〈316.ヘキ〉
私は「味方が敵になる話」がすごく好きだ。
敵が味方になるのではなく、その逆だ。信じている相手に裏切られて、悩む人間というのは非常にドラマチックだ。
しかも、その裏切る人というのも、本当は敵対したくないけども、世間が、しきたりが、とか操られてみたいな、本当は嫌なんだけども仕方なく対立する。思い悩み、苦悩し、覚悟を決めた上で対峙する。でも…。そんな話はゾクゾクする。
という話はいままでしたことがない。なぜなら客観的に見てやばいやつだからだ。人の不幸を喜ぶ悪魔みたいで気持ち悪い。それこそ悪の権化とでも言えるだろう。
だけどもあえて考えてみよう。キモい私と対峙するのだ。
仲間の裏切りのなにがいいのだろう。
まず、その厚い信頼関係を試されている、という状態が良いのかもしれない。たぶん、オチ的には本当は仲良くしたかったっていうネタばらしがあればなおさらドラマチックになるし、対立関係を超えた信頼意識があったんだなぁっていう、結果的に見ればなによりも信頼していたという後付けストーリー的解釈が心揺さぶる。
それもそうなんだけど、苦悩する過程、そして覚悟を決める結果。ありふれた型だけどそれがわかりやすく出ていて好き。主人公とかが悩まないのは好きじゃない。悟空は好きになれないのよ。
悩むという人間らしい行為を通して得た、自分の中で納得した末の覚悟。これがかっこいい。
だけども、その覚悟すら不完全で、やっぱり悩みが頭をかすめる。
進んで嫌われるのは人間嫌だもんねぇ。
いかにも人間臭く悩む姿。
社会的動物としての人間関係構築と自己中心的でエゴの塊の狭間で苦悩する姿。
このありふれた悩みが私の大好物なのかもしれない。
とはいえ、これはリアルではなく物語の中での話だ。リアルであったら辛いだけだからね。癖ですよ。"ヘキ"。そういう"ヘキ"を持ってるんだから仕方ない。
でも、人間離れした話の中の登場人物が人間臭いと安心するのよね。
あぁ。こんな凄い人でも悩むんだなあって。私も悩んでいいんだな。そう安心するのです。
結局、私が小さい悩み多き幸薄男なんだってことがわかってしまったよ。
自分の癖(ヘキ)を分析してみると、自分のコアがわかってしまうという話だ。
そりゃそうよ。それがヘキなんだもの。
うわあ。キモ。