
きちんと責任を負いたいけど、同時に老化現象にも襲われていく。
このなかできちんと仕事と生活の両立をしながら息抜きもする。
なかなかハードだからこそ、明確な息抜きが必要なんだと知る。
つまり、趣味を持つことだ。

僕の場合であればテニスがそれになるんだろうけど、お金も時間も場所も制限される。
となると、別の趣味を一つ二つ持つのが良いんだろうな。

 

 

僕自身、来年から働かせてもらう会社にどれくらいいるのかわからない。

納得いく就活ができたので、仕事内容に不満も最初はないと思う。しかし、時代も変わっていき、僕自身の生活や目標も変わっていったときにはどうなるかわからない。

 

となると、きちんと息抜きできる領域を持つ必要がある。

親は最近巷で話題の運動施設に通うようになった。汗をかくのはやはり気分がいいらしい。最近顔色も良ければ安定してテンションも高い。

 

一つ運動の趣味、一つ文化的な趣味、これを持つと安定した社会人生活が送れるだろう!

〈1016.無観客のこと〉

7月9日。

 

オリンピック、基本は無観客なんだってね。
まあこの環境下では仕方ないし、然るべき対処かもしれないけど、チケットあたってた人とか、アスリート側からしたら残念なところが大きいだろうな。
オリンピックの運営側も、急な方針転換が続いて対応が大変だろう。
仕方ないんだけど、「緊急事態」ってなんなんだ。

 

 

スポーツにおける観客の役割ってそんなにないけども、もちろん経済的なところが大きいし、選手のモチベーションになることもある。
有名な話、松岡修造が現役のとき「諦めるな」っていう観客からの声で頑張った結果、ウィンブルドンでベスト8に入ったらしい。他のテニス選手でも、わざと観客に声を出したりウェーブさせたりすることもある。


テニスだけでいえば、メンタルスポーツであるので応援が多いことはとても大きな力になる。相手へのプレッシャーになるのはもちろん、最後まで踏ん張ることにもなる。

 

規模は小さくなるけども、僕が高校生の時の団体戦もいかに応援団の元気を出させるようなプレーをするかどうかも勝負の大事なポイントだった。
私立高校はやたら大きな応援団を引き連れてくるのでそれだけでも気後れするようなモノだった。

やっぱり、無観客っていうのは「スポーツ」としてはさみしいものかもしれない。

 

 

はやくこんな時代は過ぎ去ってほしいと思うけども、過ぎ去ることはあるのだろうか。これが基本になって、客を入れないようにしたり外食を控えるのが普通になってしまうのだろうか。

外食が減るとお財布は温かくなる。でもお店の存続が難しくなってくる。すると、ちょっと良いことがあったりねぎらう時に頼りの場所がなくなってしまう。
人を集めてのイベントがなくなれば、感染症のほとんどが絶滅してくれるかもしれない。でも、血が滾るような興奮の機会がなくなる。そんなもの必要ないだろうというのもわからなくはないが、人が集まってできる熱量というのは言葉にできない不思議なパワーがある。悪い例だが、車をひっくり返すような勢いとパワーが生まれる。

 

そういう人が集まる機会が完全になくなってしまうのは悲しいような気がする。
100%リモート生活が実現できても実施しないように、可能であっても実行しないだろう。

 

 

オリンピックはとても残念だ。
たぶん、自分が生きている間に日本でやることはもしかするとあるかもしれないけど、杖をついているような未来になるだろう。
楽天オープンは今年もやらないし、しばらく世界レベルのテニス観戦はできない。

 

しばらくはテレビで我慢するしかなかろう。

来年ももしかしたらそうなるだろう。再来年も、その先も?

〈1015.ゲーセンのこと〉

7月8日。

 

ゲームセンターは見ているだけでも面白い。
UFOキャッチャーの景品を見ているだけでも人気のキャラクターだったり流行りがわかってくる。
ほかのアミューズメントも、ずっとある人気のものやバスケとかホッケーのような体を動かすもの、ドライブやサッカー、競馬などなどいろんな人気な物があることを知ることができる。

 

 

UFOキャッチャーだと、いまは8割近くが鬼滅だったり呪術だったりする。いわゆるサブカルのトップを走っているのはジャンプ漫画だということか。
もちろんワンピースやドラゴンボールは常に一つは景品としておかれている。それに比べてちょろっとあるのがかわいい女の子の萌え系のフィギュアである。
それ以外にも日常でちょっとうれしいイヤホンとか枕的なやつとかそういうのが都会の広いゲームセンターだと置かれている。
景品を見ると、巷で人気になっているだろう作品がわかってくる。単純な情報収集になる。
そしてそこで遊びに来ている人がどういう人たちで、なんの景品を取ろうとしているのかを見るとなんとなくファン層が見えるような気がする。入荷していたり、在庫で残っている景品の数を見てもなんとなくよく遊ばれる景品が見える。
こういういろんなサブカルに関する情報が見えてくるのは結構面白い。

 

 

他のゲームはあんまりじっくり眺めることができない。後ろから見てたらなんやこいつと怪しまれるからだ。
しかしながら何度か通っていると、撤去された筐体だったりずっと人がいる筐体がわかってくる。すると求められるゲームがわかってくる。
マリオカートなんかは人を選ばず時間も選ばず、誰かしらハンドルを握っている。F1みたいなもう少し難易度が高くなると若い男複数人が多い。
音ゲーはたいてい手袋とイヤホンをしているガチの人が一人はいて練習に明け暮れている。
多くの客は若いor中年までの男だが、時々見かける女性はカップルか女友達とプリクラかガチンコの音ゲーだ。

スポーツゲームは体験型出ない限り入れ替わりが激しいと思われる。たいていのテレビゲーム型のスポーツゲームはPSでプレイできたりするし、わざわざゲーセンでプレイするほどのメリットがない。

 

 

そもそもゲーセンっていつからどんなふうにしてできたのかしら。
某ゲーム会社は、デパートの屋上の木馬から始まったらしいし、今だとフィットネスやギャンブルのおまけとして開発される筐体もあるとかないとか。

どういう風にしてできるようになったのかちゃんとした僕はわからないけど、もとはパチンコとかスロットとかをもっと健康的で年齢制限をなくしたようなモノだろう。
根本的にはそういうエンタメと同じと思う。つまり、身近でリターンの大きい緊張感・期待感・達成感等が求められた結果なんじゃないかと思われる。

 

他のエンタメの環境はどんなもんなんだろうね。
行ったことないけど、パチンコとか競馬とかはそんな感じなのかしら。

〈1014.未来のこと〉

7月7日。

 

なんで七夕はお願いをするんだ。
織姫も彦星も神様的なものかもしれないけど、ようやく出会える日なんでしょう?
人の恋路に便乗してお願いするなんて野暮じゃないのか。

一年前も同じような投稿をした気がするけどまあいいでしょう。

 

 

一年前は、ウィキペディアとか誰かのブログを参考にしながら伝説が美化される話にオチを付けた。
もともとは仕事人の織姫にあやかって、自分の技術向上を願ったらしいとか。それが本当なら、キャリアウーマン織姫は別の男を見つけたほうが幸せだぞと言っていた。
だって会いたい男は牛を育てる兄ちゃんだからね。代えはいくらでもありますよ。

 

いや、恋ってそういうもんじゃないわよ。
身分とか関係なくなっちゃうし、仕事と人生の関係とかも人によるものだし。
確かに一年に一度しか会えないのはしんどいけども、それでも会いたいっていうのならそれはそれでひとつの幸せの形なんだろう。
一年に一度しか会えないからこそ、永遠に憧れであり続けるようなところもあるんだろうさ。

 

 

人の恋路にやいやい言うのはよろしくない。
風習にしたがって、自分の仕事の技術向上を祈るくらいにおさめておくのがよろしかろう。


じゃあなにがいいかしら。やっぱりこの一年は開発技術の向上だ。パソコンに強くなるのはもちろん、アイデアやそれを磨き上げる力を付けたい。
機織りみたいな物理的な技術でいえば、テニス上手くなりたいくらいだけど、別に仕事じゃあないし。

やっぱりばっちり仕事を終わらせて、どんどん自分を磨き上げるような吸収力を祈りましょう。

 

 

しかし、来年のことをいうと鬼に笑われるのが日本の言葉であるように、目の前のことをしっかりと吸収するのが良いだろう。
来年がどうとか、遠い話をしていると今目の前のことに集中しなくなる癖がある。

来年とかの成功は、今の目の前の積み重ねであることを忘れるな。


そうして一年後にようやく身について喜ぶわけだ。未来を見据えて臥薪嘗胆して、その末に会えるのが幸せの一つだと織姫は考えていらっしゃる。
仕事についてもおんなじようなもんなんだろう。